山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


石仏

大和三山_早春の道9

法然寺の立派な本堂。屋根が目立つ。


F氏によると、法然寺の庭には紫色をした綺麗な花木があるという。気になって境内に入ってみたが、落葉樹とみられ、葉っぱが落ちていて、どれがその木なのか特定出来なかった。ところが、花の名前の表示板が、草むらの中に落ちていたのを見つけ拾った。イタリアニンジンボクという名前だ。初めて聞く。ネット検索して花が咲いている画像を見たが、実際に見たことはないと思う。


花木の名前は一件落着にて、法然寺を後にする。


クルマの往来が多い車道を横断して香久山公園方向へ向かう。


途中左折(北)して西井牧場前を通る。この日は休憩がなく、そのまま通過した。まぁ、この時季なので、ぜんざいしか、メニューはなかったようだが。


1月29日(水)22:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

大和三山_早春の道8

来た道を戻って飛鳥川に架かる橋を渡り、歩道のない車道を歩いて、再び飛鳥川に架かる橋を渡る。


すると右手に石仏が見えてくる。


こちらは地蔵菩薩。舟形光背の先が欠けている。


庚申さんもあった。


やがて右手に明日香庭球場、左手に紀寺跡が見えると、明日香村に入る。左手に法然寺が現れる(画像)。ここからは、再び、橿原市となる。紀寺跡がある一角だけが、明日香村になっていて、古代には明日香と関係が深かったのだろう。尚、奈良市にも紀寺という地名が残っている。


1月29日(水)20:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

大和三山_早春の道7

冷たい小雨が降る中、ゆっくりと時間をかけての昼食となった。画像の石仏の頭は本薬師寺跡にて撮影。


本薬師寺跡の説明板。


こちらはホテイアオイの冬の姿。


昼食後、本薬師寺跡を後にして更に東へと歩く。飛鳥川に架かる橋を渡ってすぐ右、道路の脇に幾つかの祠が見えてくる。


この祠の中に釈迦如来とみられる古い石仏があった。住所表示は橿原市上飛騨町となっている。遠い昔から信仰されてきた石仏なのだろう。小振りの石仏なので威圧感がなく、とても親しみが持てる。


1月29日(水)20:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

大和三山_早春の道6

ほどなく国特別史跡・本薬師寺跡に到着。9月に下見に来た時は、一面にホテイアオイ(布袋葵)が咲き誇っていたが、今はその面影すら見えず。また、簡易トイレも撤去されていた。ついでに駐車場には一台のクルマもなし。


雨傘をさしての昼食、これは予想していなかった。


リーダーは相変わらずパン食。N氏が持参された折り畳み式のイスが目を引く。引敷より実用的だ。


こちらは雨を避けてお堂前での昼食。私もこの空席に座った。


庚申さんの話になって、右のお猿さんが持っているものは何かという疑問をYさんが投げかけた。結果、小猿を抱えたお母さん猿のように見えるとのことだが、果たして庚申さんのイメージは、そういうものだったかな。


1月28日(火)23:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

大和三山_早春の道5

餃子の王将橿原神宮店。丁度、半月ほど前の1月12日、H氏と近鉄のウォーキングイベント、「酒蔵みてある記 2014」に参加した後の反省会場だ。餃子が美味しかった。同じチェーン店でも、店によって味が微妙に変化するようだ。


本薬師寺跡へは駅前の道をまっすぐ東に歩く。すると本薬師寺跡の道標が見えてくる。


黒岩重吾による碑文。「わすれ草 わが紐に付く 香具山の 故りにし里を 忘れむがため」大伴旅人


橿原市教育委員会が設置した説明板。


本薬師寺跡前へと続く、橿原市城殿町(きどのちょう)の古い町並み。


1月28日(火)21:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

大和三山_早春の道4

身支度を整え、山頂を後にする。雨はまだ止まず。


畝火山口神社の分岐地点まで下る。リーダーが分岐で後続の人達を待とうとしたら、クロスカントリーの係りの人から、ここで立ち止まらないで下さいと注意されたようだ。麓近くまで降りてくると、突然、ランナーと出くわした。走るスピードがメチャクチヤ早い。トップランナーということだろう。ご苦労様。


その後も、次々とやってくるが、不思議と男子ばかり。そのことを思わず口にしたら、他の人も同じことをつぶやいていたとか。まったく同じようなことを考えるものだ―笑。


尚、女子はこの後に見えたので、時間をずらして走っていたのだろう。


畝傍御陵前駅の東西連絡通路(地下道)を歩いて、駅の東側へ出る。画像は畝傍御陵前駅。


1月28日(火)20:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

大和三山_早春の道3

畝傍山、山頂の三等三角点。標高198.5m。


残念ながら、この日は天気が悪く、金剛山地の輪郭さえ見えず。


山頂の様子。改めて撮影した画像を見ると、木々に落書きが目立つ。


灯籠の笠石のように見える。畝火山口神社社殿跡地にて撮影。


大和三山の中では畝傍山が一番、展望に恵まれている。展望のまったくダメなのは、あそこに見える耳成山。耳成山は、登る山ではなく、眺める山なのだろう。


1月28日(火)20:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

大和三山_早春の道2

畝傍山登山口の道標を見て左折。


地面に記された矢印は、この日行われるクロスカントリーのコースを表していた。


鬱蒼とした樹林帯の中に入ってすぐ、東大谷日女命神社(やまとおおたにひめみことじんじゃ)の鳥居前を通過。神社には参拝せず。やがて、畝火山口神社分岐に到着。下見の時(2013年9月22日)は畝火山口神社に立ち寄ったが、この日は立ち寄らず直に頂上へと向かう。


北へ向かって歩いていた登山道は、一旦、“く”の字型に東へ向かって方向転換する。この先、方向転換せずに北へ歩くと眺望が得られる場所があるが、この日の天気では、眺望は得られない。


やがて山頂に到着。画像は元あった畝火山口神社社殿跡。橿原市のHPによると、畝火山口神社は、もともと西麓にあった。16世紀に貝吹山に城が築かれ真北に神社を望むのを忌んで山頂に移転。1940年橿原神宮造営にあたり見下ろすことがないように再び西麓に移転。画像は山頂に残る社殿跡。


1月27日(月)21:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

大和三山_早春の道1

2014年1月26日(日)は、Webサイト、「石仏の辻」のウォーキングイベントの一つ、「歩く・石仏の辻」に参加した。前夜、奈良市内では激しい雨が降っていたが、天気予報では翌朝から曇りとの予報で予定通り行われた。結果、終日、曇りではなかったが小雨がぱらついた程度で、本格的には降らず、真冬の歩きのコンデションとしてはこの程度だろう。尚、当日は「第41回 畝傍山一円クロスカントリー」が畝傍山周辺にて行われ、畝傍山からの下山時、登山道でランナーとバッティングした。

コースタイム
9:35近鉄橿原神宮前駅中央改札口9:48_9:51橿原神宮_10:05畝傍山登山口_10:07東大谷日女命神社(やまとおおたにひめみことじんじゃ)鳥居前_10:16畝火山口神社分岐_10:28畝傍山頂10:39_畝火山口神社分岐_11:05畝傍山登山口_トイレ11:09_11:22畝傍御陵前駅東西連絡通路_11:33本薬師寺跡(昼食)12:21_12:27石仏(釈迦)12:34_12:40石仏・庚申12:43_12:59法然寺・イタリアニンジンボク13:04_13:07西井牧場前_13:08香具山登山道案内標識_13:09香久山登山口_13:11道迷い_13:14伊弉冊(いざなみ)神社_13:15国立文化財研究所分岐_13:19香具山頂・国常立(くにとこたち)神社13:30_13:38天香山(あまのかぐやま)神社_13:43波波迦(ははか)の木_13:47青面金剛童子・二尊石仏13:52_13:55月の誕生石案内板_13:57矢田型地蔵_14:00月の誕生石14:03_14:24藤原宮跡_トイレ_14:46二尊石仏_醍醐池_14:48四等三角点_14:54養国寺・春日神社(佐吉の狛犬)14:59_15:01醍醐町環濠跡_15:10桜井線踏切横断_近鉄大阪線踏切横断_15:14耳成山登山口_15:19耳成山口神社_15:23耳成山頂_耳成山口神社_15:42耳成山登山口・トイレ15:49_近鉄大和八木駅前_★反省会 白木屋(参加14名)18:02

画像は自宅近くの蛙股池。この時、雨は降っていなかったが、空はどんよりとしていて、この日は終日、このような空模様で、午後からは風が冷たく感じられた。



近鉄橿原神宮前中央改札口にて、地図をご覧になる参加者の皆さん。この日の参加者は目測25名程度と見られる。


出発する頃になると、雨がぱらついてきた。雨傘をさして、橿原神宮の境内に入り参拝。二拝二拍一拝。


今年の干支、午の大絵馬。


境内を北に向って歩く。雨は相変わらず細く降っていた。


1月27日(月)19:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

七曲峠から国見山19

護国神社でトイレ休憩となる。画像は境内の様子だが、殺風景に見える。


護国神社を後にして、護国神社バス停へ向う。


反省会は、三条通りの「ニパチ」。一部の商品を除いてオール税込294円(税抜280円)で、しかも、10%引きのクーポンを利用したので、格安で楽しめた。画像は店を出る時に撮影したもの。


画像は看板メニューの一つ鶏釜飯。これも294円には驚いた。味は文句なしに美味しい。尚、反省会の参加者は10人だった。おしまい。


11月4日(月)22:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

七曲峠から国見山18

K氏は渋柿でも熟しているものは甘い、と云って、一つ私にくれた。画像がそれ。口に含んだら甘かったが、多少渋味が残っていた。


ようやく鹿野園の町に下ってきた。このあたりも傾斜が急で、足の爪が少し痛かった。


道標。ここは直進(西)する。


田原東西陵方向(東)から下ってきた。南は八嶋陵を指している。


護国神社の境内に入る。画像は「影媛物語」の説明板。


11月4日(月)22:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

七曲峠から国見山17

先程の民家の縁先に置かれていたもの。これは餅を入れておく木箱だろう。子供の頃、自宅にもこれと同じものがあった。正月の餅つきの準備ということか。或いは、秋祭りに使うのかも。


正暦寺(しょうりゃくじ)分岐。下山途中の鹿野園(ろくやおん)までまだ2.5kmある。


ここで右側の茶畑に向う。この茶畑からも眺望が得られた。


時間は15時40分頃で、陽が西の空に傾きかけていた。


K氏が画像の柿を取って食べようとしたので、私がそれは渋柿だと云った。


11月4日(月)22:18 | トラックバック(0) | コメント(7) | 石仏 | 管理

七曲峠から国見山16

旧道に入ってすぐ右に建屋があってその中に石仏がある。画像の通り「東金坊(とうこんぼう)地蔵尊」と呼ばれている。大きくて立派なものだ。照明灯も完備されていた。


その左には、「子安地蔵大菩薩」と彫られた石灯籠が立っている。


この道は旧道で、すぐ北側には岩井川を挟んで平行して県道80号が通っているが、意外にクルマの通行量が多い。


磨崖仏ということになるのかな。


民家の前を通る。提灯が吊ってあるが、秋祭りなのだろう。このあたりの住所は奈良市菩提山町となっている。


11月4日(月)22:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

七曲峠から国見山15

県道186号を歩く。時々、クルマが通るが、この先、南方向は通行止めとなっており、そのことを知らないクルマが、引き返してきたりしていた。画像は北方向を撮影。


この県道、歩道はあるが、歩く人が少ないのか、雑草が蔓延っていて歩きにくい。引っ付き虫が、容赦なく被服に引っ付いてしまう。これを避けるには、車道を歩くのが正解だった。油断すると、一瞬のうちに引っ付き虫だらけになる。画像は引っ付き虫を取っているところ。場所は県道80号との出合い。


春日宮天皇陵(田原西陵)を右に見送る。画像の左に鳥居が見えるが、かなり先にありそうだ。この天皇陵を訪れたことはない。


やがて県道80号から左折し、鉢伏峠へと向う旧道に入る。


旧道への分岐地点には、「東大寺 二月堂 お水取り 松明調達の道」と記された道標が立っている。


11月4日(月)22:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

七曲峠から国見山14

右手に栽培を放置された茶畑を見ながら歩く。左に分岐があって進むとすぐに茶畑に出る。西方向の展望がよい。視界がイマイチだが、肉眼では生駒山が望めた。左手前に見えるピークは城山(奈良市北椿尾町にある標高529mの山)。


こちらは北西方向の眺め。右から芳山、春日山、高円山と続く。


左右に茶畑を眺めながら、ゆっくりと下る。地面はコンクリートで、その上に落ち葉や砂があるので滑りやすい。この先の左手に分岐があって、国見地蔵があるとN氏から聞いていた。私はそれまで、最後尾を歩いていたが、斥候として国見地蔵を探すべく、T氏に話して集団から離脱して先行することにした。この時、自転車で国見山頂を目指す男性と出会った。


画像の分岐が、国見地蔵への分岐と思っていたが、そうではなく、その手前の、国見山の私製の道標がある分岐がそうだったようだ。このことは帰宅してからわかった。国見山の私製の道標がある分岐も歩いたのだが、おそらくその手前で、引き返したのだろう。尚、この石仏が置かれた分岐から先も丹念に探したが、当然ながら、お地蔵さんはなかった。


やがて県道186号に降り立つ。ここから先はアスファルトの道を歩くことになる。


11月3日(日)22:36 | トラックバック(0) | コメント(6) | 石仏 | 管理


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