山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


石仏

矢田山磨崖仏_金勝寺33

砂埃を浴び、今にも埋もれそうな石仏。


金勝寺墓地を後にする。西へ向うと、左手に立派な建物があったが、「かんぽの宿・大和平群」。金勝寺へは右折。


民家の横を通る。前方、右方向には金勝寺墓地への旧道があるらしい。


旧道を様子見されたK氏。藪っぽかったとかで、すぐに引き返してきた。


旧道の入口付近にあった五輪板碑?


Aug.13(Wed)17:26 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

矢田山磨崖仏_金勝寺32

金剛界四仏の一体。
※ネット検索すると阿弥陀。http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/7460/nara-sideharaboti.htm
※goo辞書によると、「薬研彫とは金石類に文字などを彫るのに、薬研の形状、すなわち断面がV字形になるように彫ること。また、そのもの。」更に薬研とは「漢方医などが生薬を粉末にするのに用いる金属製の器具。細長い舟形で、中央がV字形にくぼんでいるもの。中に生薬を入れ、円板形の車に通した軸を両手でつかみ、前後に回転させて押し砕く。くすりおろし。」



無縁墓に置かれていた地蔵菩薩。


こちらの石仏は細目でクールに見える。


双石仏。地蔵石仏(向かって左側)。阿弥陀仏(向かって右側)だろう。


墓地の南側入口付近。石仏が無造作に置かれていた。


Aug.13(Wed)17:23 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

矢田山磨崖仏_金勝寺31

六地蔵4/6。持物は琵琶に見える。


六地蔵5/6。両手だが持物は不明。


六地蔵6/6。持物はなく合掌のお姿。


「椣原墓地」と彫られた石標。


十三重層塔。
※平群町のHPによると、「金勝寺墓地(椣原惣墓)の北東に立てられた層塔で、花崗岩製。高さ約4.4m、一層目笠 幅0.9m、軸部幅0.49cm。地震等で幾度か倒壊しており、一部の屋根が欠けている。軸部には金剛界四仏が月輪(がちりん)中に薬研彫され、紀年銘はないが、屋根部分の厚みや反り、軸部の種字の刻み方などより鎌倉末期頃の作と考えられている。相輪部分は兵庫県南部地震で落下したため、金勝寺が保管している。この墓地は、椣原・上庄・西向・吉新・櫟原(椿木)の惣墓(そうばか)[共同墓地]であり、墓地を代表する向塔(こうとう)としてその中央に立てられたものであろう。墓地内には多数の貴重な石造文化財が伝えられている。金勝寺の下寺(付属寺院)である円満寺も所在し、竜田川の対岸にある金勝寺を彼岸に、当墓地を此岸とする考えもある。」



Aug.12(Tue)12:16 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

矢田山磨崖仏_金勝寺30

墓地に入ってすぐ、一番最初に見た石仏。細目で、口元をキュッと締め、瞑想中のように見える。今、撮影した画像を見ると、石仏にはひびが入っているように見える。実物を観た時は、このようなひびには気づかなかった。
※「石仏の辻」によると、「船型如来立像 延宝六年(1678) 手に華皿を持つ「平群谷」より。
※ネット検索すると、「華皿(はなさら)は華籠(けこ)とも呼ばれ、法要の際に散華する花びらを盛る器。」



十三仏石塔。
※金勝寺のHPによると、「南北朝時代~鎌倉時代にかけて全国的に広まった民間信仰。死者の追善供養のため(ときには逆修供養のため)、初七日不動・二七日釈迦如来・三七日文殊・四七日普賢・五七日地蔵・六七日弥勒・七七日薬師・百ヵ日観音・一年勢至・三年阿弥陀・七年阿閦・十三年大日・三十三年虚空蔵である。この十三仏は高さ173センチ船型を作り、天蓋の下面に13尊の像を浮彫りする。像の横に尊名を刻み分かりやすい。室町時代後期、天文22年(1553)3月15日の銘や新三郎逆修の銘文から逆修供養として造立されたことがわかる。」
【 金勝寺墓地の十三仏説明図 】「忌日供養の仏像十三体を三列四段に配置。右下の不動明王から左に進み、ジグザグに上に進む。 最後が三十三回忌の虚空蔵菩薩である。」
尚、Weblio辞書によると、文中の「逆修供養」の「逆修」とは、生前にあらかじめ死後の冥福を祈って仏事を行うこと。
※金勝寺のHP http://www.kinsyouji.or.jp/treasure/index.html



六地蔵1/6。持物(じもつ)は、右手に錫杖、左手に宝珠。
※金勝寺のHPによると、「地蔵菩薩は、六道の世界(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人界・天界)の衆生の救済と教化につとめる仏。江戸時代延宝6年(1679)頃に造立されている。これから六道に旅立つ死者を守るため、死者の世界と現世との境である墓地に立っている。」



六地蔵2/6。右手に錫杖、左手に宝珠らしきもの。


六地蔵3/6。両手で蓮華らしきもの。


Aug.12(Tue)12:15 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

矢田山磨崖仏_金勝寺29

雑木林から抜け出ると、突然、展望が開ける。正面に生駒山地。時々、この近辺をクルマで走るが、画像のピンクの建物は記憶にない。後で地図を見て確認したら、東山駅の少し先、菊見台の住宅地を抜け、R168平群バイパスに入ってすぐのところだった。尚、画像のピンクの建物は「お食事ほがらか園」。


北西方向に生駒山を望む。


クルマに注意してR168平群バイパスを横断。画像は振り返って撮影。このようなところから、矢田丘陵への取り付きがあるとは知らなかった。


舗装道路を道なりに西へ歩く。左手は住宅地。住所は平群町椣原(しではら)となっていた。椣原の“椣”とは、カバノキ科の落葉高木の総称で、四手とも書く。その昔、シデが近辺に密生していたので、その名がついたのかも。


ほどなく、右手に金勝寺墓地が現れる。


Aug.12(Tue)12:09 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

矢田山磨崖仏_金勝寺28

その後も、いくつか分岐があったが、左方向へ進んだ。


また分岐となる。分岐を振り返って撮影。右からやって来た。このあたり、枝道が沢山あって、一度歩いたくらいでは、わからない。


踏み跡というより、林道並みに、はっきりとした道になってくる。


ここから簡易舗装道路となる。画像は振り返って撮影。


道の左右に不法投棄物が散見されるようになる。麓は近い。画像はリョウブの花。


Aug.10(Sun)20:53 | Trackback(0) | Comment(2) | 石仏 | Admin

矢田山磨崖仏_金勝寺27

何年か前までは、田んぼや畑として耕作されていたのだろう。


T氏の説明に耳を傾ける参加者の皆さん。


松尾湿原には向わず、荒地を後にする。


山道に入るが、踏み跡は比較的明確。


分岐を振り返って撮影。左方向からやって来た。右はどこへ通じているのかわからない。


Aug.10(Sun)20:52 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

矢田山磨崖仏_金勝寺26

「白石畑 平群駅」を示す道標。


こちらの道標は「平群谷」。よくわからないが、平群谷は松尾湿原のことなのかもしれない。


このあたりは、踏み跡が薄い。しかし、道標が設置されているので、それを確認しながら、先へ進むことが出来る。勿論、下見をされているので、道を失うことはないが。


突然、野原のような場所に出た。耕作放棄地だ。事前情報で知っていたから、わかっただけで、事前情報がなければ、前進するのも躊躇するような荒地。


農作業の資材置き場だったのだろう。


Aug.10(Sun)20:52 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

矢田山磨崖仏_金勝寺25

左下に見えるのは石仏を拝んでおられるお坊さんなのかもしれない。
※「石仏の辻」によると、「磨崖仏の左手に「宗善」の銘があり、地蔵左手側面にある、合掌して拝む僧形像が、宗善という念仏聖の姿であろうか・・・。「野ほとけ」より。」
仏花立ては自然の竹を上手く利用している。



磨崖仏の左に彫られた梵字。
※「石仏の辻」によると、「梵字は、「ア」 胎蔵大日と考える種子が彫られ、刷毛書、字幅の狭さ、深く彫る表現も、室町様式だそうです。」

※Wikipediaによると、「全ての梵字の中で基本となるのが「ア字」である。師僧から梵字を教わるときも、通常この字から始めるが、この字には梵字に必要な点画が全て含まれているため、この字を習得するには一生かかるとも言われる。この字だけはあらゆる諸仏諸尊の代行となることができる、トランプで言うジョーカーのような存在である。また全ての梵字はこの文字から出生すると昔から説かれている。」



磨崖仏を見る参加者の皆さん。Yさんは梵字の資料を持参し照合されていた。


磨崖仏を後にする。あたりは鬱蒼としていて、最近、下草を刈り取って整備したという印象。


藪笹のトンネルを潜る。


Aug.10(Sun)12:05 | Trackback(0) | Comment(4) | 石仏 | Admin

矢田山磨崖仏_金勝寺24

分岐から薄い踏み跡を辿ると石仏が祀られていた。涎掛けは新しい。


白石畑を示す道標。


今まで歩いて来た道と違って、踏み跡はやや薄い感じ。


登山道の左右に下草が目立つようになる。あまり立ち止まりたくない場所だが。


お目当ての磨崖仏が右斜面に現れる。苔生しているのがとても優しげに見える。


Aug.10(Sun)12:04 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

矢田山磨崖仏_金勝寺23

途中、いくつか分岐があるが、いつも左を選択し、矢田丘陵に沿って南進する。


右方向の「東山 元山上口駅」を見送り左の踏み跡を辿る。


また分岐となる。右方向の送電線鉄塔の巡視路を見送る。


踏み跡は明確で、多くのハイカーが歩かれているのだろう。


分岐。右方向への踏み跡は明確だが、我々は左を歩く。画像は右方向から分岐地点を撮影。


Aug.9(Sat)21:01 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

矢田山磨崖仏_金勝寺22

広くて歩きやすい道が続く。


元山上口駅・東山駅方面の分岐に到着。この分岐は知っていたが、歩くのはこれが初めて。


道標にあるジージークラブ、これ以降もいくつかジージークラブが設置した道標が見られた。


少し休憩して水分を補給してから出発。


このあたり、踏み跡は明確。


Aug.9(Sat)17:41 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

矢田山磨崖仏_金勝寺21

「矢田山遊びの森」の案内板を見る参加者の皆さん。


県立自然公園になっている。


キノコがあちこちで見られた。


尾根に沿った感じのよい道を歩く。左右に展望はないが、日陰なので歩きやすい。


新緑が眩い南僧坊池谷池(みなみそぼだにいけ)を通過。


Aug.9(Sat)17:41 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

矢田山磨崖仏_金勝寺20

暫く歩くと、松尾湿原への分岐となる。何年か前、この道標を見て松尾湿原へ歩いたが、途中から踏み跡が薄くなり、不明確だったので、引き返したことがある。この日は、ここへ踏み込まず。


やがて、国見台展望台に到着。


ここは奈良方向の眺望が利くが、残念ながらこの日は視界が悪い。


分岐。矢田寺分岐を右に見送り、直進(北)してこどもの森方向へ。


分岐にあった道標。「左 いこま 右 やたさん」。


Aug.9(Sat)17:40 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

矢田山磨崖仏_金勝寺19

松尾寺のご本尊は千手千眼観世音菩薩で秘仏。お寺の案内によると、特別開扉は年一回、11月3日となっていた。更に、日本で最大の役行者像と前鬼・後鬼が、修験道まつり期間のみ特別に公開される。9月1日~7日。
※松尾寺 秘仏開扉 http://www.matsuodera.com/special.html



閼伽井屋。


松尾寺霊泉の説明板。
松尾寺のサイトによると、「1300年の昔から、当山のご本尊厄除観音様にお供えする閼伽水で自然湧水。この水は昔から松尾水(まつのおのみず)と呼ばれ、不老長寿、健康のために良いと言われています。また古来、醸造に適した水として知られ、今も境内の鎮守社「松尾山神社」の社頭には宝暦8年(1758年)銘の石灯籠に南都で栄えた酒屋の杜氏たちの寄進名が彫られ残っている。」



本堂から108段の石段が北惣門に続く。


駐車場の前を通り、松尾山頂を巻いて、矢田寺方向へトラバース。やがて左手から松尾山頂から下ってくる道と合流。コースは直進。


Aug.9(Sat)13:55 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin


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