観音山_樫ヶ峰_岩倉山60 |
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| 祠のある三叉路に到着。 宝塚駅は左を歩く。
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| 二基の道標が立っている。 「六甲山 塩尾寺 十一面観世音××」と「左 塩尾寺 是ヨリ十五丁」。
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| 宝塚橋南詰の交差点に出る。 画像は歩いて来た方向。 インド料理の店の左の細い道を歩いて来た。
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| 武庫川に架かる宝来橋を渡る。
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| 14寺35分、無事に阪急宝塚駅に到着した。 おしまい。
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3月30日(木)20:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山59 |
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| 正面に甲子園大学の校舎が現れる。 この先、右折。
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| 所々、古い道標が立っている。 ここは宝塚温泉方向0.7kmに向かう。
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| 三叉路。 甲子園大学の方向から来た。 塩谷川に沿って左折。
右折すると住宅地を経て旧塩尾寺参道に繋がっているようだ。 (未確認)
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| 塩谷川の左岸を下る。 この辺りの住所は宝塚市武庫山。
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| 塩谷川に架かる月見橋を渡る。
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3月30日(木)20:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山58 |
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| クルマをまったく見ない車道を歩く。
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| 道標、「えんぺい寺 此より七百米」。 振り返って撮影。
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| 塩尾寺駐車場に到着。 駐車場に立ち寄らずそのまま下る。 トイレはない。
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| 登山者が歩いているすぐ先、右下に旧道があるが、ここでも険しい道は選ばず、車道をのんびりと歩いた。
ゴールが近い。気のゆるみが事故に繋がる。 ここは慌てずにゆっくりと歩きたい。
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| 山陽自然歩道の道標。
この道は六甲縦走路のほか山陽自然歩道でもある。
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3月30日(木)20:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山57 |
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| 塩尾寺(えんぺいじ)の山門前に到着したが、このお寺はトイレが利用出来ないので、休憩なしでスルーした。
宝塚駅へは境内に入らずに、右手前方向に折り返す。
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| 塩尾寺境内地を示す新しい標石。
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| この辺り、自然林なので落葉が多く積もっている。
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| 眺望が得られるカーブに到着。
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| ここから車道を歩かずに、急坂の階段を下る近道があるが、車道をゆっくりと歩くことにした。
眼下の建物は水道施設と見られる。
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3月29日(水)20:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山56 |
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| 登山道は少しえぐれている。
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| この辺りは深くえぐれており、このような状態はこの先も暫く続く。
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| ザラザラと滑りやすいので、慎重に歩く。
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| 塩尾寺(えんぺいじ)を示す道標。
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| 階段が現れると塩尾寺は近い。
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3月29日(水)20:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山55 |
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| 山頂の三等三角点488.4m。
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| 岩倉山の元の漢字は“磐座山”なのだろう。
画像の石仏は不動明王のようだが付近に水場はない。
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| 山頂を後にして縦走路へ戻る。 画像は縦走路(右手前)との合流地点。
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| 塩尾寺・宝塚方向へ下る。 下り一辺倒の道。
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| お馴染み「六甲全山縦走路」の道標。
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3月28日(火)20:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山54 |
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| 反射板の前ではワンコ連れのカップルが居た。
「こんにちは」。挨拶だけして先を急ぐ。
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| 反射板を左に見送る。
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| すぐに分岐となる。ここは記憶のある場所。 六甲全山縦走路の出合い。
直進は岩倉山頂。左折は大平山方向。 コースは右折して塩平寺(えんぺいじ)方向へ歩くが、せっかくなので岩倉山頂に立ち寄ることにした。
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| 来た方向の分岐に立てられていた木標。 「この先展望良」と記されていた。 先程の反射板のある場所を指している。
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| 分岐を直進して岩倉山頂にやって来た。
ここを訪れるのは僅かに二回目。
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3月28日(火)20:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山53 |
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| 再び分岐が現れる。 ここは右へ。
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| 「六甲縦走路」を左に見送り、右の「岩倉山反射板」方向へ。
左でも行くことが出来るが、目的地が宝塚駅なので、右を歩いた方が近道になる。
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| 同じような景色の登山道が続く。
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| この先、前方が開けていそう。
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| 傾斜が緩やかになると、岩倉山反射板が現れる。
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3月25日(土)20:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山52 |
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| 「犬を離すな」との注意書き。
尤もなことだと思うが、警察署が立てたものには見えないが…。
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| 分岐に到着。 ここは左へ。
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| 行者山方向を右に見送る。
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| 少し傾斜が急になる。
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| 登山道には石が交じり歩きにくい。
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3月25日(土)20:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山51 |
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| 山道の取り付きに案内板が立っていた。左。
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| 「行者山ハイキングコース」の案内板。
現在地は「ゆずり葉台口」。 この後、行者山には行かずに、東六甲縦走路方向へ向かう。
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| 暫く雑木林の傾斜の緩やかな登り道が続く。
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| 分岐に立つ道標。
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| 「白瀬川源流」分岐を右に見送る。
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3月23日(木)20:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山50 |
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| 「エデンの園」を過ぎると住宅地が現れる。
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| これはどういう風に利用するのかよくわからないが…。
「プチハウスカー 作っちゃいます」、「610加工房」と書かれていた。
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| 住宅地の中から甲山が見えた。左奥。 住所表示は「宝塚市ゆずり葉台二丁目15」。
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| 豪邸。 「ミキクラブ宝塚」となっていた。
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| 豪邸を左に見ながら左折。 突き当たり舗装道路が切れたところで右方向へ入る山道がある。
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3月23日(木)20:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山49 |
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| 譲葉社(ゆずりはしゃ)
この社は当山岳地を領(うしは)きます守護神である大山祇神(おおやまづみのかみ)をお祀りしてあります。 ご本社は宝塚神社(明治以前まで山王権現(さんのうごんげん)と称し近年まで日吉神社であった)で広大なる山林で田畑を有する小林村の守護神(氏神)で千数百年以前、山には山の神(大山祇神) 、田には田の神(素盞鳴神)を勧請し村落の安穏と繁栄を祈り今日に及んでおります。 後方の山々は主峰岩倉山(磐座=神宿る処)を始め、譲葉峰、行者岳で、この辺りは古来おそらくその名の如く神在山(かみましますやま)として崇められたものと思われます。 社殿浦より湧出する霊泉(鉱泉)は、御神水として霊験あらたかで、健康長寿の薬水として飲料水や湯泉として随所に給配されています。
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| 譲葉社の鳥居と社殿。
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| その隣に、お寺跡のような建造物が見られた。
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| 石仏は比較的新しい。
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| 「ウェル・エイジング・コミュニティ 宝塚エデンの園」の建物(裏側)を右に見て東方向へ歩く。
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3月22日(水)20:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山48 |
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| 河原の駐車場を出て住宅地へ向かう。
この先、逆瀬川の支流に架かる橋を渡る。
リーダーによると、この支流に沿って歩いても六甲縦走路に出合うが、急坂なので穏やかな道を歩くとのこと。
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| フェンスの横を通り抜ける。
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| 散歩中の犬たちに出会う。 「こんにちは」。 樫ヶ峰から河原へ下山したと云ったら驚かれた様子。
尚、私達に手を振っているのではなく、散歩のお友達と別れる為。
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| この先、「進入禁止 私有地につき立ち入りご遠慮願います 宝塚エデンの園」の看板が掛かっていた。
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| 住所は「宝塚市ゆずり葉台三丁目3」。 樫ヶ峰から北は行政区が宝塚市となる。
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3月22日(水)20:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山47 |
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| キャンプファイヤーの跡。 ごく最近のもの。
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| 仁川に変わって“逆瀬川”の河原を歩く。 左岸に渡渉。
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| 暫く河原を歩く。 堰堤が現れるが、伏流水となっているようだ。
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| やがて河原の駐車場に出て来た。
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| 犬の鳴き声が聞こえた。人家が近い。
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3月22日(水)20:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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黒岩谷西尾根_蛇谷北山【補足】 |
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| ナマズ石 ナマズ石は阪神大震災で、荒地山の山頂付近(ナマズすべり)にあったものが、この場所まで転がり落ちたものとされる。地震で移動し た石では最大のものと説明されている。この、ナマズ石の名前の由来は・・地震を引き起こしたナマズが動かした石・・・からきている そーだ。また、石の表面の文字のようなものは弥生時代に書かれた中国古代文字(ロンサン文字)とされる。稲作の文化を大陸より伝え た古代人により書かれたものといわれる。この石には、壮大な歴史浪漫を感じる。
土樋割(どびわり)峠 土樋割は、山の水が集まり住吉川の大きな流れとなるところです。徳川の時代に住吉川の水を土の樋をつくり芦屋方面に流れるようにし たところ、住吉川の水が枯れてしまい、もともと住吉川の水で、酒造りをしていた灘の酒蔵さんたちが、この土の樋を割って以来ここを 土樋割峠というようになったそうです。
魚屋道(ととやみち) 魚屋道は江戸初期から灘地方と有馬を結ぶ東六甲最古の山越え交通路で、同時の絵地図では、森から山に上り、蛙岩、山の神、風吹岩、 東お多福山、本庄橋、一軒茶屋、射場山山腹、有馬のルートを通り、「六甲越え」と呼ばれていた。幕府が、灘から有馬への正規の街道 を西宮、宝塚、船坂、有馬の線に定めた後も、遠まわりを嫌った人々はこの道を利用した。そこで、街道沿いの西宮や生瀬などの宿場の 商人は、これを「抜け荷の道」と称して、通行禁止を大阪奉行所へ訴え、しばしば紛争が生じた。文化3年(1806)に、灘本庄と有馬の人 々がひそかに道の大修理をしている。深江浜の魚は大正時代まで、ここから有馬に運ばれていた。
岡本梅林 岡本梅林」は、1796年頃「摂津名所図会」に紹介さるほど、昔から有名な梅の名所でした。大正末期まで西摂津の梅の名所として、 「梅は岡本、桜は吉野、蜜柑紀の国(みかんきのくに)、栗丹波(くりたんば)」と謳われていました。 昭和13年の阪神大水害で大半を喪失し、昭和20年の神戸大空襲で焼失、その後の宅地化でほとんどの梅を失ってしまいました。 宮崎元神戸市長が、昭和46年に渦が森三角公園、昭和50年に保久良梅林、昭和57年に岡本梅林公園を開園、その後、梅まつり実 行委員会が阪神淡路大震災の復活を願って「梅まつり」を開催、梅一つ火会が東灘区の区の花「 梅」の普及活動を推進、岡本商店街が 「岡本の梅ブランディング事業」を、そして、区役所のリードで「梅いっぱいプロジェクト」を推進して現在に至っています。
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3月21日(火)17:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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