狭山池_天野街道 |
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| 2015年10月3日(土)は南海電車の南海ヘルシーハイキングに単独で参加した。 題して「築造1400年を迎える狭山池を眺め、由緒ある寺社を訪れる」。狭山池周辺を歩くのはこれが初めて。天野街道は陶器山丘陵の尾根道歩きが楽しめた。距離約13km。参加者は450人。
コース概略 南海高野線・大阪狭山市駅_さやか公園(スタート)_狭山池博物館前_<三津屋川緑道>_三都(さんと)神社_<天野街道>_西山霊園_東大池公園・昼食_大野台第3公園_玄晶法師地蔵(酒かけ地蔵)_狭山神社_さやか公園(ゴール)_大阪狭山市駅。
画像は当日歩いたGPSログを表示している。さやか公園(スタート・ゴールとも同じ)。
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10月3日(土)19:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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紀路1(飛鳥_北宇智) |
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| 2015年9月20日(日)は、古道紀行おおばこの会に参加した。題して「古代の道 紀路パート1 -飛鳥から北宇智まで-」。 比較的天気に恵まれ暑かった。平地でアスファルト道なので日陰が少なくくたびれた。参加者は目測40人を超えていたとみられる。
コース概略 近鉄吉野線・飛鳥駅_八幡神社(高取町田井庄)_宮塚古墳_戸毛(とうげ)_阿吽寺・昼食_奉膳(ぶんぜ)_重阪(へいさか)_JR和歌山線・北宇智駅
画像はこの日歩いたGPSログ。
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9月20日(日)20:39 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理
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山辺の道 |
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| 2015年9月5日(土)の朝、急遽、山辺の道を歩くことにした。理由は日曜日が雨予報だったので、土曜日に適当なウオーキングイベントがないか探したが、これといったものがない。行き先に迷った時は私なりに「山辺の道」を歩くという定石とまではいかないが無難な選択としている。コースは桜井駅から天理駅までのおよそ16km。平地歩きとはいえ、いつも歩くペースより少し早めに歩くと、結構、ハードな歩きとなる。 尚、この日のトピックスとしては月山記念館が開放されていたので見学した。月山記念館を訪れるのはこれが初めて。
コース概略 桜井駅_JR桜井線横断_さくらいとれとれ市場_仏教伝来之地碑_海柘榴市観音堂(つばいちかんのんどう)_金屋の石仏前_三輪山平等寺_大神神社_狭井神社前_月山記念館_玄賓庵(げんぴあん)前_桧原神社・昼食_笠山荒神分岐(車谷)_大福餅無人販売所_万葉の楽園前_景行天皇陵前_崇神天皇陵前_地蔵石仏(櫛山古墳土手)_天理市トレイルセンター_長岳寺山門前_中山大塚古墳前_念仏寺前_萱生環濠集落_夜都岐神社(やつぎじんじゃ)前_天理観光農園前_内山永久寺跡本堂池_石上神社_天理教教会本部前_天理本通り_天理駅
画像はこの日歩いたGPSログを表示している。桜井駅から天理駅まで。
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9月5日(土)19:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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大木の里から犬鳴山の道39 |
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| 東方向に見えた形のよい山。後で調べるとその名も「大木富士」。
※三等三角点_点名:高城_標高339.32m。
このすぐ近く、水呑地蔵の西側に「小冨士山」と呼ばれる山があり、こちらは標高259.4m。
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| 下大木のバス停に15時39分に到着。49分発のバスを待つ。
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| 運行系統図。泉佐野駅前行きに乗車し日根野駅前で下車。バス停の名前に見える「境界橋」が、大木地区と土丸地区との境になるらしい。
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| 日根野駅前で下車し、JR阪和線を利用して帰路につく。
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| 反省会は帰路が同じ方向の有志4人。場所を思案したが、天王寺駅周辺は誰も詳しくなかった。鶴橋駅前の「風月本店」もあったが、暑いし、焼くまでに時間がかかるので、無難なところで、いつもの餃子の王将・鶴橋駅前店にて。おしまい。
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7月31日(金)20:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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大木の里から犬鳴山の道38 |
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| 中大木の風景を撮影するF氏。“菅笠”がよくお似合い。
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| 私も同じアングルで撮影。樫井川に沿う棚田の景色。
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| 東方向の山々を振り返って撮影。
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| 「国史跡日根庄遺跡の保護と大木地区ほ場整備事業」の説明板。この地図は上が南西になっており、非常にわかりにくい。地図に記載されている犬鳴温泉から、樫井川に沿って府道泉佐野打田線(粉河街道)を歩き、中大木の集落に入って水間道を歩いた。途中で左折(西)し、長福寺跡を経て現在地までやって来た。
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| 下大木のバス停へ向かうが、道がわかりにくい。偶然出会った地元の女性に聞き、バス停までの近道を教えて貰った。更にその女性は親切にも近道の取り付きまで案内して頂いた。画像は民家の脇に続く近道。
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7月31日(金)20:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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大木の里から犬鳴山の道37 |
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| 中大木(なかおおぎ)地区の掲示板に貼ってあった「重要文化的景観 日根庄大木(ひねのしょうおおぎ)の農村景観」のポスター。
※泉佐野市のHP 「日根荘大木の農村景観」について、大木地区は日根荘のころ、土丸地区と合わせて入山田村(いりやまだむら)と呼ばれ、領主の九条政基(くじょうまさもと)が1501年から4年間滞在し、『政基公旅引付(まさもとこうたびひきつけ)』を記した舞台になりました。現在の風景を構成するため池や水路、農地、寺社堂などは、その多くが中世の日根荘に由来するもので、地域の人びとが長い歴史の中でその時代や暮らしの変化に合わせながら受け継いできました。豊かな景観が広がり歴史的変遷をたどることができる、重要な地域であることから、本市の貴重な文化遺産として、次の世代へ受け継いでいきたいと考えています。平成25年10月17日に、大阪府初の重要文化的景観に選定されました。今後も地域の資産として保護と活用の取り組みを進めていく予定です。
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| 民家の庭。傾斜地にあるので、庭も傾斜となっている。手摺が見えるが、高齢者がお住まいなのだろう。こちらの家も、先ほどの家と同じく、玄関に注連縄が飾ってある。この地方では、いつまで飾るのだろう。
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| お地蔵さんを祀った祠。祠の前に丸い石が幾つも並べてある。“力石”かもしれない。
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| この日初めて「たまねぎ小屋」にたまねぎを吊るしてある実物を見た。
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| 水間道を歩く。クルマはまったく通らない。
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7月31日(金)20:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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大木の里から犬鳴山の道36 |
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| 左の石仏は磨耗が激しい。「右 水間寺」だろうか。
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| 左の文字は磨耗して読めない。
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| 格子窓の民家。左は蔵だろう。
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| 左方向に続く分岐を見送り、右上へ進む。こちらの道の方が、古い道に見えた。画像は分岐を振り返って撮影。
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| 何気なく民家を撮影しょうとしたらお二人が写ってしまった。「こんにちは」。右の女性はこの後、私達にいろいろと話し掛けて下さった。それにしても石垣が多い。どこか懐かしい田舎の雰囲気。
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7月30日(木)19:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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大木の里から犬鳴山の道35 |
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| 再び車道から右に折れて旧道を探す。建設会社の資材置き場に入って行くと、樫井川に架かる橋が見えた。あの橋を渡れば、上大木に行けるハズだが、いかんせん、資材置き場は立入禁止になっており、やむなく車道に引き返す。
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| 車道の右端を一列縦隊で歩く。
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| 上大木(かみおおぎ)の交差点で右折し旧道(水間道)へ入る。
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| 樫井川に架かる恩随橋(おんずいばし)を渡ってすぐ左、左に道標を兼ねた石仏と、右に道標。左の石仏は折れている。
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| 右の道標は「右 水間寺」。「左 さの貝塚」だろう。(これ以降撮影した3枚の画像はライトアップしている)
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7月30日(木)19:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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大木の里から犬鳴山の道34 |
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| 「両界の滝」を通過。
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| 犬鳴山バス停まで戻って来た。ここで一旦解散となる。このままバスに乗って帰る人と、ここから大木(おおぎ)まで歩き、大木の集落を散策する人のグループに分かれた。私は後者のグループに入ることに。
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| 犬鳴山バス停から車道を歩き一土庄橋バス停までやって来た。付近に設置されていた案内図。地図に表示されている青線は車道を表している。
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| 引き続き車道を歩く。クルマの往来が多い。
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| 途中、車道歩きを避ける為、右折して上大木の集落へ抜ける旧道を探したがわからなかった。
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7月30日(木)19:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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大木の里から犬鳴山の道33 |
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| 渓流のせせらぎが心地よい。
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| 右手前より宿坊からの道と合流する。
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| 川原で涼む人達。魚釣りをする人も。
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| 景観を楽しみながら、ゆっくりと下山する。
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| 手摺を使って階段を降りる。
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7月30日(木)19:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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大木の里から犬鳴山の道32 |
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| コンクリートの広場に立つ巨大な「身代わり不動明王」。
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| その右には役の行者。
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| 身代わり不動明王像の右手奥、鳥居を潜ったところに裏行場への取り付きがあった。Y氏にここまで案内して頂いた。
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| 道標があったが、錆びてよくわからない。右下に記されている「鉄山」は、犬鳴山の修験者の名前とみられる。
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| 広場で暫く休憩後、もと来た参道を下る。
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7月29日(水)19:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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大木の里から犬鳴山の道31 |
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| 役の行者像の下にある「行者くぐり岩」の説明板。説明文によると、三回穴をくぐる。
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| 最近はどんなことでも、男性より女性の方が積極的。まずはI(B)さんが挑戦。
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| 続いてI(D)さんもチャレンジ!!
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| 「行者の瀧」を後にし、本堂に戻る。「昇龍倶利伽羅不動明王について」の説明板。
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| 旧参道に架かる石橋。
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7月29日(水)19:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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大木の里から犬鳴山の道30 |
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| 「行者の瀧」。手前は「行者橋」。
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| 予想以上にスケールが大きく、涼しくて快適。大満足。
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| お二人が指差しているのは、滝行に使用する「鎖」だろう。
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| カメラを構えている女性の場所は、とても涼しくて、じっとしていられないくらい。この後、その場所へ足を運んだ。
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| 役の行者像。
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7月29日(水)19:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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大木の里から犬鳴山の道29 |
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| 「七宝瀧寺」の本堂に到着。
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| 板の間を土足で通り抜ける。
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| これらの白装束は「行者の瀧」で、瀧修行をおこなう人達の貸衣。
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| 「行者の瀧」へ向かう。案内によると、ここから100m先。
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| 前方に見える滝が「行者の瀧」。左に見える赤い建物は「清滝(せいりゅう)堂」。ここで志納金50円を納める。
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7月29日(水)19:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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大木の里から犬鳴山の道28 |
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| 左斜面に「義犬の墓」の説明板。
「宇多天皇寛平二年三月十五日(一〇八〇年前)紀伊の国の猟夫 当山の行場である蛇腹附近に鹿を追ったとき 樹間に大蛇あり、猟夫を呑まんとす。猟夫その由を知らず。愛犬しきりに鳴いて猟を遮りぬ。猟夫怒りて愛犬を切る。愛犬の首飛んで大蛇に咬みつき共に斃(たおれ)る。猟夫我が生命を守りし義犬を弔わんが為に剃髪して庵(いおり)を結んで余生をおくりたりと。その事朝聞に達し、一乗山改め犬鳴山と勅号を賜わった。」
寛平二年は平安時代、西暦890年。
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| 「義犬の墓」に立ち寄ろうとしたが、急斜面で足場が悪く崩壊しており、通行禁止となっていた。
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| 「厄除十二面観世音」にお参りする人。
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| 五本松・高城山分岐を左に見送る。左はハイキングコースのようだ。
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| 苔生した水掛不動尊。
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7月28日(火)20:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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