山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


ウォーキング・散策

(続)百舌鳥古墳群_堺市博物館_百舌鳥八幡宮

仁徳天皇陵古墳。別名:大仙陵古墳
・実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」として第16代仁徳天皇の陵に治定されている。
・名称は「仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)」や「仁徳陵古墳」とも。
・全国で第1位の規模の巨大古墳であり、同古墳を擁する堺市は、クフ王ピラミッド及び秦の始皇帝墓陵に並ぶ「世界三大墳墓」と称している。

画像は拝所。



仁徳天皇陵古墳の堀(周濠)は三重になっていて、地上からは一番外のお堀しか見えず。(撮影した画像)


慶長大火縄銃
現存するうちで、全長3メートルを測る日本最長の火縄銃。
堺市博物館にて。



大阪府指定天然記念物に指定されている樹齢約800年の巨大なクスノキ。
百舌鳥八幡宮にて。



百舌鳥八幡宮の境内に移設された道標。
「すく かうやさん こん古(こ)う山 道 / 右 いゑ(え)者(は)ら 大鳥一の宮 道 / さ可(か)い神南辺 / 文政十三年×」。
“いゑ(え)者(は)ら”は、家原寺を指していると思われる。

つづく。



3月20日(水)20:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

百舌鳥古墳群_堺市博物館_百舌鳥八幡宮

2019年2月23日(土)は土曜会に参加した。
タイトルは「百舌鳥古墳群と百舌鳥八幡宮をめぐる」。

<概要>
この日訪れた“百舌鳥古墳群”は下記三つの古墳。
1.反正天皇(はんぜいてんのう)陵古墳。別名:田出井山古墳。

2.仁徳天皇陵古墳(別名:大仙陵古墳)と陪家(ばいちょう)として大安寺山古墳、塚廻(つかまわり)古墳。
 ※陪冢(ばいちょう・ばいづか、陪塚とも)は、日本の古墳時代に築造された古墳の様式。 大型の古墳とともに古墳群をなす小型の古墳であり、なおかつ大型の古墳と同一の時代に、その周囲に計画的に付随するように築造されたとみなされるものを指す。

3.ニサンザイ古墳。(別名:土師ニサンザイ古墳)

<主な訪問地>
1.放違神社(ほうちがいじんじゃ)
・方違え、方災除けの神。
 方違え(かたたがえ、かたちがえ)とは、陰陽道に基づいて平安時代以降に行われていた風習のひとつ。
・社地は摂津、河内、和泉の境の三国山(現在は三国ヶ丘と称される)にあり、三令制国のいずれにも属さない地、方位のない地であるとして、古くから方位、地相、家相などの方災除けの神社として信仰を集めてきた。
・現在でも、転勤、結婚などでの転宅や海外旅行などの際に祈願する参拝者が多い。
 自分の在所からでかけていく先の方位についてのお祓いをしてもらい、清めの御砂を頂いて、自分の家の四方に撒く。

2.堺市博物館
・大仙公園内にある人文科学系の博物館。市制90周年記念事業として1980年に開館。
・博物館の展示構成は、「常設展・スポット展示」と「企画展・特別展」に大別される。
 常設展の展示コンセプトは「堺 -仁徳陵と自由都市-」で、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)に代表される百舌鳥古墳群からの出土品、近世の自由都市「堺」の都市史等資料や鉄砲などの交易品、千利休や与謝野晶子、河井酔茗をはじめとする堺出身の著名人の資料などを展示し、古代から近代に至るまでの堺の歴史を紹介。

3.百舌鳥八幡宮
・祭神 応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、住吉大神、春日大神。
・創祀は欽明天皇(532年-571年)の頃、八幡神の宣託をうけてこの地を万代(もず)と称したのがきっかけと伝わる。
・天平元年(729年)、行基によって境内に神宮寺として万代寺が建立され、やがて神仏習合し、万代寺は百舌鳥八幡宮の奥の院となった。
・平安時代には僧坊48ヶ寺、社家360人、神領寺領八百町歩を擁する寺院となるが、保元3年(1158年)時点では石清水八幡宮の別宮となっていた。
・戦国時代や慶長20年(1615年)の大坂夏の陣などで荒廃する。
・江戸時代、大坂城代が替わる度に、この神社に参拝していたという。

<コース>
JR阪和線堺市駅9:51_サンスクエア堺(堺市立勤労者総合福祉センター)前_大阪刑務所前_方違(ほうちがい)神社_反正天皇(はんぜいてんのう)陵古墳_説明板(反正天皇陵古墳)_府立三国丘高校前_けやき通を南へ_AGREEけやき店前_道標(竹内街道)_はや 総本店前_南海高野線に架かる跨線橋を渡る_中央環状線に架かる榎橋歩道橋を渡る_道標(↑西高野街道)_案内板(古代のロマン 仁徳陵周遊路案内)_道標(西高野街道)_説明板(大安寺山古墳)_道標(右 仁徳天皇御陵参拝道)_説明板(塚廻古墳)_大仙公園観光案内所前_仁徳天皇陵古墳 拝所_大仙公園_11:20カフェ イロハ・昼食12:05_千利休像_堺市博物館_南海バスもず駅前バス停前_御陵通りを東へ_もず庵(土産物店)前_JR阪和線百舌鳥駅前_百舌鳥八幡宮一の鳥居_常夜燈(放生會講)_南海バス赤畑町バス停前_道標(百舌鳥八幡宮↑)_説明板(国指定重要文化財 髙林家住宅)_百舌鳥八幡宮・大阪府指定 天然記念物 百舌鳥八幡宮のくす・説明板(百舌鳥八幡宮)_境内に移設された道標(すく かうやさん こん古(こ)う山 道 / 右 いゑ(え)者(は)ら 大鳥一の宮 道 / さ可(か)い神南辺 / 文政十三年×)_案内板(←尾羽根 天満宮 150m)_道標を兼ねた供養塔(天下和順(てんげわじゅん) 日月清明(にちがっしょうみょう) 奉納大乗妙典六十六部供養塔 泉州大鳥郡万代 梅村住宗全 / 天明二年寅八月廾三日 / 右 家原 左 高野山)・道標(左 くろやま 右 いえはら)・五輪塔(永禄十一年 四月廾六日 妙正)・石柱(× 香具問屋 岡村平兵衛)・花立(尾羽根)・石柱(道しるべ 尾羽根)・供養塔?(釋 智玄信女 似泡童子 各霊)_スーパー イケチュー もず店前_夢の樹(社会福祉法人)よろこびの園前_御陵山公園_説明板(ニサンザイ古墳)_14:37地下鉄御堂筋線なかもず駅

<メモ>
・参加者総勢: 7名。
・コース歩行 (JR堺市駅~地下鉄御堂筋線なかもず駅までの所要時間と距離)
 歩行距離: 約9.4km。
 所要時間: 4時間50分。
・当日歩行 (自宅~自宅までの正味歩いた時間と推測距離)
 推測距離: 約16.0km。(0.67m×23,949歩=16,045m)
 歩行時間: 3時間47分。
 歩数: 2万4千歩。
・反省会: 串皇 難波店 参加:4名。

画像はJR阪和線堺市駅から地下鉄御堂筋線なかもず駅まで、当日歩いたGPSログを表示。



大阪刑務所。
府中刑務所に次ぐ収容能力を持ち、西日本では最大規模の刑務所。



方違神社の説明板。

方違神社の起源は古く、崇神天皇(すじんてんのう)の勅願により創建されたと伝えられています。
このあたりは、摂津、河内、和泉の三国の境に位置しているため、“三国山”“三国の衢(ちまた)”また“三国丘”と称されていました。
三国の境界にあるため、方角の無い聖地であると考えられ、古来より方災除けの神として参拝者が絶えませんでした。
奈良時代には、行基が布施屋を設け旅人の休憩場所となるなど、人馬往来の中心となり、平安時代には、熊野詣の通過地点でもあったため、人々は旅の安全を祈ったといわれています。
また、明治元年の京都から東京への遷都の際には、17日間の祈祷が行われています。
現在も、引越しや旅行の際に、全国から多くの方が参拝に来られています。
毎年5月31日の例大祭「粽祭」(ちまきまつり)には、悪い方位をはらうという、菰(こも)の葉で埴土(はにつち 境内の土)を包んだ粽を奉納する神事を行っています。



反正天皇(はんぜいてんのう)陵古墳。別名:田出井山古墳
・実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)」として第18代反正天皇の陵に治定されている。
・百舌鳥古墳群の北端に位置し、墳丘長148メートルで百舌鳥古墳群の中では7番目の大きさである。
・墳丘は3段に築かれ、かつては二重濠があったと確認されている。
・墳丘の形態や出土した埴輪より、5世紀中頃に造築されたと考えられている。
・周辺には陪塚と推定される鈴山古墳・天王古墳があり、宮内庁が管理している。



日本マンホール蓋学会のサイトによると、
木製の六角形をした旧堺灯台と、海の上を沢山のカモメが飛んでいるデザイン。
“さかいし”“ごうりゅう”と刻まれており、合流管マンホールの蓋。

つづく



3月19日(火)18:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

(続々)千里(南・中央・北)公園_大阪大学

北千里駅方面へ向かう途中、千里青山台団地では、懐かしい昭和時代に建設された団地を見ながら歩いた。


北千里駅近くになるとURのマークが付いた巨大な賃貸住宅ビルが現れる。


植栽されたフクジュソウ。
千里北公園にて。



街路樹として植栽されたタイワンフウの実。
タイワンフウは私が住んでいる近くの菖蒲上池でも見ることが出来る。



野生化したオキザリス。別名:オオキバナカタバミ。
この花の開花時期は4~9月とされるが、自宅のオキザリスは真冬に咲いている。
温暖化の影響かもしれない。
逆に真夏にはほとんど花が咲かないし葉も消える。
画像は群生しているが、自宅もこれと同じ。
但し、群生するのに結構時間が掛かった。

おしまい。



3月14日(木)18:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

(続)千里(南・中央・北)公園_大阪大学

ユーカリの木があったので、葉っぱを揉んで匂いをかいだが、清涼感のあるハーブの香りがした。
これは覚えておきたい。
知ってる?コアラがユーカリを好きな理由

千里南公園にて。



千里南公園には牛が首池の北半分を利用して鯉の釣り堀がある。
料金は大人700円、中学生以下500円。
貸竿(エサ付)大人千円、中学生以下700円。
釣り時間8:00a.m.~4:30p.m.
千里南公園(大阪府吹田市)



千里中央公園は千里南公園と比較すると、散歩する人も少なく寂しい感じ。
“中央公園”の名があるが、所謂“千里中央”ではなく、新千里東町より更に東、豊中市の東端に位置している。

展望台に立ち寄ろうとしたが閉鎖されていた。



「オバQ / 辻 普堂 / 寄贈 株式会社 住友銀行」と彫られた野外彫刻。
オバQに似ているかどうか!?
どの部分が目?口?・・・という話で盛り上がった。
ネット検索すると設置年月は昭和45年、設置者:大阪府。
千里中央公園にて。



府道吹田箕面線緑道の案内図。
第26回緑の都市賞を受賞している。
この後、現在地から北へ歩き、右折して新千里3号線を北千里駅方面へ歩いた。

つづく。



3月13日(水)19:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

千里(南・中央・北)公園_大阪大学

2019年2月17日(日)は、おおばこの会に参加した。
タイトルは「千里緑道から万博公園へ~都市の森を探検しよう~」。
スタートは阪急千里線南千里駅。ゴールは同線山田駅。
(但し万博記念公園駅から山田駅までは大阪モノレールに乗車)

<概要>
阪急千里線南千里駅から北に向かって歩く。
すぐに千里南公園に到着。

梅林、桜林(さくらばやし)があったが、先の台風の影響とみられる倒木が随所に見られた。
倒木は放置することなく整備されていた。
梅林は木の剪定がなされておらず、間延びしていて蕾も少なく樹勢は弱い。

千里南公園を後にして津雲台公団住宅の中を歩く。
津雲公園を目指したが、歩くコースが西にズレてしまい、結局訪問せず。

中国自動車道に架かる上新田跨道橋を渡ると、行政区が吹田市から豊中市に変わる。
「豊泉家 千里体育館」が見えその奥に千里中央公園が続いている。
“豊泉家”はネーミングライツと思われる。
ネーミングライツとは

千里中央公園でトイレ休憩。
展望台に立ち寄ろうとしたが立入禁止になっていた。

府道吹田箕面線緑道を歩いて、北千里駅方面へ向かう。
途中、千里青山台団地では、懐かしい昔の団地の光景を見ながら歩く。

この道は「三色彩道」(さんしきさいどう)という名前が付けられている。
吹田市唯一の紅葉の名所で、秋には街路樹のタイワンフウが真っ赤に色づき、赤・黄・緑の3色に彩られるそうな。
ピアノ池・三色彩道コース

大阪大学の表示板を見て直進。
昼食予定地の水遠池(ずいおんいけ)へ向かうが、護岸の改修工事中で柵が設けられ、園路は通行止めとなっており、水遠池の近くに立ち入ることさえ出来ず。
この為、千里北公園で昼食を取ろうとしたが、東入口が閉鎖されていた。
付近を歩く人に聞いて、公園の周りをほぼ一周して西入口から入り昼食。

昼食後、護岸改修工事中の水遠池の塀に沿って東へ歩き大阪大学吹田キャンパスに入る。
阪大微生物病研究会、大阪大学飛行機制作研究会など、キャンパス内は高層ビルが林立する。

やがて、キャンパスから出て万博記念公園へ向かおうとしたが、出口が見当たらない。
方向的には南で、キャンパスの地図を見ると、正門が南端にあったので正門を目指して歩く。
ところが、日曜日ということもあって、正門は閉ざされており、外に出られない。
この時、左方向に踏み跡があったので辿ったが、後で確認すると、右へ行けばすぐに出られた。
おまけにそこは万博記念公園の入口にもなっていた。

成り行きで左方向へ進むと、大阪モノレール阪大病院前駅を通らざるを得なく、駅の中を通り抜けた。
その後は、延々と万博外周道路脇の歩道を歩くことになった。
塀の向こう側は万博記念公園だが、入口が見当たらない。

万博記念公園駅に到着すると、当初予定していた万博記念公園の散策はT氏のみ参加され、他の者はそのままモノレールに乗って帰路に着いた。
私は山田駅で阪急千里線に乗り換えたが、大多数の人たちは、千里中央駅に向かったようだ。

以上、この日歩いたコースは下見が十分に行われていなかったようで、スムーズに歩くことが出来なかった。
1.昼食予定地の水遠池(ずいおんいけ)は、護岸の改修工事中で柵が設けられ、池の近くに立ち入ることさえ出来ず。
2.その為、千里北公園で昼食を取ろうとしたが、東入口が閉鎖されており、公園の周りをほぼ一周して西入口から入る破目に。
3.大阪大学構内から外へ出る際、日曜日で正門は閉門。大回りして大阪モノレール阪大病院前駅を経由して大学の外へ出た。
4.塀の向こう側にある万博公園へ入るのに、万博公園の周りに通じる万博外周道路を塀に沿って延々と歩いた。
  後でわかったが、正門から西、グランドに沿って歩くと、万博口(歩行者通用門)があった。

<コース概略>
9:12阪急千里線南千里駅9:38_千里南公園_千里中央公園_千里北公園・昼食_大阪大学吹田キャンパス_14:00万博記念公園駅_<大阪モノレール>_14:15山田駅

<メモ>
・参加者総勢: 14名。
・コース歩行 (南千里駅~山田駅までの所要時間と距離 但し万博記念公園駅から山田駅までは大阪モノレールに乗車)
 歩行距離: 約14.2km。
 所要時間: 4時間37分。
・当日歩行 (自宅~自宅までの正味歩いた時間と推測距離)
 推測距離: 約17.2km。(0.67m×25,672歩=17,200m)
 歩行時間: 4時間2分。
 歩数: 2万6千歩。

画像はこの日歩いた阪急千里線南千里駅から大阪モノレール山田駅までのGPSログを表示している。
(万博記念公園駅から山田駅までは大阪モノレールに乗車)



画像右端の女性はT先生のお知り合いで、この近辺に以前からお住まいとのこと。
この日は行程の途中までサポートして頂いた。



千里南公園案内図。
梅林、桜林(さくらばやし)があって、驚くことに釣り堀があった。

牛が首池は名の通り牛の首に見える。



水鳥や手入れされた花壇に心が和む。
千里南公園、牛が首池にて。



釣り堀で鯉を釣る人。
スイセンがほぼ満開。
同じく牛が首池にて。

つづく。



3月12日(火)18:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

(No.4)追分梅林

「→矢田× / 大阪 深× / ?宿坊」と刻まれている。
この辻は矢田寺方向の分岐になっている。



常夜燈には「木嶋社 / 闇夜燈 / 往来安全 / 天保七年 / 取次 山上×兵衛」と刻まれていた。
“木嶋社”は「登彌神社」(とみじんじゃ)を指している。



間男(まおとこ)地蔵。
旧砂茶屋の辻に祀られている。
辻の向い側には富雄村道路元標が埋められていた。
奈良市中町 地蔵堂〔間男地蔵〕



享保六年の銘。


R308、左に瓢箪池を見て進み、新池の手前で左折。
祠に祀られた双石仏他石仏が数体。

おしまい。



3月11日(月)18:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

(続々)追分梅林

奈良市指定文化財村井家住宅。
家の周囲には道標や石像物が多く立つ。



道標。
残念ながら読めない。



一部の文字が判読出来なかった。
ネット検索すると、「右 こをりやま 左 なら はせ いせ 道 / 左 なら はせ いせ 道」。



追分梅林の記念碑。
後方は砂土を入れている。
かつてのウメ畑の姿はない。



R308の辻に立つ道標と右奥に常夜燈。
右の電信柱の手前に石柱が見える。
石柱には“一〇七一二号”と刻んであったが意味不明。



3月11日(月)18:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

(続)追分梅林

五輪塔。大きくて立派。
欠損はないように見えた。
永禄七年の銘。
中町笹谷共同墓地にて。



昔、手前の“棺台”に棺桶を置いたのだろう。
この棺台の形からすると、長方形の寝棺ではなく、土葬用の座棺を置いたように見える。
土葬は明治時代までは多くの地域で行われていた。
ちなみに、私の母方のお祖父さんは土葬だった。
私が小学生の頃(昭和40年くらい)の話。

中町笹谷共同墓地にて。



蓮華座状の棺台。
カビのようなものが生えており、今は使われていない。
★梵字(キリーク)→ 阿弥陀如来



受取地蔵ではなく弥勒菩薩?
★梵字(バク)→ 釈迦如来



かつてウメ畑が広がっていた追分梅林。
よく見ると、新たにウメの木を植栽されていた。


つづく。



3月10日(日)18:20 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理

追分梅林

2019年2月13日(水)は自宅付近をウォーキングした。
観梅にはまだ少し早かったが、奈良市の追分梅林の様子を見に行った。

<概要>
追分梅林は奈良市中町(なかまち)にある。
“中町”は奈良市の南西部に位置している。
画像の通り広大な範囲で、一体何時頃から“中町”と呼ばれるようになったのか知らないが、ごく最近だろう。

“追分”は旧称で暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)にあって、由緒ある名前が住所表示から消えるのは、如何なものかと思う。
新興住宅地には“さつき台”やら“ヒノキ台”、“若草台”など、歴史とまったく関係のない名前が付けられるが、過去の歴史など顧みる必要がないと云うことはないだろう。

それは兎も角、追分梅林は30年くらい前からウメの花見として訪れていた。
ところが、3年くらい前だったか、久しぶりに訪問したら、畑の回りに塀が築かれ、外から中の様子が見えないようにしてあって驚いた。
僅かな隙間から覗くと、ウメ畑が宅地造成されつつあるように見えた。
一体、何故!?
こんなところに住宅?

この疑問はずっと解決しなかったが、この日地元の人から、事情を聞くことが出来た。
私はてっきり、ウメの木を枯らすウイルスに感染したのかと思っていたがそうではなかった。
時期的にも少し違っている気もしていた。

地元の人の話では、ウメ畑が水没したという。
山から流れる水の方向が変わったと話された。
どの程度水没したのか知らないが、かなりの傾斜地にウメ畑がある。
水没した時の光景が目に浮かばないが、大雨だったのかもしれない。

水没をきっかけに、今後どうするか皆から意見を聞き、多数決でウメ畑を再生することにしたという。
元のウメ畑に戻るには30年くらいか、もっとかかるだろう。
10年くらいで、チラホラ花が見られるかもしれない。
しかし、気の長い話だ。

画像は奈良市中町の範囲を示している。



<コース>
自宅11:53_蛙股池_奈良西警察署前_学園大和第3号街区公園前_阪奈道路の高架下を潜る_奈良市立富雄南中学校前_杣川に架かる橋を渡り右岸へ_県道7号線に架かる歩道橋を渡る_富雄川に架かる橋を渡る_奈良市立富雄南小学校前_石仏_石仏_大日寺_五輪塔_中町笹谷共同墓地_第二阪奈有料道路に架かる跨道橋を渡る_追分梅林_奈良市指定文化財村井家住宅前_道標(右 こをりやま 左 なら はせ いせ 道 / 左 なら はせ いせ 道)_記念碑(追分梅林 記念碑)_奈良市企業局 大和田配水池前_分岐で若草台方面を右に見送り左折_第二阪奈有料道路の高架下(高さ制限2.5M)を潜る_R308_住所表示板(中町山ノ上)_山上庵前_道標(→矢田× / 大阪 深× / ?宿坊)・石柱(一〇七一二号)・常夜燈(木嶋社 / 闇夜燈 / 往来安全 / 天保七年 / 取次 山上×兵衛)_体験農園場 大和の里前_富雄川に架かる下鳥見橋を渡る_富雄村道路元標_間男(まおとこ)地蔵_砂茶屋交差点で県道7号線を横断_la Brique(ラ・ブリク れん瓦窯焼パン工房)入口_赤膚焼窯元大塩昭山前_第二阪奈有料道路の高架下を潜る_瓢箪池を左に見て新池の手前で左折・祠(双石仏他石仏数体)_奈良市立伏見南小学校前_蓬莱神社前_14:17自宅

<メモ>
・コース歩行 (自宅~自宅までの所要時間と距離)
 歩行距離: 約10.1km。
 所要時間: 2時間24分。
・当日歩行 (自宅~自宅までの正味歩いた時間と推測距離)
 推測距離: 約9.7km。(0.67m×14,473歩=9,696m)
 歩行時間: 2時間8分。
 歩数: 1万4千歩。

画像は自宅から追分梅林まで、時計回りと逆方向に周回したGPSログを表示。



辻に祀られていた石仏。
この場所に祀られている限りは安泰かもしれない。
しかし、道幅を広める為、水路を塞ぐことになれば、どこかへ移動することになるかも。

奈良市中町、中町公民館南側の辻にて。



すぐ近くに、もう一体の石仏が見えたので、少しだけ寄り道して立ち寄った。
石仏は古いが台座など、花立や周辺の石造物は新しい。
大切にされていることが窺える。



石造物群。箱石仏が多い。
奈良市中町、大日寺の境内にて。

つづく。



3月9日(土)18:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

(続々)酒蔵みてある記(城陽酒造)・青谷梅林

枝垂れウメ。
城陽酒造にて。



街かど トレジャー“ますだおかだ増田”現る!?
「お~い、こっち向いて!」パチリ!!
城陽酒造にて。



スタンドふじ 本店 (大阪市阿倍野区阿倍野筋 ルシアスビル B1F)
反省会場にて。



だし巻き280円はお値打ち。
地酒はどれでも380円。



ぽんかんサワーは、ぽんかんのシャーベットが入っていた。

おしまい。



3月8日(金)18:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

(続)酒蔵みてある記(城陽酒造)・青谷梅林

白梅。
匂いは紅梅より白梅の方が強い。



菜の花とウメ。
青空が欲しかった。



民家の庭に咲く枝垂れウメ。


道標。
「延元役 梨間の宿跡 / 是南 玉水三十丁 / 是北 長池十五丁 / 昭和三年十月稟京都三宅安兵衛遺志建之」。
“延元役”は、足利尊氏が後醍醐天皇の建武政権に対して反旗を翻した挙兵のことで“建武の乱”とも称される。
また、“梨間”は現在の城陽市“奈島”を指しているようだ。
城陽市奈島久保野にて。



本日の参加者630名。


3月8日(金)18:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(城陽酒造)・青谷梅林

2019年3月6日(水)は近鉄の「酒蔵みてある記(城陽酒造)」に現役時代の同僚2人と参加した。

<概略>
スタートは近鉄京都線新田辺駅。ゴールはJR奈良線山城青谷駅。
昼食場所の青谷梅林 梅まつり会場でYa氏と出会った。
参加者は平日ということもあってやや少な目の630名。
城陽酒造では、街かど トレジャー“ますだおかだ増田”に出会った。
反省会はスタンドふじ 本店。(阿倍野ルシアスビル B1F)

昨年とまったく同じコースを歩いたので詳細については割愛する。
昨年の記録は下記。
酒蔵みてある記_城陽酒造

<コース>
10:10近鉄京都線新田辺駅10:27_一休さんの像_馬坂川(天井川)の馬坂橋を潜る_近鉄京都線を左にJR奈良線を右に沿って歩く_R307に出合いこれを東へ_防賀川(ぼうががわ)公園前_防賀川に架かる出合い橋を渡る_京阪バス東田辺バス停前・東屋_木津川に架かる山城大橋を渡る_山城大橋東詰交差点でR24を横断_JR奈良線に架かる跨線橋を渡る_青谷橋交差点を左折(北)_市辺(いちのべ)天満神社_想い月夢工房前_向河原遊園前_龍福寺前_中天満神社_山の神を祀る三の口_11:56青谷梅林 梅まつり会場・昼食12:17_道標(延元役 梨間の宿跡 / 是南 玉水三十丁 / 是北 長池十五丁)_城陽酒造・試飲_13:20JR奈良線山城青谷駅。

<メモ>
・参加者: 3名。
・コース歩行 (新田辺駅~山城青谷駅までの所要時間と距離)
 歩行距離: 約9.8km。
 所要時間: 2時間55分。
・当日歩行 (自宅~自宅までの正味歩いた時間と推測距離)
 推測距離: 約14.7km。(0.67m×22,005歩=14,743m)
 歩行時間: 3時間37分。
 歩数: 2万2千歩。
・反省会: スタンドふじ 本店 (大阪市阿倍野区阿倍野筋 ルシアスビル B1F)

画像はこの日歩いた近鉄京都線新田辺駅からJR奈良線山城青谷駅までのGPSログを表示。



京都青谷梅林 梅まつりのパンフレット。
梅まつりは3月17日(日)まで。



城陽市市辺西川原付近にて。


梅の里 青谷のシンボル的な木、実梅品種の「城州白」。
城陽市名木に指定。



ピンクが美しい。
青空ならもっと良かったが、雨に降られるより“まし”だ。
この日は雨傘の出番はなかった。

つづく。



3月7日(木)18:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

江包・大西の御綱祭り10

かなり上まで本体が持ち上がった。
ほぼ右45度の角度で木にぶら下げようとしている。



男性二人が木に登って女綱を固定しようとしている。


画像左に見える“尾”の先は、先ほど渡った大和川の橋に引っ掛ける。
この後、男綱は同じように左の木にぶら下げる。



女綱が“入舟の儀式(男綱と女綱の合体)”の準備をしているところ。


男性二人が作業している場所が女綱の合体部分。


3月5日(火)18:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

江包・大西の御綱祭り9

女綱を木にぶら下げる。
まずは、わら縄を木の枝に引っ掛けているところ。



わら縄は女綱の“尾”に括り付けてある。
わら縄を引っ張って“尾”を木の枝に引っ掛ける。



男性が“尾”を背負い、木の枝に引っ掛けようとしている。


女綱の本体が少しだけ木にぶら下がっている。


女綱の本体を更に上に持ち上げる。


3月5日(火)18:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

(続)洛西観音霊場4(卒台寺_正覚寺)

恵解山(いげのやま)古墳は、広大な古墳で、付近一帯は整備されており、至る所に説明板が置かれている。
恵解山古墳



当初の予定にはなかった「中山修一記念館」を訪問し、約半時間、係りの人から説明を聞いた。
画像は中山修一記念館にて撮影。
中山修一
中山修一氏の世界
中山修一記念館



ねじりマンポ(円明寺架道橋)。
私は潜る途中に、三度軽く頭をぶつけた。



「ねじりマンポの造り」説明板。
おそらく日本一小さな「ねじりマンポ」。



民家の擁壁に転用された道標。
「右 やなぎ谷」。
右面にも文字が刻まれていたが読めず。

おしまい。



2月24日(日)18:01 | トラックバック(0) | コメント(3) | ウォーキング・散策 | 管理


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