薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園46 |
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| 長岡京(784~794年)に排水溝に使われていた竹。
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| 日本や世界の竹が紹介されている。
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| 茶筅。
奈良県生駒市高山町は日本の茶筅の生産量の8割~9割を占める。
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| 館内はイスもあってゆっくり出来る。
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| F氏が石仏群があるというので資料館から出て庭(生態園)へ向う。
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1月10日(木)18:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園45 |
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| 入園は無料。
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| モウソウチク。(孟宗竹) モウソウチクは、更に「図面竹」、「図面平竹」、「図面角竹」などに細分化されるようだ。
モウソウチク - Wikipedia によると、 モウソウチク(孟宗竹)はアジアの温暖湿潤地域に分布する竹の一種。 種名は冬に母のために寒中筍を掘り採った三国時代の呉の人物、孟宗にちなむ。 別名江南竹、ワセ竹、モウソウダケ。 日本のタケ類の中で最大で高さ25mに達するものもある。
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| 竹バット。 竹バットは竹板を貼り合わせて角材をつくり、その角材をバットの形状に削って作られた合竹バット。
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| 竹製の花器。 “瓶”ではないので花瓶とは呼ばない。
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| 和風のお店には似合いそうだ
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1月8日(火)18:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園44 |
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| 洛西竹林公園は見所が多い。 私が住んでいる近辺では生駒市の高山竹林園が思い浮かぶが、洛西竹林公園の方が充実していると思う。 京都市洛西竹林公園
画像はキンメイモウソウ。 漢字表記では金明孟宗(竹)。 キンメイモウソウの画像検索
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| スホウチク。(蘇芳竹)
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| 先程「竹の径」を歩いていた時に見た「亀甲竹」。 “亀甲”を連想する。
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| カンザンチク。(寒山竹)
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| ここから「竹の資料館」に入館する。
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1月8日(火)18:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園43 |
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| 送電線鉄塔が現れる。 Tリーダーによるとこれが現れると竹林公園は近い。
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| これは竹を育成しているのだろう。 ネット検索すると「敷わら」と呼ばれるもので、夏季の乾燥、雑草の繁茂、表土の流出防止に効果がある。
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| 車道に出合い、これを道なりに南東へ歩く。 車道は「西ノ岡竹林通」という名称がある。
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| 竹林公園の入口に到着。
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| 正式には「京都市洛西竹林公園」と呼ばれる施設。 午後5時以降閉園される。
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1月7日(月)18:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園42 |
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| 車道を横断し、ゲートのような入口へ向う。 電信柱の手前を右へ。ガードレールが切れているところ。
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| 「関係者以外 立入禁止」となっているが、それはフェンスの中。 軽四が停めてある道は立入禁止ではないので踏み込んでみる。
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| クルマが現れる。 左に青い服を着た男性が作業をされていたので声を掛けた。 「こんにちは、この道から竹林公園へ行けますか?」 「行けないことはないけど」という返事。 なんとか行けそうなのでこのまま進む。
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| 竹の墓場? 付近にはボコボコと穴が空いているのも気になる。
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| 暫く竹林の中を歩く。 道は少しぬかるんでいるところもある。
前方に光が射している。出口が近いようだ。
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1月7日(月)18:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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(続)天見_流谷(南天と蝋梅の里) |
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| 画像中央の巨樹は八幡神社境内の巨大なクスノキ。 朱色の橋は流谷川に架かる八幡橋。
画像には少ししか写っていないが、左端に樹齢400年とも言われる大イチョウの巨樹がある。 (大阪府指定天然記念物)
※八幡神社は石清水八幡宮の別宮として長暦三年(1039)創建された。
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| 十三仏碑(画像左に拡大)の祠と、後方の山塊は金剛山地。(ダイトレ) 画像では見えにくいが電波塔のあるところが根古峰749.6mの山頂。
※十三仏碑とは、初七日(不動明王)から三十三回忌(虚空蔵菩薩)までの十三回の追善法要に当てはめられる仏様の姿が彫り刻まれた碑を言う。 流谷の十三仏石碑は、月輪寺(がちりんじ)跡にあり、承応二年(1653)の年号と、数名の戒名が刻まれている。 その中に「テウロ」「シタニ」「ヲタニ」などカタカナの戒名や「道金禅定門」「浄金(ヨハキン)禅門」などが見られ、これらは、いずれもキリシタンの洗礼名と考えられている。 (かわちながの観光ボランティア倶楽部)
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| 「蝋梅の里」にて。 まだ開花したばかりで、2月頃まで楽しめるだろう。
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| 茅葺屋根を修理中の大江時親邸跡。 屋根を修理していた人たちとお話が出来たが、京都から来られていた。 材料の茅は、青森県から運んで来たと話されていた。 暫くして、お家の方ともお話出来たが、この修理にはゼロが7つ必要だそうだ。
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1月6日(日)19:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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天見_流谷(南天と蝋梅の里) |
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| 2018年12月27日(木)は、ササユリの会に参加した。 タイトルは「奥河内天見へ ~南天と蝋梅の里を訪ねて~」。
<概要> この近辺を僅か1ヶ月前の2018年11月18日、同じ歩き会の系列、おおばこの会「地蔵寺_ジルミ峠_唐久谷_中ノ谷の棚田」で歩いている。 おおばこの会のタイトルは「奥河内の秘境へ~唐久谷と中ノ畑・棚田の道~」。
しかし、1ヶ月前と違って、この日の目当てはタイトルに詠っているように“南天と蝋梅”。 南天、蝋梅ともに十分に楽しめた歩きとなった。
蝋梅は蝋梅の里で堪能することが出来た。 一方、南天に至ってはスタートからゴールまで南天づくしだった。 南天の赤い実が夢にも出てきそう―笑。 何故、天見には南天が多いのだろうか。 「南天のど飴」とは関係ないようだが。
奥河内、天見駅前の南天苑でインバウンドが見られた。 アジア系の学生だったが、南天苑に宿泊したようだ。
<コース概略> 南海高野線天見駅9:53_南天苑_出合いの辻_地蔵堂_薬師寺・八幡神社(石清水八幡宮 別宮)_十三仏碑・流谷薬師堂・流谷集会所_流谷金剛童子 葛城第十六番之経塚前_流谷観音堂前_蝋梅の里_トンネル_竹ノタワ(峠)_タケノ谷に架かるタケノ谷橋を渡る_林道大谷線分岐を左に見送り直進_大谷に架かる大谷橋を渡る_行司河原分岐(岩湧山分岐)_0:20分岐・石標(名勝 岩湧山)・昼食0:56_加賀田川に沿って歩く_槙平地蔵尊_大江時親(ときちか)邸跡_神納(こうの)バス停前_神納集会所前_峰垣内バス停前_14:07南青葉台口バス停14:13_<南海バス>_(南海・近鉄)河内長野駅
<メモ> ・参加者総勢: 9名。 ・コース歩行距離: 約10km。(天見駅~南青葉台口バス停) ・コース所要時間: 4時間14分。(天見駅~南青葉台口バス停) ・実歩行距離: 約15.9km。=歩幅0.67m×23,752歩 (自宅~自宅 最寄り駅等を含む) ・実歩数: 2万4千歩。(自宅~自宅 最寄り駅等を含む) ・反省会: 餃子の王将 河内長野駅前店 (6名)
<参考> ・南天苑 ・(伝)大江時親邸跡
画像はこの日歩いた南海高野線天見駅から南海バス南青葉台口バス停までのGPSログを赤色線で表示。
2018年11月18日に、おおばこの会「地蔵寺_ジルミ峠_唐久谷_中ノ谷の棚田」で歩いたコースは青色線で表示。
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| 南海高野線天見駅。 昔ながらの駅舎スタイル。
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| 地元産の木材を利用して作られたイス。 真ん中とその右のイスは“ツチグリ”を連想する。
天見駅前の花壇にて。
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| ツゲの木で作ったイヌ、タヌキの顔?
同じく天見駅前の花壇にて。
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1月6日(日)19:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園41 |
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| 道なりに下る。(直進) 左からの道は住宅地から続いているようだ。
前方のフェンスに何か案内板らしきが見えた。
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| 竹の径(みち) ご案内
このあたり一帯の竹林は、向日市の特産品である良質の「筍」を生産しています。 「竹の径」は、この自然豊な竹林に竹垣を連ねた竹林道です。 「竹の径」には、竹の枝を束ねた「竹穂垣」のほか、趣向を凝らしたオリジナルの竹垣があります。 「亀甲竹」は付近でよく見られるモウソウチク(孟宗竹)の突然変異種です。 一般的に竹は、節全体が均等に成長しますが、「亀甲竹」の形態は、芽のある側の節の伸びがよい反面、芽のない側の発達が悪いため、節の片方が交互に膨れ、亀甲状になっています。 造園竹として用いられるほか、銘竹として建築、茶、華道用に使われます。 「竹の径」は平成12年度から竹林の景観保全や新たな観光資源を創造することを目的に整備をはじめ、国土交通省から「手づくり郷土賞」を受賞しています。
説明板の写真は竹垣と亀甲竹林。 寺戸垣、物集女垣、古墳垣、かぐや垣、来迎寺垣、竹穂垣、亀甲竹林。
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| 説明書きにあった「亀甲竹」。
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| 府道201号線に出合い、これを横断しょうとするが信号や横断歩道が見当たらない。 クルマは猛スピードで走っている。
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| 道路の向こう側にゲートのような取り付きが見えた。 Googleマップを見ると、人が通れる程度の細い道が表示されている。
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1月5日(土)18:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園40 |
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| 石段を下って庭へ降り立つ。 板碑らしきと、石仏が彫られた灯籠が置かれている。
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| 山門はこちらから見ると、先の台風の影響だろう、酷く痛んでいる。 倒木が直撃したのかもしれない。
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| 山門前に植えられていたドウダンツツジ。 真っ赤な紅葉が鮮やか。 光が当たっていないので、画像ではイマイチに写っている。
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| 福成寺を後にして、洛西竹林公園へ向う。 画像は京都市樫原市営住宅団地。 団地の中を通り抜けようとしたが、道がなく団地を迂回する。
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| 画像の竹林の右奥に福成寺があった。 フェンスがあって竹林の中は通り抜けられないようだった。
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1月5日(土)18:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園39 |
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| 何かの遺構?
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| 先程まで居たシャレたテーブルとイスが置かれた休憩スポットを振り返って撮影。
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| 山門を潜る手前に崩れかけた石段の先に見えたお堂が、すぐそこに見えたので立ち寄る。
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| 蔵王大権現と記されている。
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| お堂の中に祀られていた蔵王大権現。
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1月3日(木)18:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園38 |
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| 祀られていた石仏群。
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| 石段へ戻り、更に上へ登ると、テーブルとイスが置かれたシャレたところに出合った。
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| 京都市内の眺めがよい。 絶好の休憩スポット。
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| 住職のお住まいだろう。
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| テーブルの上の落葉。 竹の筒は灰皿だろうか。
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1月3日(木)18:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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薬師寺_唐招提寺_岩井川_奈良町 |
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| 2018年12月20日(木)は、「20日ならウォーク」に単独で参加した。 タイトルは「唐招提寺から京終(きょうばて)のんびりコース」。
<概要> 奈良市主催の「20日ならウォーク」は毎月20日に実施。 この日のコースは、私にとってよく知っている場所ばかり。 かつて、この付近に住んでいたことがあったので、移り変わりの様子を歩きながら、じっくり見てみたいという気持ちもあった。
このウォークは午前中のみなので距離が短い。 歩き足りないので、集合場所によっては、自宅から歩くこともある。 今回の集合場所は近鉄橿原線西ノ京駅。 ゴールは県庁前と比較的近距離だったので行き帰り共歩いた。
<コース> 自宅8:12_蓬莱神社_菓祖神田道間守命御塚拝所_垂仁(すいにん)天皇菅原伏見東陵_案内板(田道間守と橘の木)_近鉄橿原線を横断_古美術弓月_蕎麦切りよしむら前_薬師寺バス停前_トイレ_8:56近鉄橿原線西ノ京駅前駐車場・準備体操9:06_薬師寺前_唐招提寺前_秋篠川に架かる下極楽橋を渡る_仲良し公園前_県道9号線 唐招提寺入口の交差点を横断_NTTドコモ電波塔(奈良五条町)_au電波塔(西ノ京基地局)_奈良市柏木町 天満宮手前の交差点を右折(南)_県道122号線を横断_柏木公園・休憩_佐保川に架かる歩道橋を渡る_JR関西本線の高架下を潜る_R24の高架下を潜る_岩井川に架かる橋を渡る_杏(からもも)第二児童遊園前_奈良市南部生涯スポーツセンター・休憩_<岩井川に沿って左岸を歩く>_炭火焼肉魁ごう(閉店)前_岩井川五重橋緑地_岩井橋北詰交差点で県道754号線を横断_引き続き岩井川左岸を歩く_岩井川に架かる大黒橋を渡る_鳥井商店前_能登川に架かる橋を渡る_奈良陸運支局検査場跡地前_祠(石仏群)_JR桜井線の踏み切りを横断_JR桜井線京終(きょうばて)駅・休憩_椚神社_春日若宮社_<奈良町>_増尾商店前_奈良元興寺郵便局_御霊神社前_猿沢池_興福寺_11:35県庁前奈良公園・体操11:45_<大宮通り>_<三条通り>_餃子の王将 奈良都跡店・昼食_近鉄橿原線尼ヶ辻駅前_蓬莱神社_13:50自宅
<メモ> ・参加者:200人程度。各班約45名編成×5~6班程度(不明)。 ・リーダーMさん、D氏。 ・コース歩行距離約8.5km。 ・実歩行距離約20.8km。(自宅~西ノ京駅約4.0km 県庁前奈良公園~自宅約7.3km等を含む) ・実所要時間: 5時間37分(自宅~自宅 昼食時間含む) ・歩数3万1千歩。(自宅~自宅)
画像はこの日歩いたコースのGPSログを表示している。 (スタート、ゴール共に自宅)
実歩行距離約20,781mはGPSでの距離。 歩数計では21,765mとなっているが、これは単純に歩幅7m×歩数31,093=21,765m で計算されたアバウトな距離。 (歩幅7mは平均的な数値)
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| 当日、配布されたウォーキングマップ。
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| 朝鮮石人像。 柏木公園にて。
詳細は下記サイトを参照。 朝鮮石人像を訪ねて(33)
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| リニューアルされた京終(きょうばて)駅。 私が幼少の頃見ていた外観とまったく同じ。 外壁の色は少し違うかな。 この駅へ汽車を見に連れてもらっていた。
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| 愛嬌のある奈良公園の鹿たち
おしまい。
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1月2日(水)17:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園37 |
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| 礎石かと思ったが、自然石の踏み石。
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| 葉が落ちた樹形が美しい木がある。 その後に石段が続き、石段の取り付きに石仏らしきが見えたので立ち寄る。(画像の右端)
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| 石仏ではないようだ。 着物を召している様に見える。 右手に団扇のようなものをお持ち。
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| 葉が落ちた樹形が美しい木はリョウブかもしれない。
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| 石段を登り詰めると、平坦なところに石仏が祀ってあったので立ち寄る。
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12月31日(月)19:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園36 |
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| 画像の右、手摺のあるところから入る。
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| 宝珠山 福成寺
福成寺は、桓武天皇による長岡京遷都に伴い、延暦三年(七八四)、鎮護道場として創建されたと伝えられ、千二百三十余年の長い歴史を有する古刹である。 当時は、広大な敷地に多くの塔頭を擁する大寺院であったが、平安時代には衰退して、真言宗の寺院となった。 南北朝時代に建仁寺第二十六世・高山慈照(広済禅師)の手により、臨済宗の寺院として再興された。 その当時は、多くの修業僧を抱える大道場であったが、建武五年(一三三八)に、そこで守られるべき規則として定められたのが、「福成寺規式」である。 この文書は、平成十九年(二〇〇七)、国の重要文化財に指定されたが、現在は、建仁寺の塔頭、霊洞院が保管している。 その後、寺は応仁の乱で焼失し、江戸時代の文政十年(一八二七)に本堂が再建された。 本尊は十一面観音菩薩立像で、絡西三十三所観音霊場の第三十一番札所である。 脇侍の大日如来像は、定朝様(じょうちょうよう)式を備えた藤原時代中期の作で、中興の祖、広済禅師像とあわせ祀られている。 寺内にある権現堂では、毎年二月十一日、五穀豊穣を祈る伝統行事、「行講」(おこないこう)が、地域の草分けによって今日まで伝承されている。 現在、福成寺は、臨済宗建仁寺派の末寺である。 京都市
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| 切り株。 後でわかったが、台風の影響で、境内にはこのような切り株があちこちに見られた。
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| 竹を置いて“通せんぼ”している。 この先、石段が崩れかけている。 正面に少し見えるお堂に蔵王大権現が祀ってあり、後でお参りした。
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| 山門を潜る。 頭上に掲げられている扁額、残念ながら文字が読めない。
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12月31日(月)19:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園35 |
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| 史跡 樫原(かたぎはら)廃寺跡
この寺跡は昭和42年2月から4月にかけて発掘調査され、八角塔跡などが立派に残っていることから昭和46年3月に国の史跡に指定され、永久に保存されることになった。 寺跡には、一辺6mの八角形の瓦積基壇の塔跡を中心に、約35m南へ離れた所に、東西(間口)20m、南北(奥行)約11mの基壇をもつ門と、その左右にそれぞれ幅(南北)5m、長さ(東西)約22mの基壇をもつ回廊が建ち、北へ折れ曲がって南北に65m以上、幅2.4mの基壇を持つ築地塀が建てられていたことが、発掘調査により明らかになった。 そのほか、塔路の北方約39m離れた所に堂路があるらしいことが地形から想定できる。 おそらく、この堂の左右にも回廊があり東西の築地塀に達していたと予想され、堂に後方にも別の堂舎があったと考えられる。 塔跡には、今の地表から深さ約2mの地下に円形の柱型を掘りくぼめた心柱の礎石がある。 また出土する単弁八葉の蓮華文をもつ軒丸瓦、素文の額に蓮華文を打ち出している軒平瓦及びその瓦を使って基壇を積む手法から、7世紀半ばに造られた寺院であったと推定される。 この樫原の土地は当時高野郡に属し、葛野の地は秦氏の勢力下にあったことから、この寺院の造営に秦氏が関与している可能性もある。 山背一円には、×××うに地域に住む豪族が創建にかかわった寺院がいくつか知られ、発掘調査も行われている。 八角の塔をもつ形式の寺院跡はこの時代においてわが国では例がなく、この寺跡は京都市民にとって、先祖のことを知る大きな手がかりとなり、国にとっても極めて価値の高い貴重な史跡である。 京都市 指定年月日 昭和46年3月1日 指定面積 5,456.14㎡
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| 右、史跡 樫原廃寺跡の石碑と、八角塔跡前で上記の説明板をご覧になる皆さん。
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| 礎石。
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| 周辺の景色。
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| 樫原廃寺跡を後にして福成寺へ。 画像は宝珠山 福成寺の寺標。
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12月29日(土)18:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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