山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


ウォーキング・散策

馬鍬淵渓谷_金勝寺_楢本神社_福貴親水公園19

この道を歩くのは初めてだと思う。
ここからは見えないが左側に竜田川が流れていた。



竜田川の向こうに近鉄電車が走る。


道標を見て左折するが、その前に後続の人達を暫く待つ。


右方向(西)に石仏が見えたので立ち寄る。


なんか不自然な形なので、涎掛けを取ってみたら、アラアラこれは明らかに別物。(緑四角)
セメントで固めたようだ。合体石仏登場!?

つづく。



Aug.23(Fri)05:55 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin

馬鍬淵渓谷_金勝寺_楢本神社_福貴親水公園18

方向的にコースは左へ。


奈良県が設置した立派な道標。
コースは竜田川沿いにある近鉄元山上口駅方面へ。(東)



車道を歩く。
すぐに気付いたが、この道は千光寺から元山上口駅へ続くお馴染みのハイキング道だった。

暫く歩くと勧請綱の案内板があった。



椣原川を覗き込んだが勧請綱は見えなかった。
草木が生い茂っているから遮られているのかもしれないと思った。

後でわかったが、勧請綱はもう少し下流、椣原川が竜田川に合流する手前に掛けられているらしい。
下記、金勝寺のサイトによると、
【参考】
金勝寺

「当地は古くから龍神信仰があり、山門の前を流れる竜田川には大正時代まで龍穴がありました。
1200余年前に行基菩薩がこの地に寺院を建立したのはこの地に龍が住むと信じられていたからだと寺伝にあります。
龍穴は大正時代に鉄道建設のためダイナマイトで爆破されましたが、今も毎年一月三日に龍神の化身である雌雄二体の綱を打ち、竜田川に架ける綱架けの神事が残っています。
無量寿殿の裏の小さな池にある弁財天の祠は、鎮守社に祀られている青躰龍王とともに、古くからの龍神信仰として大切にお祀りしております。」

【参考】
勧請綱掛け 【椣原】



この先、コースは竜田川に架かる橋を渡らず、その手前で右折。(南)

つづく。



Aug.22(Thu)06:04 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin

馬鍬淵渓谷_金勝寺_楢本神社_福貴親水公園17

コースは竜田川に沿っているので、山道を登った分、下ることになる。
左(東)方向へ見当をつけて下る。



山道より住宅地の方が道に迷うのは常。


道標があった。
これで迷うことはない。



この道を下る。
コースは竜田川に沿っている。



ここも狭い道。
もしかしたら、先程歩いていた山道の続きかもしれない。
住宅地の開発によって様変わりしているが。
この道は住宅に住む人達の生活道・散歩道になっているようだ。

つづく。



Aug.22(Thu)05:52 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin

馬鍬淵渓谷_金勝寺_楢本神社_福貴親水公園16

峠越えと云えば大袈裟だが、少しばかり山道を歩く。


この道は人とバイクくらいしか通れない。
左側は竹林。



今は生活道として利用されていない様子で下草が生えている。


石造物ではなく自然石だろう。


程なく雑木林を抜けると住宅地が現れた。

つづく。



Aug.22(Thu)05:47 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin

馬鍬淵渓谷_金勝寺_楢本神社_福貴親水公園15

竜田川沿いに建つ民家は今風の住宅ではない。昔からお住まいなのだろう。


目の前を近鉄生駒線の電車が通過したので一寸驚いた。


右上方向に道が続いている。
「竜田川まほろば遊歩道」の道標はなかったように思ったが、コースはこちら。
直進は民家に突き当たって行止りらしい。



近鉄の線路を振り返って撮影。


登り口付近に石仏群が安置されていた。

つづく。



Aug.22(Thu)05:43 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin

馬鍬淵渓谷_金勝寺_楢本神社_福貴親水公園14

鎌倉後期造立の五輪塔とされる。


お寺なので、ご神木とは呼ばない。
しかし、注連縄には紙垂も付けてある。(赤四角)
神仏習合なのだろう。



椣原山(しではらさん) 金勝寺 略縁起
當山は今から約一、二〇〇餘年前、天平十八年に行基菩薩が聖武天皇の勅許をうけ開基せられたと伝えられている
縁起によれば行基菩薩が宿願あって春日神祠に参籠の折り 春日明神の夢の御告げにより 此の地に来たり 当時密生していた椣の一霊木を似て本尊の薬師如来を始め、日光、月光両菩薩、十二神将等を一刀三体(木+豊)、彫刻されこヽに一大精舎を建立し 名づけて、椣原山 金勝寺と称された
太古は境内地四丁四方、寺領五百石、他に佛供料として二百石を賜わり 金堂、大講堂、阿弥陀堂、護摩堂、食堂、三重塔、総門、及び塔中(塔頭)三十六ヶ坊を有し 隆盛を極めたが、其の後 天正年間に至り、戦火により焼打ちにあい 寺領等もことごとく没収され為めに 山内は一時に衰退したが、漸く焼残った諸堂、及び塔中(塔頭)を修復、又は再建したが、又々明治十六年に至り本坊、宝蔵庫等を全焼し 諸堂及び塔中(塔頭)より集めた国宝級の佛像 其の他を焼失したが 明治三十五年に本坊を再建、更に昭和四十四年に大日堂を解体修理 阿弥陀堂の新築、塔中(塔頭)二ヶ坊等を復興し、現在は本堂 阿弥陀堂 大日堂 鎮守三社、宝室神社、総門、南門、東門等を有する
又、川向こうの山の頂上にある塔中(塔頭)坊跡(金勝寺墓地)には鎌倉期の十三重石塔、十三佛、六地蔵等が現存されている
  真言宗室生寺派 金勝寺



山門を出て金勝寺を後にする。


引き続き竜田川に沿って南へ歩く。

つづく。



Aug.22(Thu)05:39 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin

馬鍬淵渓谷_金勝寺_楢本神社_福貴親水公園13

光不足で撮影した画像のピントが合っていない。
先ほどの説明板にあった「茶々逆修」は、右下に刻まれた磨崖仏を指している。(赤四角)



右下に刻まれた磨崖仏をズーム撮影。
矢田型地蔵と見られる。
一般的にはお地蔵さんは、右手に錫杖をお持ちだが、親指と人さし指で“輪”をなしたお姿のお地蔵さんを矢田型地蔵と呼ぶ。
【参考】
矢田型地蔵
地蔵菩薩立像、閻魔堂特別公開(矢田寺)

磨崖仏の上に溝が彫られている。
おそらくは、この溝に笠石のような庇(ひさし)をはめ込んで、雨よけとしたのだろう。

下記、平群町のサイトによると、この磨崖仏の左右には次の銘が刻まれている。
(右)茶々逆修
(左)天正十四(十二二)年 丙戌卯月廿四日
【参考】
町指定 金勝寺(きんしょうじ)磨崖石仏群(まがいせきぶつぐん)
茶々逆修石仏・銘文拓影

逆修(ぎゅくしゅ)とは、生きているうちに供養することによって、死後にその縁者が供養するよりも七倍も功徳があるとされる信仰、風習。



磨崖仏が刻まれた壁の上部には三体の磨崖仏がある。
左は薬師如来座像とされる。

中央は宝篋印塔。

そして、撮影した画像では非常に分かりにくいが、線刻不動明王が刻まれている。(赤四角)
金勝寺のサイトによると、
「鎌倉時代、二度にわたる元寇を迎えた鎌倉幕府の命により全国各地の寺社で『敵国調伏』を願って不動像の造立が盛んに行われた。
この不動明王像もそのひとつで、当時この磨崖仏の前に護摩壇が組まれ祈祷が行われた。」
【参考】
金勝寺



弁財天。


弁財天を祀った池の淵にも磨崖仏があった。(先ほどの磨崖仏が刻まれた壁から続く左下)
足場が悪く、右端の矢田型地蔵から右は撮影出来ず、途中で切れてしまった。

つづく。



Aug.21(Wed)06:38 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin

馬鍬淵渓谷_金勝寺_楢本神社_福貴親水公園12

おそらく、周辺に点在されていた石仏をここへまとめて、祀られているのだろう。
綺麗な赤い涎掛けが目立つ。
ここには鰐口が吊り下げられていた。
【参考】
鰐口



本堂の扁額には「瑠璃光」と記されている。


境内をウロウロする。
確かこのお寺には磨崖仏があった。
実は墓地も見たいのだが、この日のメンバーはあまり関心がないようだ。

「←磨崖仏」の看板があった。



撮影した画像はブレている。


「茶々逆修」(ちゃちゃぎゃくしゅ)
この石仏は茶々という女性の生前供養として天正十四年(一五八六)四月二十四日に造られました。
従来茶々とは豊臣秀吉の側室淀殿のことと考えられていましたが、当町出身の戦国武将島(嶋)左近の夫人の名も茶々というため、近年では左近との関連が注目されています。
  平成二十年三月 平群史蹟を守る会 平群町教育委員会

つづく。



Aug.21(Wed)06:28 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin

馬鍬淵渓谷_金勝寺_楢本神社_福貴親水公園11

「椣原山」(しではらさん)と刻まれている。
椣原山は金勝寺の山号。



急な石段を登る。
尚、この石段を登らずとも、駐車場からの迂回路が利用可能。



「??石工」の文字が見えるが、それ以外の文字は判読出来ず。


金堂(本堂)。


本尊は薬師如来座像(平群町指定文化財)。

つづく。



Aug.21(Wed)06:22 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin

馬鍬淵渓谷_金勝寺_楢本神社_福貴親水公園10

この日、金勝寺でハスの花が見られるとは思っていなかったのでラッキー。


石段を登る。
石段の左右にはアジサイの鉢が置かれていた。
蓮鉢共々、この時季だけ、ここへ運ばれて来たのだろう。



手水舎。
精巧に作られている。
反華座の上に宝珠形の出水部があるが、残念ながら水が出なかった。



やはりアジサイは、青・白色系が時節的にマッチ。
涼しげに見える。



石燈籠には貞享五年戊辰年の銘。
(1688年 江戸幕府将軍は徳川綱吉)

つづく。



Aug.21(Wed)06:18 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin

馬鍬淵渓谷_金勝寺_楢本神社_福貴親水公園9

総門を潜る。
「真言宗室生寺派 金勝寺」。
左には「行基菩薩御旧跡」と記されている。



参道脇にも蓮鉢が置かれていた。


息を呑む美しさ。


こちらの個体は完全に開花していた。


薄ピンク色。
実(種)を付けつつある個体。(赤四角)

つづく。



Aug.21(Wed)06:14 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin

馬鍬淵渓谷_金勝寺_楢本神社_福貴親水公園8

蓮鉢が置かれている金勝寺の総門(山門)前に到着。
ここで後続の人達を暫く待つ。



総門の左手に「囲炉裏庵」と記された物品販売コーナーがあった。


自転車に二人乗りしている老夫婦らしき作品が愉快に作られていて面白い。
又、左にはメッセージがある。
「自然環境を 破壊する メガソーラーはいらない」(赤矢印)



鬼が可愛らしいピンクのパンツを履いて、涙を流しているのが滑稽―笑。


ハスの花は今が一番の見頃かも!

つづく。



Aug.20(Tue)06:48 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin

馬鍬淵渓谷_金勝寺_楢本神社_福貴親水公園7

これは先程のオリズルランに似た植物の古株から出ていた新芽。
葉っぱの大きさはススキに似ているが・・。
どうもダンチクと呼ばれるイネ科の植物らしい。
【参考】
ダンチク



やがて竜田川に架かる橋を渡り左へ。(南)


橋の名前は椣原大橋。
椣原は“しではら”と読む。



竜田川の流れ。


見覚えのある場所に出た。
この先、右側に金勝寺がある。
歩道が設けられていないが、車道の右端を歩く。

つづく。



Aug.20(Tue)06:44 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin

馬鍬淵渓谷_金勝寺_楢本神社_福貴親水公園6

信貴山方面の眺望。


「まぐわ淵案内図」。
ここまで歩いて来た遊歩道を絵図で描いていた。



「平群北公園」方面分岐を左(東)に見送り、「竜田川まほろば遊歩道→」を歩く。


左に近鉄線の線路、頭上は高架になっている一般車道。


この植物は一体何?
オリズルランにそっくりだが、もっとずっと大きかった。(赤丸印)
【参考】
オリズルラン

つづく。



Aug.20(Tue)06:38 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin

馬鍬淵渓谷_金勝寺_楢本神社_福貴親水公園5

一旦下る。
結構、上り下りが続く。



案内板があるが読み辛い。
ネット検索したら下記サイトがヒットした。
(先程の説明板の内容とほぼ同じ)
【参考】
奈良のむかしばなし まぐわ淵(ぶち)



遊歩道は平坦なところを歩く。
左にフェンスが続く。



フェンスの向こう側は近鉄線の線路だった。
この先、トンネルに差し掛かるようだ。



引き続き遊歩道を歩く。

つづく。



Aug.20(Tue)06:30 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin


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