山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


ウォーキング・散策

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社34

関屋川に架かる小さな橋を渡る。


すぐに分岐。
右(北方向)へ歩く。
左は三郷町の斎場。



交差点で右折。(東)
右側に農住2号公園を見ながら更に東方向へ。
画像の男性の子供さん夫婦がこの近くに住んでいるそうで、この辺りは犬の散歩コースなのだとか。
先に歩いていただく。



立野の交差点を過ぎると、右側に龍田大社の鎮守の森が見えてくる。
駐車場の中を歩いて参道へ。
鳥居の扁額には「龍田本宮」と記されている。



この時はお日様が雲に隠れていたので、紅葉はイマイチ映えなかった。

つづく。



1月15日(月)07:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社33

石段を降りる。
堰堤だと少しヤバイかなと思った。



更に石段がある。


飛び降りなくてよかった。
特に後続の人達。
コースは左へ。



歩いて来たところを振り返って撮影。


関屋川に沿って上流へ歩く。
右は住宅地。三郷町立野南二丁目。

つづく。



1月15日(月)07:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社32

三郷町指定文化財

三室山古墳二号墳(南側)
三室山古墳三号墳(北側)
この古墳は七世紀前期に築造されたと推定されている。
両古墳とも方形墳で、三方に掘を巡らせた長辺二一・五m、短辺一七・五mの同一規模の双墓で、更に一つの墳丘に二つの石室を持つ双室墳である。
この古墳のように方墳の双墓に二石室を築いた例は少なく飛鳥時代の墓制を考える上で貴重である。
  平成二十五年三月  三郷町教育委員会



付近を探すと、石室の入口が見つかった。
二号墳の南石室と思われる。
ライトがあれば、中を覗けたかもしれない。
入室は出来なくはないが、這って歩くことになる。
もう一方の北石室は、探索したものの、それらしき入口は見つからなかった。
又、北側に位置するもう一つの三号墳も特定出来ず。
【参考】
三室山2号・3号墳
三室山古墳群



来た道を戻り、引き続き下る。


前方が明るくなり、住宅地に出た。
コースは右へ折れる。



一瞬、堰堤かと思ったが、そうではなく石段だった。

つづく。



1月14日(日)05:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社31

道なりに下る。


カエデにも引けをとらないドウダンツツジの紅葉。

画像の右端に少し写っているがトイレがある。



トイレから少し下って左側に北東方向への分岐。
以前、一度歩いたことがある。
予定外だったようだが、今回は左折してこの道を歩くことに。



すぐに三叉路となり右下へ。


しばらく下ると「三室山古墳」の案内板が立つ。
以前歩いた時は、この前を通り過ぎただけ。
今回は立ち寄って見ることに。

つづく。



1月14日(日)05:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社30

龍田古道推定ルート。


龍田古道は奈良時代に平城京と難波宮を繋いでいた官道で、天皇の行幸や遣唐使・遣隋使の往還にも利用された道です。
法隆寺や平隆寺、龍田大社、竹原井頓宮や河内六寺、河内大橋などが道中に置かれていました。
特に大和と河内の境にあたる山間部は龍田山と呼ばれ、多くの万葉歌にも桜の名所として詠まれたほか、平安時代には現在の大和川は龍田川と呼ばれ、紅葉の名所として親しまれていました。
現在地の展望台を通る道は龍田古道の山間部を抜ける分岐ルートの一つで、龍田大社の管理地である三室山を抜ける通称「神降りの風道」と呼ばれる道です。
磐座や御座峯などの龍田大社の祭祀に関連する神域を抜ける道となっており、柏原市の雁多尾畑・青谷にある金山媛神社・金山彦神社を通ります。
この道以外にも最も標高差のない大和川沿いを通り地滑りの難所である亀の瀬を抜けるルートも確認されており、分岐ルートは竹原井頓宮跡のある柏原市・青谷で合流するようになっています。
龍田古道は聖徳太子(厩戸の皇子)が大陸との交流のため設置したことに始まるとも考えられ、大和川の水運とともに近世まで続く交通・物流の大動脈でした。
三郷町では、町制50周年を記念して、三室山の展望台に桜と紅葉の植樹を行い、多くの方が訪れる名所となるよう整備を行っています。
是非この場所から周囲を望み、龍田という地域の立地と歴史背景、龍田古道を通った人々の心情を感じてください。
  平成30年3月 三郷町・三郷町教育委員会



三室山展望台を後にする。


奈良県側に入ると、この道標(龍田古道)が案内してくれる。


分岐を振り返って撮影。
右上の道から下って来た。

つづく。



1月14日(日)05:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社29

三室山、四等三角点。
点名:三室山、標高:137.06m。



ここまで歩いて来た龍田神社本宮跡などを示した龍田古道の道標。
“留所”と表示されているが、以前はなかったように思う。
追記されたのかもしれない。場所、由緒は不明。



東屋の壁に山名板が掲げられていた。
「三室山 137.3m 葛城の雀」。
“葛城の雀”は、この山名板を置いた人の仮名。
奈良近辺の低山に、この人が設置した山名板を見ることが出来る。



二階建てとなっている櫓風の東屋から降りる。


周辺の樹木が生長し、展望が遮られている。
夏場だと、ここからの展望はほとんど期待出来ないのでは。

つづく。



1月14日(日)05:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社28

暫く下ると分岐があった。
方向的には左だが、踏み跡が薄く、右の方がよく歩かれているように見えたので右へ。
ところが、谷筋に降りるようなので、分岐まで引き戻る。

分岐点に、下草で隠れていた「龍田の瀧→」の道標があった。
“龍田の瀧”は初耳。
道標をよく見ると、右端に「行き止り」、約3丁などと記入されていた。
機会があれば訪れてみたい。



分岐から左(東)の道を下る。
自然林の明るい森。



やがて正面が開けコブに出る。


三室山山頂に到着。
画像は櫓風の東屋。
東屋には先客がいた。



東屋の右下に三角点がある。(赤丸印)

つづく。



1月14日(日)05:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社27

このエリアは「桜の里山公園」となっており、NPO法人 龍田・三室山桜の会が運営している。
桜が咲く頃、カラオケ大会などの催しがある。



所々、木が伐採されている。
外来生物「クビアカツヤカミキリ」の仕業かもしれない。
特定外来生物「クビアカツヤカミキリ」警戒中!!



「傳 龍田神社本宮址」と刻まれた石碑。
龍田神社は三郷町の“龍田大社”を指しているのだろう。
この神社と関係のある“龍田神社”が斑鳩町にある。
龍田大社
龍田神社



こちらにも案内板が立ってあった。


引き続き「桜の里山公園」を右に見て下る。
急坂は舗装されているが、落葉が積もって滑りやすい。

つづく。



1月13日(土)06:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社26

ヤギがチラッと私の方を見た。
なかなか愛想の良いヤギさんだ―笑。

ところが、ここから先、下る道がない。
どうも勘違いされたようで、ここからは下れないみたい。



一旦、来た道を戻って、里山公園の入口の南側に位置する駐車場方面へ向かう。


すると、左手に車道から分岐する小道がある。
赤矢印の方向。



この道を歩く。


分岐の辻に「←龍田古道 三室山」の案内板がある。

つづく。



1月13日(土)06:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社25

昼食後、三室山の山頂を目指して歩き始める。
以後も、全体的には下り道。
なので山頂といっても、達成感はない。

参加者の一人が、三室山へ向かって引率しょうとされた。
昼食場所から、里山公園の中を巡って下るコースらしい。
私はこのコースを知らなかったので、彼に付いて歩いた。

この先の階段を下る。



更に急階段を下る。
私は用心して手摺を使った。



デッキが置かれた右端から下る。


水辺が現れる。
ここも記憶があった。



もう一段下るが、降り口に「ヤギまでもうすぐ!!」の可愛い絵を見た。
(赤丸印)

つづく。



1月13日(土)06:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社24

引き続き歩道のない車道を歩く。
スマホの“Google マップ”を見ると、昼食場所の「竜田古道の里山公園」は“目と鼻の先”。



進行方向の左手に里山公園が見えて来た。


この日は土曜日だったが、事務所の照明はついていた。


何かここでキャンプの催しがあった。
簡易テントを張った場所で、キャンプ参加者の受付をされていた。
私達はその手前にあるイスに座って昼食した。



「竜田古道の里山公園」の全体図。

全体を6つのブロックに分けている。
1.グラウンドゴルフミニコース
2.テントサイト(バーベキュー)
3.イベント広場(野外ステージ)
4.散策広場(池)
5.ふれあい広場(山羊)
6.ふれあい広場(健康遊具)

つづく。



1月13日(土)06:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社23

果樹園が現れた。
棚が見えることから葡萄だろう。
柏原市は府内屈指の葡萄の産地となっている。



産地直売の看板が見えた。
時期的に少し遅いかもと思ったが・・



・・案の定だった。残念。


「御座峰」の案内板。

「古来より、当地を含むこの一帯を龍田山と呼び、大和と難波をつなぐ我が国最古の官道ともいわれる龍田古道が通っていました。
飛鳥や平城京から難波に向かう際に、龍田山を見て多くの万葉歌人が歌を残しています。
奈良時代、平安時代には、桜・紅葉の名所として多くの歌にも詠れています。
また、御座峰は龍田大社の風神が降臨された地とされ、現在でも毎7月の第1日曜日に行われる『風 鎮 大 祭』翌日には当地で奉幣行事として『御 座 峰 山 神 祭』と呼ばれる神事が続けられています。
この御座峰と龍田大社とを結ぶ龍田古道は別名『神 降 り の 道』とも呼ばれ、古くから信仰の対象となってきました。
これら以外にも、当地に近い雁多尾畑(かりんどおばた)地区には鍛冶の神として名高い金山彦神社、金山媛神社があります。
龍田の風神との関連性も考えられ、古来より龍田という地がいかに重要な地であったのかを今に伝えています。」



この斜面を登るようだが、どれくらいの距離(時間)なのか分からない。
参加したメンバーの中には、御座峰を訪れた人もいたが、詳しくは聞けなかった。

つづく。



1月13日(土)06:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社22

車道からの眺望。
奈良盆地の南部だが、ここからの眺望はあまり馴染みがないので、山々を特定出来なかった。
山を眺める角度が違うと、別の山に見えたりもする。



振り返って北方向を撮影。
山腹に見られる集落は先程歩いていた本堂地区。(赤丸印)



見覚えのある車道が大きくカーブしているポイントに差し掛かった。
センターラインに杭が埋められている。



「カーブ 多し スピードダウン」の警告表示。


“八土-32”
高井田方面へ行くにつれ数字が大きくなっていた。

つづく。



1月12日(金)07:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社21

車道(府道183号本堂高井田線)歩きが続く。
前方に黄葉した木々があったので眺めながら歩く。



この道路標示板に記されている“八土-11”だが、“八土”は、大阪府八尾市土木事務所の略語らしい。
“11”は連番。



見覚えのある大阪柏原聖地霊園の入口に到着。
ここも黄葉が良かった。
尚、この霊園の中に入ったことはない。



車道は上り下りが連続した。
地形から考えると、全体的には下りだが、現実は上りもある。
参加者の中には、この上り坂が苦手な人がいて、ゆっくりペースで歩く。

この先、左方向に分岐がある。



左分岐は地図には表示されていなかったので、途中で行止りかもしれない。
引き続き車道を歩く。
このまま車道を歩けば、確実に昼食場所の竜田古道の里山公園に辿り着く。

つづく。



1月12日(金)07:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社20

柿の実が生っていた。
渋柿だろう。



この先、十字路になっている。
スマホを取り出し、直進(旧道)した場合のコースをチェックした。
すると、三郷町立野北方面へ続いており、意図していない方向なので、右折して車道歩きとなる。



十字路から振り返って撮影。
降りてきた道には、葉っぱが積もっており、クルマが通行していないように見える。



車道を暫く下ると、道路の補修をしている現場に出た。
作業をしている人に、この先の道を尋ねたが、地元の人間ではないので分からないとの返事。

やがて、右側に分岐があった。
これは本堂の集落から下ってくる道だろう。
先程、三叉路で右折したら、この道に繋がっているようだ。
分岐には“本堂”と記されたポールが立っていた。(画像)



分岐で休憩となる。
この分岐には、道路標識が取り付けられており、左方向はクルマが通行可能となっている。
休憩していると、一台の普通車がやって来て、左折して行った。

ところで、この本堂という集落だが、
大狛神社の説明板にあったが、
「柏原市本堂は・・古代には河内国大県郡巨麻郷と呼ばれ、狛氏が住んでいた土地です。」
“巨麻郷”について下記のサイトによると、
巨麻郷

「現柏原市の信貴山南側の山中に本堂という集落があり、式内社大狛神社と伝えられる同名社が鎮座する。
「河内志」「河内名所図会」には、この社が山王社と称されているという。
その社がなぜ大狛神社であるのか、根拠が明確でないが、他に大狛神社の鎮座を伝える地もなく、これによって本堂の地を巨麻郷にあてるのが通説である。
高句麗系渡来人の住みついた地であろう。」

また、下記柏原市のサイトによると、
【コラム】大県誕生から1,300年(5)堅上郡の分離

「「狛」あるいは巨麻(こま)郷の「巨麻」は「高麗(こま)」のことで、高句麗系の渡来系集団の居住地だったと考えられます。」

つづく。



1月12日(金)07:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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