山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


ウォーキング・散策

長瀬川遊歩道_放出_西三荘遊歩道_鶴見緑地1

2018年9月22日(土)は、N氏主宰による土曜会に参加した。
タイトルは「花博記念公園・鶴見緑地を訪ねる」。

<概要>
前日の天気予報では、午前中が雨、午後から晴ということで、予定を変更し変則的な午後からの出発となった。
昼食を済ませ、近鉄生駒駅けいはんな線改札口に12時30分に集合。

地下鉄中央線高井田駅で下車。
地上に出ると目の前に、おおさか東線JR高井田中央駅が現れる。
横を通る車道は、中央大通りで、クルマではよく走る。
しかし、歩道に立って眺める風景は、車窓からとは違っていて新鮮な気分。

暫くおおさか東線の高架下に沿って歩く。
長瀬川に架かる豊野橋を渡り、長瀬川沿いに長瀬川遊歩道を放出(はなてん)方面へ歩く。

近鉄バス早瀬橋バス停を過ぎて暫く歩くと、長瀬川が第二寝屋川と合流する手前で道なりに右折。
放出駅分岐を左に見送り、第二寝屋川に架かる古大和橋(ふるやまとはし)を渡ってJR片町線を横断。
このあたりを流れる第二寝屋川は天井川となっている。

左手(西)に阿遅速雄神社(あちはやをじんじゃ)の巨大なご神木が見えたので立ち寄る。
ご神木は樹齢1千年と伝わるクスノキ。(大阪府天然記念物)
境内には大阪市内で唯一現存するお陰灯篭がある。(慶応四年の銘)

更に北方向へ歩くと、左手に正因寺を見る。
境内に大阪市が立てた中高野街道の道標がある。
放出大橋交番前から寝屋川に架かる放出大橋を渡り、寝屋川に沿って東へ歩く。

鶴見斎場入口を左に見て進み、三荘橋橋側歩道を渡って左折(北)。
西三荘遊歩道を花博記念公園 鶴見緑地まで歩く。
この遊歩道は暗渠になっていて、歩行者専用道となっており、自転車も通行出来ない。

西三荘遊歩道は鶴見緑地から先、京阪本線西三荘駅付近まで続く。
正式名称は、西三荘都市下水路といい、守口市の大日町のあたりにある府庭窪浄水場から南下し、鶴見緑地を経て、大阪市鶴見区で寝屋川につながっている。全長約6.6km。

花博記念公園 鶴見緑地へ入り、けやき通りを歩いて、バーベキュー広場にて休憩。
続いて緑のせせらぎを歩いて乗馬苑前へ。

国際庭園へ向かおうとしたが、国際庭園西口で、通行禁止になっていた。
係りの人の話では、先の台風で倒木が酷く、その先の日本庭園、更には鶴見新山を含め閉鎖していた。

やむなく、この日はここまでということで、公園内の売店で反省会となった。安上がり―笑。
この後、鶴見緑地駅から帰路に着いた。

<コース概略>
地下鉄中央線高井田駅12:51_長瀬川遊歩道_阿遅速雄神社(あちはやをじんじゃ)_放出大橋_花博記念公園 鶴見緑地_地下鉄長堀鶴見線鶴見緑地駅16:07

花博記念公園 鶴見緑地

<その他>
・参加者総勢12名。
・コース歩行距離約5km。
・実歩行距離約12km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む)
・歩数1万6千歩。

画像はこの日歩いた地下鉄中央線高井田駅から地下鉄長堀鶴見線鶴見緑地駅までのGPSログを表示している。



樹齢1千年と伝わるクスノキ。

樹高16メートル、幹周り6メートルの巨木。
大正時代に落雷に遭い主幹が枯れてしまったが、樹木医の治療により支幹は健在。
昭和45年(1963年)2月20日、「阿遅速雄神社のクス」の名称で大阪府により天然記念物に指定。
阿遅速雄神社(あちはやをじんじゃ)境内にて。



中高野街道の道標。

中高野街道
この道は中高野街道という街道です。
京都や大阪から、和歌山の高野山へお参りする人たちが多く通ったため、この名で呼ばれました。
一直線でなく、少し道が曲がりくねっているのは、もとの道の様子をよく残しているためです。
この街道は剣街道とも呼ばれていました。
この「つるぎ」の名前が「つるみ(鶴見)」の地名の始まりとなったともいわれています。
また、このあたりには「放手の渡し」という渡し舟の乗り場がありました。
大和川が宝永元年(1704)に現在の流れにつけ替えられるまで、このあたりを流れていました。
街道を通る人たちが、川を越えるためにこの渡しを使いました。
大阪市教育委員会

正因寺にて。



西三荘遊歩道(正式名称:西三荘都市下水路)。


西三荘遊歩道に立てられている「西三荘水路跡」の石柱。
(至 横堤駅 / 至 鶴見緑地)



9月24日(月)18:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大河原_六所神社_三国塚_島ヶ原2

勧請縄に鍋敷き、米俵などを藁で形づくって吊り下げてある。
六所神社参道にて。



六所神社本殿。
江戸時代の覆屋造り。
京都府重要文化財。



三国越展望台。
生憎の曇り空で視界は悪かった。



十三重石塔。
伊賀市島ヶ原、大谷川右岸にて。



薬師沢六地蔵磨崖仏。
伊賀市島ヶ原にて。
おしまい。



9月18日(火)18:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大河原_六所神社_三国塚_島ヶ原1

2018年9月16日(日)は、おおばこの会に参加した。
タイトルは「南山城村を歩く-童仙房から三国塚へ-」。(滋賀・京都・三重県境)

<概要>
この日の歩行距離は約16kmで、おおばこの会としては長距離。
その為、集合時間は8時40分。
45分にJR関西本線大河原駅(京都府南山城村)をスタート。
まずはR163沿い「南山城村農林産物直売所」に立ち寄る。
が、時間が早いせいか、農産物はまだ陳列されておらず。

南山城村役場前を通過して、関西本線の踏切を横断。
北大河原の国津神社、春光寺(しゅんこうじ)にお参りした。

集落の中に続く小道から、旧大和街道に出合う。
道なりに歩くと旧R163に合流。
JR関西本線高架下のトンネルを潜って、R163バイパスに出合い歩道を歩く。

渋久川(しぶくかわ)に架かる渋久橋を渡るとすぐに分岐となり、左折して「野殿←7km(至信楽)」方面へ向かう。
分岐のすぐ先、レストンおしはら前で小休止。
ここから野殿まで東海自然歩道を歩くが、“自然歩道”とは名ばかりで舗装道路が延々と続く。

しかし、この道は、幸いにも木蔭が多く、蒸し暑かったが、風が吹くと涼しかった。
先の台風の被害とみられる土砂崩れが随所に見られたが、歩行やクルマの通行には特に問題がない。

大河原駅を出発して約2時間半、11時20分に弁天池に到着した。
村道大河原多羅尾線を北に向かって歩く。
童仙房方面、東海自然歩道分岐を左に見送り、直進してすぐ福常寺に到着、ここで昼食となった。

食後は六所神社に立ち寄り、三国越林道(南山城横断林道)を歩く。
この林道も舗装道路で、途中、甲賀市方面の分岐を左(北)に見送る。
風景の変化に乏しい車道を三国越展望台・三国塚を目指して延々と歩いた。
三国とは京都府(南山城村北大河原)、三重県(伊賀市島ヶ原)、滋賀県(信楽町多羅尾)を指す。

三国越展望台は三国越林道から5分程度、山道を歩く。
この日は生憎の曇り空で、三国越展望台からの眺望はイマイチ。
また、周辺の潅木が生い茂って、展望が遮られていた。
三国塚は県境に置かれた塚で、何年ぶりかでここへも足を伸ばした。

来た道を三国越林道まで戻り、引き続き延々と舗装道路を歩く。
途中、「動岩(ゆるぎいわ)←150m」、「蝙蝠(こうもり)岩←150m」などの道標を見ながら歩き、見晴らし台に到着。
更に「天狗岩←100m」、「見晴台登山口」などの道標を見るが、いずれも立ち寄らず。

大谷川に架かる橋の手前で、ようやく三国越林道を離れ右折。
大谷川の右岸に沿って下る。
十三重石塔・祠(川上地蔵)を見て、正月堂分岐を右に見送って直進。

西念寺前で大谷川沿いから離れ、薬師沢六地蔵磨崖仏、薬師堂(石薬師摩崖仏)前を通過して、15時50分島ヶ原駅にゴールした。
16時10分発のディーゼルに乗って加茂駅へ。
大和路線に乗り換え奈良駅で下車した。
反省会は奈良三条通近くの霧下そば「かえる庵」。参加者3名。

<コース概略>
JR関西本線大河原駅_国津神社・春光寺(しゅんこうじ)_レストンおしはら前_東海自然歩道地図(野殿~押原~今山)・道標(←JR大河原2.7km / 押原0.3km→)_水場(谷水)_道標(野殿あと2km)_弁天池_11:33福常寺・やまゆり工房前・昼食12:30_六所(ろくしょ)神社_<三国越林道(南山城横断林道)>_三国越展望台・道標(←三国塚へ200m)_三国塚_見晴らし台_石碑(三国越)_十三重石塔・祠(川上地蔵)_福岡醤油店前_西念寺前_正月堂分岐_薬師沢六地蔵磨崖仏_薬師堂(石薬師摩崖仏)前_15:50JR関西本線島ヶ原駅16:10

<その他>
・参加者総勢13名。
・コース歩行距離約16km。
・実歩行距離約26km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km、奈良駅~近鉄奈良駅往復約2.2km等を含む)
・歩数3万8千歩。

画像はこの日歩いたJR関西本線大河原駅から島ヶ原駅までのGPSログを表示。



スギの巨樹。
南山城村野殿野口、弁天池にて。

野殿(のどの)という地名は、江戸時代の柳生藩の野殿という家臣の名前に由来するそうだ。
この家臣の屋敷は六所神社の隣にあって、現在も子孫の方が住んでおられるという。



弁天池の浮島に祀られている祠。
左の石柱には「無格社市杵島神社」(いちきしまじんじゃ)と彫られていた。



ブルーベリー畑。
南山城村野殿にて。



ご神木のスギ。
六所神社にて。



9月18日(火)18:22 | トラックバック(0) | コメント(5) | ウォーキング・散策 | 管理

明日香村の案山子7

でんでんむしむし、かたつむり!【童謡・アニメ】



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不明。


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不明。


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Japanese Children's Song - 童謡 - Omocha no ChaChaCha - おもちゃのチャチャチャ



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不明。
おしまい。



9月12日(水)18:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

明日香村の案山子6

月の砂漠。
UA ううあ つきのさばく 童謡



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赤とんぼ。
【♪うた】赤とんぼ - Aka Tombo|♬ゆうやけこやけのあかとんぼ♫【日本の童謡・唱歌 / Japanese Children's Song】



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おなじく「あめふり」。


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不明。


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説明書きによると、同じく「おにのパンツ」。


9月12日(水)18:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

明日香村の案山子5

森のくまさん。
森のくまさん | キッズソング | 童謡 | レッド キャットリーディング



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こ、これは、麻原尊師では!?


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同じく浦島太郎。


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金太郎。
【♪うた】金太郎 - Kintaro|♬まさかりかついで きんたろう くまにまたがり おうまのけいこ♫【日本の童謡・唱歌 / Japanese Children's Song】



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不明。


9月12日(水)18:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

明日香村の案山子4

不明。


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「あめふり」らしい。
【歌入り】あめふり(童謡・童話)



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これは「日本の童謡」とは関係ない。
ジャンボ案山子と呼ばれるもの。
人物像は西郷どん。


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説明書き。


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浦島太郎。
【歌付き】浦島太郎(うらしまたろう) 童謡・童話



9月12日(水)18:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

明日香村の案山子3

とんぼのめがねかな。
とんぼのめがね



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【♪うた】七つの子 - Nanatsu No Ko|♬からす なぜなくの からすは やまに♫【日本の童謡・唱歌 / Japanese Children's Song】



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七つの子の部分をズームアップ。


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【♪うた】かごめかごめ - Kagome Kagome|♬かごめ かごめ かごのなかのとりは♫【日本の童謡・唱歌 / Japanese Children's Song】



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不明。


9月12日(水)18:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

明日香村の案山子2

鬼のパンツ。
【歌入り版】鬼のパンツ(おにのパンツ)童謡・童話 動く絵本



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「せんとくん」みたいだが。果たしてこれは童謡なのか。
新しい童謡なのだろう。今となっては古くなってしまったが。
せんとくんなら知っている in 平城遷都1300年イベント(奈良公園)



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不明。


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わかりません。


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同じく証城寺の狸囃子。


9月12日(水)18:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

明日香村の案山子1

奈良県明日香村の棚田で知られている稲渕地区で毎年恒例の「かかしコンテスト」が開催される。
今年の開催日は9月22日(土)・9月23日(日)の二日間。
今年のテーマは「日本の童謡」でテーマに沿った案山子が作られる。

一足早いが、11日(火)に案山子路(かかしロード)を歩いて来た。
まだ展示されていない作品も多くあって、今年はやや出遅れているようだ。

画像はかかしロードの入口に立つ案内板。
飛鳥川に架かる勧請橋付近にて。
後の橋が勧請橋。


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大谷翔平とダルビッシュ。

これを見てイメージする日本の童謡??
分からなかった。
説明書きを読んだらわかるだろう。
というか、実は読んだのだが、その時は納得したものの、すっかり忘れた―笑。


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しょ、しょ、じょうじの♪・・・
証城寺の狸囃子(しょうじょうじのたぬきばやし)。



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かみなりごろちゃんらしい。こんな曲、知らなかった。
かみなりごろちゃん。



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分からない!?


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9月12日(水)17:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

(続き)業平道3(竜田川_十三越_服部川)

地蔵菩薩。

平群町福貴畑、おおと越分岐付近にて。



おおと越分岐に立つ道標。

「右 大坂 / 左 ひらの 住吉)」。

右は十三街道(業平道)でこの日の歩くコース。
左は「平野 住吉」方面で“おおと越”と呼ばれるが、少なくとも、この道標が立つ分岐付近では、道が消滅しているようだ。廃道?



水呑地蔵院(尊)から、大阪平野の眺望。
涼しくて快適

この日は視界が良く遠望が望めた。
遠くは淡路島、明石海峡大橋、大阪湾、大阪城の天守閣、六甲山系などがよく見えた。
画像中央に見える建物はあべのハルカス。



神立辻地蔵堂(一番)から水呑地蔵院(三十三番)まで、二体の石仏が続いている。
合計六十六体となるが、一体だけ祀ってあるところもあって、正確には何体祀ってあるのかわからない。
また、二体の内、一体は弘法大師像とも限らないようだ。

画像はその内の三十番。
“セキカメ”とは「木材商 関本亀三」さんのこと。(横に刻印)
台座の上の平らな石を提供したのだろうか。

大阪府八尾市、十三街道(=業平道)にて。



天然記念物 玉祖神社(たまおやじんじゃ)のくす。(大阪府指定天然記念物)
樹齢は記載なし。
五百年くらいだろうか。

八尾市、玉祖神社境内にて。



8月14日(火)18:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

業平道3(竜田川_十三越_服部川)

2018年8月12日(日)は、こばこの部に参加した。
タイトルは「業平道パートⅢ~竜田川から十三越え~」。

<概要>
スタートは近鉄生駒線竜田川駅、ゴールは近鉄信貴線服部川駅。
業平道のパートⅢで、前回のパートⅡで矢田丘陵を横断したが、この日は生駒山地を越えて大阪平野へ下った。

連日の猛暑日の中、スタートからゴール迄で出会ったハイカーは僅かに2組。
福貴畑の集落、最奥の人家手前で十三峠方面から歩いて来た単独行の男性。
日傘を差していたので、一見、地元の人かと思ったがハイカーだった。
もう一組は十三峠で信貴生駒スカイラインを南方向へ歩いていた二人組。
因みに信貴生駒スカイラインは歩行禁止。

<コース>
8:40近鉄生駒線竜田川駅9:08_近鉄生駒線の踏切を横断_道標(左 椹原(ふしはら) 右 十三峠 道 / 昭和九年一月)_烏土塚(うどつか)古墳分岐を左に見送り直進_分岐(信貴山7.5km直進を見送り石床神社方面へ右折)_分岐(石床神社0.9kmへ右折)_伊文字川(いもじがわ)に架かる橋を渡る_石床神社旧社地(いわとこじんじゃきゅうしゃち)_磨崖仏_消渇(しょうかち)神社・石床神社・越木塚(こしきづか)集会所_御神水_道標(左 たつた 右 志やかち御神 一丁 道 / 摂州有馬郡 願主 渡邉氏博泉)_道標(<北西面>右 志やうかちかミ 左 たつた / (台座) 石工 九兵エ /<北東面> 右 十三とふげ 江戸ヶ崎乙吉 左 志やうかちかミ / (台座) 鵤内 門弟中 /<南東面> 嘉永五年 子九月吉日)_道標(右 い古ま道 / 文久? 志? ?主 塚基治)_分岐を左折(右は通行止め)_ドッグサロン ブレーメン前_道標(十三峠3.0km)_乗馬クラブ フジラィディングパーク前_道標(左 た津多 法里うじ / 奈良いせ道 / 右 信貴山 米尾山 / 毘沙門天王出現所 七丁)_野仏(地蔵菩薩)_信貴フラワーロードに架かる福貴畑大石橋(陸橋)を渡る_浄光寺前_双石仏_分岐で杵築神社方面へ進む_勧請縄・野仏_分岐へ戻り杵築神社方面を右に見送り引き続き業平道を歩く_分岐で右折_コンクリート石祠(石仏二体)_石祠(地蔵菩薩)_分岐(おおと越を左に見送り十三街道(業平道)へ右折)・道標(右 大坂 / 左 ひらの 住吉)_信貴生駒スカイライン出合い_十三峠の石仏_道標(右 松尾道)_11:41十三塚・昼食12:30_十三峠・道標(水呑地蔵尊0.7km 服部川駅4.2km)_信貴生駒スカイライン下のトンネルを潜る_トイレ・駐車場_道標(服部川駅 十三街道ハイキング道)_分岐を左へ_水呑地蔵院(尊)_通行止め看板(がけ崩れのため通行止め)_神立(こうだち)園地分岐を左に見送り直進_祠(野仏)_二体石仏群(通説:三十三番から一番まで合計六十六体)_路肩崩壊・注意して通行_歌碑(君来むと いひし夜ごとに過ぎぬれば 頼まぬものヽ恋ひつヽぞ経る / (訳)あなたが「君に逢いに行くよ」と言ったから、私は毎夜あなたが来るを待っているけれど、いつもあなたは来ないままむなしく過ぎてしまう。だから、あなたの訪れをあてにはしていないけれど、でもあなたを恋しいと思いながら、わたしは過ごしているのです)_石柱(史跡の道 八尾市)・石碑(神立茶屋辻 この街道はむかし大阪玉造と大和竜田を結ぶ重要な道筋にあたりこの辻には多くの茶屋が並んでいたのでその名がある。また在原業平と茶屋娘の恋物語りで名高い。業平が峠を越え玉祖神社へ参詣の途中、福屋の娘梅野をみそめたが、ある夜東窓があいていたので中をのぞくと、娘が手づからでめしを食っているので、急に興ざめ逃げ帰った、娘は後を追ったが見あたらず悲んで渕に身を投げた。この高安の里では、今でも東窓を忌み、これをあけると娘の縁が遠くなるという伝説がある。この道を登ると水呑地蔵、十三峠がある。八尾市教育委員会)_丁石(一丁)_玉祖(たまおや)神社・天然記念物 玉祖神社のくす_佐麻多度神社_分岐で俊徳丸鏡塚古墳を左に見送り直進_当内酒店前_14:35近鉄信貴線服部川駅 ★反省会:餃子の王将 河内山本駅前店。

<その他>
・参加者総勢12名。
・コース歩行距離約12km。
・実歩行距離約16km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む)
・歩数2万2千歩。
・反省会 餃子の王将 河内山本駅前店

【参考】
平群石床神社

神立辻地蔵と水呑地蔵〔八尾市神立〕 弘法大師の霊泉へと続く在原業平の通い道

画像はこの日歩いた近鉄竜田川駅から服部川駅までのGPSログを表示。



石床神社旧社地(いわとこじんじゃきゅうしゃち)の磐座(陰石)。

石床神社旧社地 平群町越木塚
越木塚集落の南東部、伊文字川流域を見おろす位置にあり、本殿や拝殿は当初からなく、鳥居と社務所があっただけで、崖面に露頭した高さ約6m、幅10数mの巨大な「陰石」を御神体としている。「延喜式」に記載のある式内社で、祭神は剣刃石床別命(けんじんいわとこわけのみこと)、貞観元年(859)には従五位上を授けられている。地域での磐座(陰石)信仰が窺え、古い信仰形態を伝える貴重な神社である。大正13年(1924)に集落内の素戔鳴神社[現:石床神社]に合祀されている。この付近には花崗岩の巨石が多数露頭し、鳥土塚古墳や西宮古墳に運ばれており、古墳時代~飛鳥時代の石材産地でもある。」



石を積んで造られた道。
軽トラだとギリギリ通行出来るだろうか。
ちなみにGoogleのストリートビューでは、この道は表示されない。

奈良県生駒郡平群町越木塚(こしきづか)にて。



願掛けに使われる土の団子十二個と(左)と願いが叶ったお礼にお供えする米の団子十二個(右)。

消渇神社
消渇神社は、本来は地域の産土神(うぶすながみ)である正勝(まさかつ)の神として祀られていた。室町時代に、旅の僧信海(しんかい)が腰の病を治してもらってから下半身の病気に御利益があるとして村人に信仰されるようになる。江戸時代には社名から女性の病気や性病に効果があるとして京都祇園からの参拝者もあり、参道に茶店が出るほど賑わったという。願掛けには境内階段下の屋形で土の団子を一二個つくりこれを供えて祈願し、願いが叶うとお礼に米の団子を一二個お供えする。石床(いわどこ)神社は、大正十三年(一九二四)に旧社地より消渇神社境内奥の現在地に合祀(ごうし)された。拝殿前に天保五年(一八三四)の狛犬が、奥に寛文七年(一六六七)の石灯篭が奉納されている。瓦葺きの覆屋内に三つの社殿があり、中央が石床の神である。また、左右の社殿には太玉命(ふとだまのみこと)と本来の祭神である素盞鳴命(すさのおのみこと)を祀っており、拝殿の奥には神篭石(かみごおりいし)がおかれている。

消渇(しょうかち)神社にて。



勧請縄。

平群町福貴畑(ふきはた)にて。



8月14日(火)18:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

祇園祭 後祭 山鉾巡行

2018年7月24日(火)は、現役時代の職場の同僚と、京都浮世絵美術館で葛飾北斎、歌川広重などの浮世絵を鑑賞した。
この日は丁度、祇園祭(ぎおんまつり) 後祭(あとまつり) 山鉾巡行(やまほこじゅんこう)の日でもあり、タイミング良く、四台の山鉾巡行を観ることが出来た。
その後、漬物屋の立ち飲み居酒屋「大賀花」(だいがばな)で反省会となった。

山鉾巡行は、毎年10万人を越える人々が訪れる。
2014年から約半世紀ぶりに“後祭”が復活していた。
ユネスコ無形文化遺産。

京都浮世絵美術館
祇園祭
【京都】漬物屋さんの立ち飲み大賀花で美味しい料理とお酒を頂く♪

山鉾巡行の動画4本のうち、鳴り物入りは、6.南観音山のみ。コンチキチン。

6.南観音山(みなみかんのんやま)


7.役行者山(えんのぎょうじゃやま)
修験道の開祖、役行者小角(おづぬ)が大峰山と葛城山との間に石橋を架けようと、一言主命(ひとことぬしのみこと)に石を運ばせたという伝説に由来する。
役行者は帽子(もうす)・掛絡(かけらく)・経巻(けいかん)・錫杖(しゃくじょう)を持って座し、葛城神は女体で手に台つきの輪宝を持ち、一言主神は鬼形で赤熊(あかぐま)をかぶり手に斧を持っている。
水引は綴錦(つづれにしき)の名手とうたわれた西山勘七(にしやまかんしち)作の唐子遊図(からこあそびのず)。平成十年より復元新調の前懸は「牡丹胡蝶図と雲龍文様」との三枚継ぎ。


8.浄妙山(じょうみょうやま)


9.八幡山(はちまんやま)



7月26日(木)17:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

五條市民俗資料館_まちなみ伝承館_生蓮寺

2018年7月12日(木)はササユリの会に参加した。

<概要>
JR和歌山線五条駅からスタート。
まずは、お初となる五條市民俗資料館(旧五條代官所長屋門)を訪問。
実際に訪問した印象としては、施設の名前とは裏腹に“民俗資料”的な展示物が少なかったように感じた。
「旧五條代官所長屋門 附属天誅組資料館」といったイメージ。
館の人に“天誅組”について詳しく説明して頂いた。

新町通りの五條市まちなみ伝承館は3回目の訪問となる。
この日は平日だったので、過去の訪問時と較べると観客が少なかった。
というより、その場に居合わせたのは我々だけ。
ここも館の人に“五條市のまちなみの形成”について熱心に説明して頂いた。
感謝。

その後、吉野川沿いの東屋で昼食。
御霊神社を訪れた後、生蓮寺へ。生蓮寺は2度目の訪問。
この時季、蓮の花が見頃だったので期待したが、過度の期待は禁物。
境内に蓮を植えた鉢が置かれており拝観自由。蓮の池はない。
尚、蓮の花は午前中に愛でるのがベターと思われる。

JR和歌山線はようやくICOCAが使えるようになった。
但し高田駅から五条駅までの区間のみ。(2018年3月17日以降利用可能)
2018年春 和歌山線ICOCA利用可能エリア拡大日について

この日は、行きが吉野口駅から五条駅まで乗車したのでICOCAが使えたが、吉野口駅で電車の待ち時間が十分あったので、一旦、改札から出て切符を買った。
帰りは大和二見駅から乗った。
この駅はICOCAの利用対象外なので切符を買った。

いつもながら吉野口駅での近鉄電車の待ち時間が短く僅かに3分。
電車がホームに到着すると同時にダッシユ。
地下道を通って、ホームに居た近鉄の車掌から切符を購入した。

JR吉野口駅構内では、創業明治44年(1911年)より百有余年に渡り営業していた駅弁鮎寿司・柿の葉寿司の店、柳屋が2018年6月30日にて営業を終了していた。

<コース・概略>
10:19JR和歌山線五条駅_旅館芳成館前_<商栄会商店街>_西川に架かる天長橋を渡る_五條市役所前(五條代官所跡)_五條市立図書館前_五條小学校前_東浄川に架かる宮前橋を渡る_五條市民俗資料館(旧五條代官所長屋門)_五條市まちなみ伝承館_吉野川沿い東屋・昼食_寿命川樋門前_御霊神社_二見の大ムク_二見公民館前_三塚地蔵尊_大和二見駅前_JR和歌山線の伊勢街道踏切を横断_生蓮寺(しょうれんじ)_JR和歌山線大和二見駅14:18

<その他>
・参加者総勢8名。
・実歩行距離約9km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む)
・歩数1万3千歩。

画像はこの日歩いた五条駅から大和二見駅までのGPSログを表示している。



日本で初めての国産機関車、8620形 78675号。
愛称:金剛・ハロー号。
製作:大正時代初期。
主な運転区間:和歌山線 姫新線 芸備線。
最高速度:95 km/時間
「五條市民俗資料館」前にて。



嫁入りに使われた籠で、屋根裏に置いておくことによって、実家には戻れないという戒めだったそうな。
籠が新しく見えるのは、近年になって補修されたため。
明治から大正時代にかけて建てられた家で、かつては病院だった「五條市まちなみ伝承館」にて。



天然記念物 「二見の大ムク」。
推定樹齢一千年。
樹高15m、目通り周8.5mだったが、昭和34年の伊勢湾台風で主幹が折れた。
五條市二見四丁目。



蓮の花の蕾。
「生蓮寺」にて。



7月13日(金)18:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

業平道2(平端_竜田川)

2018年7月1日(日)は、こばこの部に参加した。
タイトルは「業平道パートⅡ~平端から竜田川へ~」

<概要>
在原業平(ありわら の なりひら)道のパート2で、近鉄橿原線平端駅から近鉄生駒線竜田川駅まで歩いた。
パート1は2018年1月5日、天理教お節会の後、平端駅まで歩いている。
パート1の記録。
天理教お節会_北山辺の道_白川溜池_業平道

<コース>
近鉄橿原線平端駅9:11_自分薬局本部前_推古神社_常夜灯(太神宮 / 文政十丁亥年)_重要文化財 額安寺五輪塔(石造五輪塔八基)・鎌倉墓_史跡 額田部窯跡(ぬかたべかまあと)_地福寺跡_西町パークシティ自治会館前_祠(石仏)_蛭子(えびす)神社・狛犬(佐吉作)_良福寺_西町公民館前_安堵町コミュニテイバス岡崎バス停前_岡崎川に架かる岡崎橋を渡る_西名阪自動車道の高架下を潜る_宝篋印塔・石仏群・石碑_東安堵公民館前_極楽寺(広島大仏)_大寶寺前_うぶすなの郷(富本憲吉生家)前_飽波(あくなみ)神社_安堵駐在所前_<太子道>_安堵保育園前_延命地蔵尊_広峰神社・業平姿見の井戸_善照寺・冨生(ふしょう)の松(別名:根上がりの松)_JR関西本線の安堵第二踏切を横断_富雄川に架かる新業平橋を渡る_11:40上宮(かみや)遺跡公園・昼食12:36_斑鳩東小学校前_道標(右 いせ た王(わ)ら本 み王(わ) 者(は)せ いちの本 たん者”(ば)市 / 左 京 郡山 奈ら 道 / 春(す)ぐ たつ多 志ぎ山 大坂 さ可(か)い / 天保十五甲辰年吉日 施主何某)_<法隆寺参道>_R25法隆寺前交差点を横断_法隆寺iセンター前_志むら(お食事処)・休憩_法隆寺南大門_法隆寺西大門_西里町並み_藤ノ木古墳前_桜池ポケットパーク・石仏_斑鳩中学校前_奈良県斑鳩健民運動場前_道標(県立龍田公園方面へ左折 藤ノ木・業平つれづれの道)_道標(県立龍田公園方面へ右折)_道標(県立龍田公園方面へ右折)_分岐を左折_道標(県立龍田公園方面へ左折)_<竹林>_祠・石造物_龍田北四丁目6(住所表示板)_道標(県立龍田公園方面へ右折)・ハイキング案内地図_祠(石仏二体)_高塚町公民館前_説明板(業平道)_龍田川に架かる念仏橋を渡る_県立龍田公園・トイレ_石龕・石仏群_竜田川遊歩道案内図・近鉄竜田川駅へ1.3km・市町村境(斑鳩町→平群町)_竜田川ネオポリスバス停前_平群南小学校前_竜田川に架かる椿井橋を渡る_竜田川駅東側バス停前_14:48近鉄生駒線竜田川駅 ★反省会:味楽座 生駒店。

<その他>
・参加者総勢22名。
・コース歩行距離約12km。
・実歩行距離約18km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む)
・歩数2万6千歩。

画像は近鉄平端駅から竜田川駅まで、当日歩いたGPSログを表示。



石工 丹波佐吉作とされる狛犬。
上半身が手前(右方向)に大きく傾いている。
申年九月吉日の銘。
佐吉の名前を確認したが不明。
文献によると、吽形の第二台座の裏側に「石工和泉庄吉」、阿形に「萬延元年??」(1860年)と彫られているそうな。
「石工和泉庄吉」の部分を画像の左上に貼り付けた。
大和郡山市西町 蛭子(えびす)神社にて。



広島大仏。
極楽寺にて。
広島大仏(極楽寺)について
広島大仏がなぜ奈良に!?



冨生(ふしょう)の松。
善照寺(ぜんしょうじ)境内にて。



道標。
「右 いせ た王(わ)ら本 み王(わ) 者(は)せ いちの本 たん者”(ば)市 / 左 京 郡山 奈ら 道 / 春(す)ぐ たつ多 志ぎ山 大坂 さ可(か)い / 天保十五甲辰年吉日 施主何某」。
法隆寺参道南にて。



7月8日(日)19:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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