上ノ太子_近つ飛鳥博物館9 |
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| 通法寺跡の旧境内。桜が植えられている。あちこちに礎石も見られた。
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| こちらは放置された手水舎。
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| 通法寺跡の門前。祠にはお地蔵さんが祀られていた。
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| 通法寺跡を後にする。石の橋に付着した苔や雑草を取り除いておられたようだ。
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| 来た道を少し戻って、源義家墓へ。
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11月20日(水)22:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館8 |
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| 源頼義墓を正面から撮影。
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| 石灯籠の優美なデザイン。
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| 石の扉を開けようとされるK氏。
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| 河内源氏の家紋、笹竜胆。 河内源氏 Wikipediaより、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%86%85%E6%BA%90%E6%B0%8F
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| こちらが鐘楼。といっても梵鐘はない。
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11月20日(水)22:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館7 |
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| 少々、藪っぽい道を歩く。
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| 画像のようなムカゴが沢山生っていたが、実にコブがあったので、ムカゴではないかもしれない。
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| やがて、通法寺跡に出てきた。一帯は美観地区なのか小奇麗に整備されている。
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| 通法寺跡、Wikipediaによると、 「通法寺(つうほうじ)は大阪府羽曳野市に存在していた寺院。河内源氏の菩提寺であった。」 また、羽曳野市のHPによると、 「石川の東方に広がる丘陵地の谷部に立地します。『通法寺興廃記(つうほうじこうはいき)』には長久(ちょうきゅう)4年(1043)源頼義が仁海谷で千手観音像をみつけ、館の南に精舎を建立し通法寺と号したのがはじまりと伝えられています。その後永徳年間(1381から84)には堂が雨露のため朽ち、かなり興廃したようです。江戸時代になって元禄13年(1700)、徳川綱吉が諸堂宇を再建しました。しかし再建された通法寺も明治6年(1873)になって、門、鐘楼(しょうろう)以外は取り壊されました。」
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| このような寺跡や、河内源氏のことを含め、私は初めて知った。源氏三代墓の一つ、まずは通法寺跡の境内にある源頼義墓。手入れがあまり行き届いていないように見える。半ば忘れられているような。
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11月20日(水)21:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館6 |
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| ウォーキングトレイル脇に咲いていたツリガネニンジン。この花が咲く時季としては少々遅い。
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| 田んぼの畦道のような細い道を一団となって歩く。
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| 畑ではサツマイモの収穫をされていた。
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| 付近にはヤギが放し飼いになっていた。ヤギは雑草を食べるのだろう。画像のヤギは茶色っぽく、日本の在来種ではないようだ。
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| 歩いて来た方向を振り返って撮影。後続の方たちの姿が見える。
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11月20日(水)21:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館5 |
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| この石灯籠、なぜこのような凸凹が見られるのか不思議だ。 ※これは盃状穴だと教わった。 盃状穴とは岩石や石の構造物等に彫られている盃状の穴の事。Wikipediaより。
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| Wikipediaによると、 「現在は素盞嗚命が祭神となっている。これは江戸時代に牛頭天王が祭神となっていたため、神仏分離の際に素盞嗚命に改めたものである。当地は5世紀に渡来した百済王族・昆伎王の子孫である飛鳥戸造(あすかべのみやつこ)氏族の居住地であり、本来は飛鳥戸造の祖神として昆伎王が祀られていたものと考えられている。」
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| 奈良県にもある“飛鳥”という地名が、百済王族・昆伎王の子孫である飛鳥戸造氏族と関係があるとは知らなかった。尚、この神社が鎮座する住所は、大阪府羽曳野市飛鳥。飛鳥戸神社を後にすると、立派な鳥居があった。このような立派な鳥居を見ると、以前はもっと規模が大きかったと思われる。
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| 狭い路地のようなところを歩き、近鉄南大阪線の踏切を渡る。
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| 南へと歩き、田んぼの畦道のような、人一人がやっと歩ける道に出るが、ウォーキングトレイルになっていた。
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11月20日(水)21:11 | トラックバック(0) | コメント(3) | 山歩き | 管理
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館4 |
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| 古墳の上に登って撮影。
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| 少し登っただけで、これだけの眺望が得られるとは思ってもみなかった。
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| 観音塚古墳の説明板。
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| 古墳を後にする。
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| 来た道を少し戻って、飛鳥戸神社へと向かう。狭い旧道の左手にあったが、こじんまりとした神社だ。新しい標石が立っていた。
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11月20日(水)21:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館3 |
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| 観音塚古墳を真下から仰ぎ見る。
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| 左に設けられている急な階段を登る。
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| 振り返ると、一気に高度を稼ぎ、鳥のように空に舞ったような気分が味わえた。古墳は南側の斜面に面していて、東方向の山々の眺望が得られた。画像は左から大和葛城山、金剛山。
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| 古墳の真下にある池を見る。
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| Wikipediaよると、 「観音塚古墳(かんのんづかこふん)は、大阪府羽曳野市飛鳥に所在する古墳(円墳)。内部に切石を組み合わせて構築した横口式石槨(石室構造の1種)を有しており、飛鳥時代に造られた終末期古墳の1つである。国の史跡に指定されている。」 この古墳は飛鳥時代に造られたものらしい。石槨に使われている石の断面は、画像のようにとても精巧に造られおり、飛鳥時代のものとは、にわかに信じがたいくらい。
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11月20日(水)21:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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