山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2013年11月25日を表示

上ノ太子_近つ飛鳥博物館20

すぐに分岐となる。「近つ飛鳥博物館」へは右折だが、もしかすると、ここを左折すれば、平石城址へのルートがあったのかもしれない。


一須賀古墳群の説明板。説明板によると、一須賀古墳群は大陸からもたらされた新しい技術力を携えた渡来系氏族の集団墓と考えられているようだ。


駐車場の裏側から「近つ飛鳥博物館」へ入る。


画像は後続の皆さんたち。


「近つ飛鳥博物館」へ入って、すぐにバスの出発時間をチェックした。現在時間は14時52分。バス停まで15分くらいかかるそうなので。もし、このまま博物館に入らずに、バス停に向うなら、15時25分発の富田林駅行に乗れそうだった。この時、バス乗り場をよく見ていなかった。バス乗り場は「阪南ネオポリス」だった。これが、この後、バス停を間違えることになってしまう。


11月25日(月)22:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

上ノ太子_近つ飛鳥博物館19

T氏と、一緒に先頭まで来られたSさんが斥候として、様子を見に行かれたが、暫くして戻って来られ、方向が違うので、東方向へ伸びる尾根道を歩くことに。


ここからは、I氏とK氏が先頭を歩かれた。画像のような赤テープが、あちこちに取り付けられており、かつては、ルートだったのだろう。


倒木の隙間を潜るようにして進むI氏。今、この画像を見ると、もう何年も歩かれた形跡がない踏み跡であることがわかる。そして、ついにI氏が、「藪が酷くこれ以上前へ進めない」の一言で、引き返すことになった。


引き返すのは、カラスウリの実が生る、近つ飛鳥博物館分岐までだ。時間にして約45分、ロスしたことになるが、今となれば、楽しい思い出だ。ただ、あのような藪コギは、出来ることなら、もう歩きたくないものだ。理由は山ダニが気になるから。画像はカラスウリの実が生っていた分岐の手前。


一列縦隊で歩く。


11月25日(月)22:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

上ノ太子_近つ飛鳥博物館18

この先、山道は分岐となる。T氏の話では、右は「近つ飛鳥博物館」へ直行(希望者のみ)。左は平石城址を経由して、「近つ飛鳥博物館」へ向うという。T氏が予定されていたコースは、平石城址を経由する方だったので、全員がこちらを歩いた。画像は右方向を撮影。


分岐地点に生っていたカラスウリの実。お土産に持ち帰った人もいたようだ。


暫く歩くと、舗装が途切れ、地道となり、下草が目立つようになった。これまで歩いてきた道の状態とは明らかに違っていた。私はこの日、山靴ではなく、スニーカーを履いていたので、道の状態には敏感だった。この時、先頭を歩いていたのは、N氏で、私は二番手だった。


クモの巣が行く手を阻むようになる。今から思えば、舗装が途切れたところから先は、歩く道ではなかったと思う。T氏が歩かれた時とは、状況が変わっていたということだ。この道は、今となれば、廃道同然だ。しかし、その時は、誰もそうは思わなかったのだろう。私はGPSを使って現在地点をウォッチしていたが、当日にもらった地図には、歩くルートが実線で表示されていなかったので、向かうべき場所へのルートがわかりにくかった。画像は棒切れで、クモの巣を払い落としながら進むN氏。


しかし、東へ向かうはずが、北の方向へずれているので、T氏にそのことを告げた。画像は先頭まで追いついてこられたT氏。


11月25日(月)21:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

上ノ太子_近つ飛鳥博物館17

やがて、付近には小さな古墳が見られるようになる。この古墳、全体を見ようと試みたが、下草が生い茂っており、踏み込めなかった。


周りの景色。雑木林だが、植林と違って、季節の変化が見られる。


蝦夷(えみし)塚と呼ばれる古墳に到着。


祠が見えるが、雨乞いの神様として信仰されていたそうだ。


石標には、「善女龍王(ぜんにょりゅうおう)」の字が見える。雨乞いの対象である龍王のうちの一尊とされる。
Wikipediaより、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%84%E5%A5%B3%E7%AB%9C%E7%8E%8B



11月25日(月)21:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

上ノ太子_近つ飛鳥博物館16

祠。手入れが行き届いているように見える。中を覗いてみると・・。


お地蔵さん。真新しい涎掛けが掛けられていた。


山道に取り付く。


二上山が、もっこりと姿を見せていた。山道はこの先、右手に墓地を見て歩く。


車道の上に架かる陸橋を渡る。後の時代になって車道が出来たので、古道に橋を架けることになったのだろう。というか、車道を造る為に、山を切り崩したのかもしれない。


11月25日(月)20:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

上ノ太子_近つ飛鳥博物館15

画像がフウの仲間で、モミジバフウと呼ばれている木と実。


こちらは畑で栽培されていた。フルーツだが、名前は不明。


古道らしき趣のある道を歩く。


道標があった。やはり古道。「右 いせ はせ 道」か。


集落の中を歩く。


11月25日(月)20:03 | トラックバック(0) | コメント(2) | 山歩き | 管理


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