矢田寺と大和郡山の魅力7 |
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| 説明板によると、「もと桜井市下(旧下村)に所在していた農家で、組頭を務めたと言われている。下村は昔、宿場で栄えた桜井から、南方へ約2Km離れ、多武峰に向う街道に沿った村落。」 桜井市下は、聖林寺があるところだ。
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| 茅葺き屋根。
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| 旧萩原家住宅の説明板。
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| 茅葺き屋根は相当な厚さがあるようだ。
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| 次は「宇陀・東山集落」を見て回る。
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12月11日(水)23:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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矢田寺と大和郡山の魅力6 |
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| 国中集落の旧吉川家住宅。説明板によると、もと橿原市中町に所在した自作農の典型的な農家で、庄屋を務めたといわれている。
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| 住居の内部。説明板によると、座敷の床、仏間、物入れは建築後、約80年位してから改造されたもの。仏間は画像では暗くてわかりにくい。
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| 「釜屋」の「流し」。画像の窓は格子のように見えるが、スライドして閉めることが出来た。但し、隙間だらけだったが。
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| こちらは、旧西川家土蔵。説明板によると、もと天理市二階堂北菅田町にあった農家の土蔵。
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| 旧赤土家離れ座敷(きゅうしゃくどけはなれざしき)。説明板によると、もと香芝市狐井の赤土家に在った。 当家は系図によると、楠木氏を祖とする農家で、庄屋を務めたと伝えられている。この建物は見たところ小規模だが均整の良く取れた姿を表している。内部は8畳1室で本床を備えた構成は素晴らしいとか。なお、8畳1室と本床部分は18世紀初期以前の建築のようだか屋根や庇は後世に整えたとみられる。
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12月11日(水)21:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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矢田寺と大和郡山の魅力5 |
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| 移築復原された井戸。蓋を開けて中を覗いたが、井戸を掘ってあった。
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| 旧鹿沼家住宅を紹介したサイト。 http://elkings.sakura.ne.jp/kensitei/kanumake.htm
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| 説明板。大和高田市から移築したものだ。
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| かまど、京都では“おくどさん”と呼ばれている。画像は「四連かまど」。
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| 次の地域を見て回る。国中(くんなか)と呼ばれている奈良盆地の集落。
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12月11日(水)19:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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矢田寺と大和郡山の魅力4 |
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| 歌ケ崎御廟を後にし狭い道を歩く。クルマがほとんど通らないので歩きやすい。すぐに車道に出る。暫く北へ歩くと県立民俗博物館に到着。
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| この木はメタセコイアかラクウショウだろう。遠くから眺めている限りでは、どちらか判断がつかないが、沼地ではないので、メタセコイアかもしれない。
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| この日は博物館に入館した。入館料は200円。画像は展示物の一つ。
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| 博物館は20分ほど見学して、その後、大和民俗公園の野外展示物を見ることにした。こちらは見学自由となっている。
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| 野外展示物とは、奈良県内で18世紀から19世紀(江戸時代)に建てられた民家15棟が、その所在した地域に則して「町家」「国中(奈良盆地)」「宇陀・東山」「吉野」の4ブロックに分けて移築復原したものだ。・・・利用の手引きより。画像は町家集落の旧鹿沼家。
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12月11日(水)19:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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矢田寺と大和郡山の魅力3 |
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| 発志禅院は、元は郡山城主・本多氏の菩提寺だった。
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| 「發志禅院」と書かれている。
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| お寺を出て、道なりに歩くと、歌ケ埼御廟と呼ばれる史跡に到着。
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| ここは、郡山城主・本多忠常のお墓。 下記は、歌ケ崎御廟を紹介したサイト http://blog.goo.ne.jp/fineblue7966/e/e91326791e067f97b29f33ec74bae20a
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| せっかくなので、この史跡も見て行くことに。大和郡山市指定史跡となっていた。
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12月11日(水)19:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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