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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2013年12月6日を表示

茨木市の最高峰・竜王山19

一箇所に集められた石仏たち。少々窮屈そうに見えなくもないが。


「高槻を歩こう会」のスタッフの皆さん。オレンジの服がよく目立つ。集合写真を撮影するとのことで、この後、私が撮影した。


忍頂寺を後にする。右手に浄福寺を見て歩くと、左に忍頂寺小学校前バス停を見る。


このモミジの紅葉も見頃だ。


やがて交差点に出る。信号のない忍頂寺交差点(府道1号)を横断。


12月6日(金)22:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

茨木市の最高峰・竜王山18

山門とイチョウの落ち葉。


賀峯山(かぶさん)忍頂寺畧縁起。


境内の隅にあった石仏や五輪塔。


地蔵菩薩。比較的新しいようだ。


モミジの紅葉。日差しを浴びると色が映えて美しい。


12月6日(金)21:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

茨木市の最高峰・竜王山17

眼下には畑が広がっていた。曇っているのか、相変わらず眺望が良くない。


ピラカンサの実。


大きな柿の木が見えるが渋柿だろう。畑には獣避けの柵が立てられている。


やがて忍頂寺に到着。以下は、茨木市のHPから。
「忍頂寺は、僧三澄(さんちょう)が創建して神岑山寺(かぶさんじ)と称しましたが、貞観2年(860年)9月20日、清和(せいわ)天皇より忍頂寺の寺号を賜り勅願寺(ちょくがんじ)となりました。その後、京都仁和寺(にんなじ)の支配を受け、田地を開発して寺領の発展をはかりました。永禄年中(1558年~1569年)に織田信長の保護を受けましたが、後のキリスト教の伝播(でんぱ)により、堂宇(どうう)が焼かれ寺領も没収されました。寛永年中(1624年~1643年)、石橋院榮尊(いしばしいんえいそん)が寺の再興をはかりましたが、再び荒廃し、中興後の記録も散逸したため、詳細を知ることはできません。寺の境内には、大阪府の指定文化財となっている、元亨(げんきょう)元年(1321年)7月15日と、銘の刻まれた総高2.3メートルの花崗岩(かこうがん)製の五輪塔があります。またお寺の北東に“医母水(いぼみず)”と呼ばれる泉があり、「岩中より出現せられた薬師如来(やくしにょらい)をこの霊泉で浴した」とあり、この泉を飲むと難病も治ると記されています。」



こちらは宝篋印塔。


12月6日(金)21:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

茨木市の最高峰・竜王山16

忍頂寺(にんちょうじ)へと下る。この道も舗装されていた。


モミジの紅葉が素晴らしい。


龍王山と記された道標。


分岐。忍頂寺バス停(東海自然歩道)は右方向だが、ここは舗装道路を直進する。


旧家の屋敷の前を通る。


12月6日(金)21:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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