山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2013年4月18日を表示

自転車通勤二日目その3

ここにも、ウンナンオウバイらしき、花木を見つけた。近づいてよく見たいが、畑の中なので、入りにくい。ズームで撮影した。奈良口の交差点に出た。ここから自転車道と分かれる。交差点で信号待ち。ここからは九条駅が近い。このあたり奈良市西九条町にある工場へ勤務する人達の姿をよくみる。


ハナミズキ。自宅にもあるが、まだ新芽が吹いたばかり。近年、庭木や街路樹として人気がある。秋の紅葉も綺麗だ。のどが少し渇いてきた。お茶は、毎朝、お湯を沸かして、ステンレスボトルに入れて会社へ持って行く。その時、ついでだから、家内の分も作ってあげる。家内はお昼ご飯の時に飲むみたい。家内はお茶を入れるのが下手なのか、作るのが面倒なのかよくわからない。我が家では、お茶を入れるのは、私の仕事。なので、お茶を買うのも私だ。自転車を漕ぐスピードを緩める。あまり、息急き切って走ると、自転車から降りたら、汗がドバーッと流れるので、張り切り過ぎるとダメだ。尚、ハンドタオルは持ってきた。


会社が近くなってきた。こちらの画像は、集団で登校する児童たち。田んぼの畦道ではないが、農耕車が通れるくらいの細い道。ちなみに、下校する時も集団だ。会社の居室の窓からよく見える。今日はかなり道草をしたので、会社に到着するのに1時間近くかかった。反省。


4月18日(木)20:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | サイクリング | 管理

自転車通勤二日目その2

この道標は自転車道に埋め込まれていた。ここから近鉄奈良駅より、法隆寺までの距離の方が短いのは意外だ。


こちらにも道標があったので撮影した。この自転車道は、奈良自転車道と呼ぶらしい。自転車道は、何回か車道を横断するが、クルマが停まってくれる。マナーの良い運転手が多い。普段クルマを運転するみたいに、左手を挙げて合図したが、自転車の片手運転は危険なので、これからは首を縦に振って合図(お礼)することにしたい。


こちらの河川標識は、まだ新しいものだ。綺麗な川に良く似合う。美観地区と云ってもおかしくない。昔、秋篠川は、もっと汚かった。昔とは、今から40年くらい前。川の水が、緑っぽくて、悪臭がしていたように記憶する。少なくとも、富雄川の方がずっと綺麗だった。子供の頃、川で魚釣りをしていたので記憶が鮮明だ。


「日本料理 たまゆら」店の裏側から撮影している。。料亭というのか、割烹?、私とは縁がない店だ。今、調べると、柿の葉ずしの「平宗」が経営している食事処だった。今は店舗名が、「倭膳 たまゆら」となっていた。「平宗」は名前は知っているが、ここの柿の葉ずしは食べない。私たちの口に合うのは、「ヤマト」の柿の葉ずしだ。もっと細かく言えば、「道の駅 吉野路大淀iセンター」のレストラン「ときん」で持ち帰り販売されている柿の葉ずしだ。同じヤマトの柿の葉ずしでも、別の店だと微妙に味が違う。工場が違うのだと思う。


「倭膳 たまゆら」から先(南)は、大和郡山市となる。


4月18日(木)20:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | サイクリング | 管理

自転車通勤二日目その1

清清しい季節になってきた。一年の内で、一番快適なのは、4、5月だと思う。私は一番好き。以前は秋が好きだったが、モミジマークを連想するので、ちょっと。さて、昨晩、目覚まし時計を6時にセットした。勿論、自転車通勤だ。目覚まし時計なんぞ、セットしなくても、3時過ぎには目を覚ますが、その後、2度寝、3度寝を繰り返すので、セットしないとヤバイというわけ。ベットの中で携帯で天気予報をチェックしたら晴だったので、決行することにした。6時ジャストに起床し7時に自宅を出た。リキュウバイが咲く、住宅地の坂道を下る。レンギョウは終わったが、オウバイによく似た黄色い花をよく見る。オウバイは季節としては2月なので違う。例えていうなら、枝垂れ桜の枝に、大きめのオウバイの花をつけて、滝の流れのように、しなって咲いている。帰宅して調べたが、ウンナンオウバイだと思う。秋篠川沿いの自転車道に出るまで、交通に注意しなければいけないので、撮影は控えている。自転車道に出たら、快適なのは云うまでもない。思わず携帯を取り出して撮影した。秋篠川沿いの春の景色。


こちらは唐招提寺の門だが裏門だ。なんという名前の門かは知らない。ここからは境内の中には入られない。拝観料を徴収する必要があるから閉ざされているのだろう。


この裏門に通じる秋篠川に架かる小さい橋は、唐招提寺橋と表示されていた。画像の自転車は愛車。東方向を撮影したので逆光になっている。


こちらの石碑、左は「?神社旧社地」だが、?が読めない。石碑の横には、大正元年と刻まれていた。帰宅してから調べたが、すっきりしない。「天神社旧社地」と読むのかな。昔、この地に天神社があったが、秋篠川の改修によって、社殿がこの近くの「福天満神社」の境内に移されたようだ。その右にある石碑は、「宿院の宮跡之碑」となっている。宿院とはかつて薬師寺に勅使がやって来たときに宿泊するところであったという。宮跡は、上記の天神社を指すのだろう。


画像中央、右上に見えるのが、解体修理中の薬師寺東塔。すっぽりと覆われている。


4月18日(木)20:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | サイクリング | 管理


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