山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2013年4月4日を表示

多田銀銅山跡を訪ねてその4

間歩(まぶ)とは、鉱山の坑道(後で調べた)のことをいうが、同行した人の話では、昔使われていた長さの単位、一間(いっけん)と関係があるのでは、と話されていた。尚、一間は約1.818メートル。瓢箪間歩の前で、今日二回目の集合写真を撮ってもらい、大露頭へ戻って昼食となった。予定では昼食場所は、もう少し先だったようだが、朝が早かった人も多くタイムリーだと思った。座るのに丁度よい石段があったので、横に一列に座っての昼食タイムとなった。私の左にはT氏、右隣にはYさんが座られた。梅田駅の構内で買ったリンゴチューハイ(アルコール度数3%)を飲み、その後は、お決まりのカップラーメン、おにぎりを食べた。食事をしていると、先程鉱物採取で一緒になったカップルが前を歩かれたので挨拶した。食後、来た道をY字分岐まで戻りそのまま直進。青木間歩では坑道の中に入った。画像は青木間歩の坑道内。


石段を登り金山彦神社の境内へ入る。神社の狛犬、団子鼻がセクシーで男性の一物のように見えた。


石段を降り、川に架かる橋を渡って左折する。銀山代官所の門、甘露寺入口の前を通って、「悠久の館」へと向かう途中、対岸の代官所跡へ寄った。「悠久の館」で代官所跡の桜をバックに今日三回目の写真撮影。その後は、ぶらぶら歩く。「右、みょうけん」の石標を見て、クルマに注意しながら、車道を歩き、静思館の手前の神社で、Tさんが急いで境内に行ったので、その後に続くと、金属製の狛犬があった。非常に珍しいものだと思う。尚、この神社の名前は、上野素盞嗚神社(うえのすさのおじんじゃ)。


その後、隣の静思館へ。韓国式のオンドルがあるというので、懐中電灯を借りて、床下を見せてもらった。実は家には床暖がある。エアコンや石油ファンヒーターだと、空気を循環させるので、埃も一緒に舞い飛び、健康上よくない。これに対し、床が暖かいのは快適だ。今の住宅を選ぶ、重要な条件の一つが床暖だった。画像は床の下に潜って撮影したオンドルの内部。


静思館でトイレを済ませ、後は駅に向かって歩く。Kさんの計らいで、桜並木の下を歩いた。朝に比べ、開花が進んでいたようだ。花見を堪能し、途中、右折して松尾台の住宅地に入った。こちらの方が駅に行くには近い。日生中央駅に到着し、今日のハイキングはお開きとなった。尚、この後、有志8人は、環状線天満駅前で合流したW氏と一緒に反省会を開いた。Yさんのご好意により、一人当たり格安で楽しめた。感謝。画像は反省会の様子。この後、私を除く8人は更に二次会へと行かれたそうだ。おしまい。


4月4日(木)20:08 | トラックバック(0) | コメント(2) | 山歩き | 管理

多田銀銅山跡を訪ねてその3

落葉を踏みしめながら山道を暫く歩くと、地面に砂やジャリが大きく露出したところに出た。池もあってジャリ池という。


ジャリに足をとられながら歩く。するとV字となった谷で、男性が鉱物を採取していた。付き添いの女性は鉱物にはあまり関心がない様子で座っている。何が採れるんですか、という問いかけに孔雀石や青鉛鉱だという。仲間の中には、1分も経たないうちに見つけた人もいて、少し焦った。しかし、ほどなく見つけた。あっちもこっちもとウロウロせずに、足元をじっくり眺めたら、すぐに見つかった。ここで今日はじめての集合写真を撮ってもらう。鉱物採取はよい思い出になった。せっかくここまで来て、今度、いつここへ来るかわからないのに、無関心を装うわけではないが、そのまま通り過ぎてしまうのは惜しい。


再び歩き始める。気温が上がってきたようで、上着を脱ぐ人も出てきた。私は長袖のシャツをめくり上げ、胸元を開いて風通しをよくした。右手にいくつかの池を見遣ると分岐に出た。分岐には道標があって、石像物があったが、この石像物はその後も同じようなものが幾つか現れ、アート的なもののようだ。


T氏によると、この先、分岐を左折し、谷間に沿って下るとのこと。このあたり、休耕田が見られず、里山の光景を残している。画像は銀山史跡案内板。


やがてY字となった分岐に出た。工場のような建物があって、同行されていた人の話では、鶏卵パック(鶏卵包装容器)を製造しているという。ネット検索したら、使用済みペットボトルを破砕し鶏卵パックとして再商品化している会社だった。Y字分岐を前へ進まず、“く”の字のようにやや戻る方向に歩く。やがて、大露頭と呼ばれる昔の採掘現場が現れ、台所間歩、瓢箪間歩と続く。画像は台所間歩。


4月4日(木)19:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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