山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2013年6月14日を表示

七曲峠から国見山15

今日の山行、石仏巡りもいよいよ終盤となった。護国神社へと向かうが、道路は直進出来ない。左かな右かなと思っていると、いい案配に、住宅地図表示があったので眺める。この先の三叉路を右折して左折だ。尚、小学校の先生の自宅に隣接する池は新池となっていた。


こちらは、旧家の石垣。


奈良佐保短期大学の前を通過する。いつの間にか、“女子短期大学”から、“女子”が消えていた。このレストラン、奈良では人気だと云う、夜景が綺麗だとか、まだ、入ったことがない。


護国神社の境内に入る。T氏によると、トイレを確認しておきたいとのこと。裏道から境内に入ると、立派なトイレが完備されていた。画像は境内にあったビルマの塔。なぜ、ビルマの塔なのか、小説と関係あるのかも知れないと思ったが、小説は、「ビルマの竪琴」だった。説明板によると、「太平洋戦争での、ビルマ戦場で、祖国の為に、お亡くなりになられた兵士の、魂を神格化する」という意味で建立された。まぁ、護国神社にはふさわしいものだと思う。


薄暗くなった護国神社バス停で19:01発のバスを待つ。当初、N氏はこの後の飲み会に参加する予定であったが、いろいろと道草を食ったので、今日はご帰宅頂くことになった。飲み会となると、最低でもあと90分はかかる。それから、香芝へは・・・私だったら遠慮する。と言うことで、N氏とは近鉄奈良駅でお別れした。尚、この後、JR奈良駅までT氏とご一緒し、かねてよりの宿題だった、「旬感居酒屋む~ちゃん」http://ameblo.jp/haru-mu/ に出向いたが、あいにくお休みだった。そこで、やむなく、「奈良の本格和食処 春日」http://nara-kasuga.com/ にお連れしたが、なんと、ここも今日はお休みだった。尚、こうしたケースは観光奈良では、珍しくもない。その後、クーポン券を有意義に消化すべく、魚民へと向かった。おしまい。


6月14日(金)23:02 | トラックバック(0) | コメント(16) | 石仏 | 管理

七曲峠から国見山14

小屋の周辺をウロウロしていると、電灯線が引いてあるのを見つけ、電灯を灯すことが出来た。こちらがその画像。大きくて立派なものだ。しばし魅入る。なるほど存在感がある。尚、ウロウロしたついでに書き加えておくが、隣に石灯籠が一基あって、子安地蔵大菩薩と彫られていた。また、その横に井戸が見えた。井戸の水は濁っていたが、おそらく溜まっている水を外に汲み出せば、水は澄んでくるだろう。


東金坊地蔵尊を後にする。ここからは、やや単調な舗装道路を歩くことになった。この道はクルマでは何回か走ったことがあるが、歩くのは小学校の時以来だ。この道、意外にもクルマが多い。やがて、右側にお地蔵さんを見る。磨崖仏だ。N氏によると、お水取りの松明調達の道は石仏が多く見られるという。そして、この石仏が二月堂に向かう最後の石仏だとか。


暫く歩くと人家があった。いかにも旧道の峠道といった趣だ。分岐があって、五聖地めぐりの道標があった。奈良市が立てたものだ。道標によると、鹿野園 2.5km 茗荷(みょうが) 3.6km 正歴寺(しょうりゃくじ) 1.1km だった。鹿野園まで まだ2.5km もある。T氏が道路にマムシの子供の死骸を発見。最初、動いていたので、警戒したが、運び屋の仕業だった。


ヤマボウシが綺麗に咲いている。自宅近辺のヤマボウシは、花がすっかり落ちているが、ここは今が見頃だ。鹿野園の集落まで下ってきた。この近くに池があって、池のすぐ隣に、池縁という名の人家がある。何を隠そう、私が小学校の時の担任の先生の自宅だ。どういう理由で、担任の自宅を知っているのかは忘れた。だが、その家には表札はあったが、誰も住まれている様子ではなかった。50年近い歳月が流れているので当然と言えば当然だが、少し寂しい気にはなった。


やがて、旧道と出合う。北、白毫寺(びゃくごうじ)、滝坂道と、南、円照寺、弘仁寺(こうにんじ)方向だが直進する。するとすぐ先に、石の道標を見つけた。指のかたちで、方向を示している。N氏によると、四国ではこうした指のかたちを模った道標が多いと言う。昔は字が読めない人もおられたのだろう。尚、N氏はお遍路さんを経験されたと聞いた。道標は田原東西陵と彫られていた。尚、反対側は八嶋陵だった。崇道天皇八嶋陵を指す。


6月14日(金)22:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

七曲峠から国見山13

こちらの放置された茶畑には、キイチゴが生っていた。このイチゴはよく知っている。というか、まず、見つけたら十中八九食べている。なので、この時も食べてみたが、期待を裏切らない味で、甘酸っぱく美味しい。T氏も先程のクサイチゴより、こちらの方が、口に合うと話していた。


暫く歩くと分岐地点に石仏が何体かあったが、どうも、この石仏は上部が、後から付け加えられたようだ。セメントのように見える。全体に比べ顔の大きさが小さい。


この男性は茶畑で奥さんと一緒に化学肥料を撒いておられた。


やがて、県道186号(福住矢田原線)に出合う。歩いてきた方向から、そのまま直進(北東)しょうとして、慌ててT氏が気付き、県道186号を北に向かって歩く。立派な歩道がついているが、葛が歩道に蔓延って歩きにくい。県道186号は、この先、県道80号(奈良名張線)に突き当たる。三叉路になっていて、県道80号を西に向かって歩く。右手に春日宮天皇陵を見遣り、田原御陵前のバス停を過ぎる。この時間、バスはない。更に右に奈良県茶業振興センターを見て、奈良県ヘリポートを左に見る。そしてこの先、分岐となっていて、左折して鉢伏峠に向かう。画像は分岐に立つ「東大寺二月堂お水取りの松明調達の道」を表す道標。


左折してすぐ、東金坊地蔵尊の小屋があった。私がカメラ撮影しょうとしたら、薄暗くて上手く撮影出来ない。N氏が機転を利かしてローソクに火を灯してくれたがダメだった。画像はフラッシュ撮影した。


6月14日(金)20:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理


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