酒蔵みてある記_喜多酒造25 |
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| その後、喜多酒造を後にして、県立橿原考古学研究所付属博物館に入った。
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| 約1時間程度、博物館内を見て回ったが、ウォーキングの後だったので、やや重苦しかった。画像は展示品の一つ、金銅製履(復元品)。
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| こちらが本物。
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| その後、近鉄畝傍御陵前駅に出て、連絡用地下道へ。
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| 地上に出て「餃子の王将」で反省会となった。おしまい。
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1月17日(金)23:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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酒蔵みてある記_喜多酒造24 |
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| 甘酒がメチャクチャ美味しくて、お土産に買ったくらい。せめて甘酒くらいお代わりokにして欲しかった。
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| と云っても、ドサクサにまぎれてお代わりしたが―笑。
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| カメラに向って笑顔で応えてくれた従業員さん。
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| くつろがれる参加者の皆さん。
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| こちらは購入コーナー。
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1月17日(金)23:09 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理
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酒蔵みてある記_喜多酒造23 |
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| 県立橿原公苑陸上競技場を右に見送り直進すると、長蛇の列だった。これにはビックリ。
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| 順番に並んで待っていたら、本日の参加者の人数が張り出されていた。それによると、1266名で、その数に二度ビックリ。
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| 喜多酒造の中庭に入る。右の赤いジャンパーを着た係りの人が、チケットを渡していた。
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| そのチケットがこれ。振る舞いではなかった。
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| 近鉄様のご意向とは、どういう意味だろうか。何かトラブルがあったのかもしれない。まぁ、私は呑み助ではないので、振る舞いでなくても、全然問題がなかったが。
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1月17日(金)23:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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酒蔵みてある記_喜多酒造22 |
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| 久米寺を後にする。北へ歩き、近鉄南大阪線の踏切を渡る。
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| 近鉄線の踏切から、振り返って撮影。
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| そのまま橿原神宮に入ってしまった。
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| すぐに神宮から出て県道125号の歩道を歩く。
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| 歩道のグリーンは自転車道を表している。
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1月17日(金)23:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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酒蔵みてある記_喜多酒造21 |
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| 久米仙人と中風除箸(ちゅうぶよけはし)についての説明板。
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| こちらが久米仙人。女性のふくらはぎを見て雲から落ちたとの言い伝えがあるユーモラスな久米仙人。
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| 久米寺の由緒と沿革の説明。
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| 厄力地蔵。あまり聞き慣れないお地蔵さんだ。
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| 大日如来像。真新しい。
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1月17日(金)23:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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酒蔵みてある記_喜多酒造20 |
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| Wikipediaによると、 久米寺(くめでら)は、奈良県橿原市久米町にある真言宗御室派の寺院。山号は霊禅山。詳しくは霊禅山東塔院久米寺と称する。本尊は薬師如来坐像。開基(創立者)は聖徳太子の弟の来目皇子(くめのみこ)ともいうが未詳。『扶桑略記』や『今昔物語集』においては久米仙人により創建されたと伝えられる。
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| 庚申と刻まれた石碑と石仏。
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| 多宝塔は江戸時代に京都の仁和寺から移築したもので重文。
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| 本堂。本堂は拝観料が必要。境内は自由。
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| 傍らには「薬師如来石」と記されていた。画像右上に自販機が写っているが、景観として如何なものかと思う。
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1月17日(金)23:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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