山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2014年12月31日を表示

星田連山6

星田新池の堤防まで戻ってきた。来た時は画像の右側から堤防を歩いてきたが、画像を左折しても明確な登山道があったので、ここを左折してみることにした。


画像は左折して、堤防付近を振り返って撮影。


すぐに分岐となり、左方向に二股と、右方向に踏み跡があった。最初、画像の左方向の二股のうち、右側しか気付かなかった。そして右側の踏み跡を辿るとすぐに住宅地に出たので引き返す。その後、左側の薄い踏み跡に気付き、少し登ってみた。


すると、偶然にも日高山登り口の道標を発見。非常にわかりにくい場所に取り付けられており、今となって思えば、登山者の為に、あえてこのような場所に取り付けられたのだと思う。“登山者の為”と云うのは、わかりやすい場所だと、すぐ撤去されるだろう。しかし、取り付けられていた場所は、登山者が登山口を探す時に、発見出来る場所だからだ。


この時点では、ここから日高山へ歩くつもりでいた。画像は取り付き付近。踏み跡はかなり薄い。続く。


12月31日(水)23:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

星田連山5

この画像は7年前の2007年3月14日に撮影したもの。今は廃墟となっている建物の7年前の姿。


こちらが入口。鍵は掛かっていなかった。


ご免下さいと挨拶したが返事がなく、おそるおそる中へ入ってみた。山の持ち主が山で利用する小屋なのかもしれないと、当時、思ったように記憶している。以上3枚の画像は7年前に撮影したもの。


廃墟を後にして先に進むが、登山道が崩落しており、画像に見える木の枝をつかんでクリアーした。


その後も踏み跡は非常に薄く、人が歩いた形跡がまったくみられない。そして、この先、またも崩落ヶ所があり、危険なので前進することを断念し、Uターンすることにした。今となってみれば、画像の白いハンカチは登山者に注意を促す目印だったのかもしれない。


12月31日(水)23:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

星田連山4

砂防堰堤によって、土砂が堆積された平坦なところを歩く。


堆積された土砂の中をチョロチョロと川が流れている。


この先、谷筋を離れ、右に見える踏み跡を辿る。尚、左に案内板と踏み跡が見える。後でわかったが、この踏み跡は造林の仕事道で早刈山を経由して星田山方向へ行くことが出来るようだ。(未確認)


下草が生い茂り、最近、人が歩いた形跡が見られない。


廃墟。7年前には建物の中に入れた記憶があるが、今は下草や倒木で、建物に容易に近寄ることすら出来なかった。


12月31日(水)23:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

星田連山3

しばらくフェンスに沿って歩く。


池の水はとても綺麗。


池の縁に沿って歩いていると、右上に続く薄い踏み跡を発見。この日は、ぼって谷ではなく、その東に位置する尾根筋を歩いて、日高山へ向かう予定だった。その尾根筋は今回、初めて歩く。これがその尾根筋の登山道かもしれない。少し探索してみることにした。


最初、踏み跡は明確だったが、徐々に薄くなってきた。H氏と相談して、以前、私が歩いたことがある、ぼって谷を歩くことにして、来た道を分岐まで戻る。


砂防堰堤を2基見て歩く。画像は2つ目の砂防堰堤。


12月31日(水)23:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

星田連山2

星田連山への取り付きの目印となる、きんもくせい特別養護老人ホーム前に到着。右に見える橋を渡らずに、建物の右の小さな道を行く。因みに右の橋から先は住宅地となっていた。7年前に住宅地があったかどうか記憶にない。


この先に鎖が見える。一般車は通行不可。


すぐに星田新池広場に到着。前方に星田新池の堤防が見える。


かなり大きな池で明治時代に農業用に造られたと聞く。この位置から星田新池を見て、右側(西)の谷が、ぼって谷、そして左側(東)の谷が地獄谷と呼ばれる。


右側の谷、拂底(ぼって)谷に沿って歩く。画像に見える橋を渡って左(南)へ進む。右方向にも踏み跡があり、後でこの踏み跡を辿ることになる。


12月31日(水)22:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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