大和三山_早春の道20 |
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| 画像の石碑は、明治41年11月11日に行われた大演習を明治天皇が、ここ耳成山の山頂で統監したことを記していた。
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| 耳成山から下山し、麓のトイレで休憩した後、大和八木駅方向へ歩く。
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| この日の反省会は、白木屋となった。この店は16時から開店しているので重宝する。尚、参加者は14名。
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| 店を出たのが18時過ぎ。
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| 大和八木駅から近鉄電車に乗って帰宅した。おしまい。
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2月1日(土)22:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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大和三山_早春の道19 |
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| 更に近鉄大阪線の踏切を渡って、耳成山の登山口に取り付く。
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| 耳成山頂へは、石の階段を登って耳成山口神社へ行き、そこから山頂へ歩いた。傾斜が緩やかな道もあるが、こちらの方が時間的には早い。画像は耳成山口神社の境内。
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| 拝殿に奉納されていた大絵馬。絵図は耳成村役場を描いている。昭和31年市制実施廃村記念と記されていた。絵図の右後方が耳成山だろう。
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| 神社左後方から山頂へ歩く。近道だ。ほどなく山頂に到着するが、展望はなし。画像は三角点。
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| 標高139.2mで三山の中では一番低い。
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2月1日(土)22:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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大和三山_早春の道18 |
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| 地蔵菩薩。養国寺の境内で撮影。
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| こちらも養国寺の境内にあった石仏群。
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| 養国寺を後にする。画像は醍醐町環濠跡の一部。
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| 醍醐町が設置した環濠跡の説明板。
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| 桜井線の踏切を渡る。
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2月1日(土)22:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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大和三山_早春の道17 |
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| 醍醐町の集落の中に続く細い小道から養国寺の境内に入る。
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| 養国寺の境内にある春日神社に佐吉の狛犬がある。
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| 「作師 照信 花押」が見られる。
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| 「安政三 十一月」に見える。安政三年は1855年。
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| 佐吉の狛犬がある春日神社。こじんまりとした神社だ。
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2月1日(土)21:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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大和三山_早春の道16 |
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| 藤原旧跡から香具山方向を振り返って撮影。香具山の後方は多武峰、音羽三山と続く龍門山地の山々。
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| 藤原旧跡でトイレ休憩し車道を横断する。画像は祠の中に祀られていた二尊石仏。
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| 醍醐池の縁を歩いて耳成山方向(北)へ歩く。
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| 画像はソメイヨシノに宿っていたヤドリギだろう。
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| 醍醐池の縁に埋めてあった四等三角点。標高は72.6m。
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2月1日(土)21:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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大和三山_早春の道15 |
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| 月の誕生石から来た道を下ると、この後に登る耳成山が見えた。
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| 橿原市下八釣町の人家の細い道を歩いて、藤原旧跡へと向かう。
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| やがて藤原旧跡に到着。画像は朝堂院東門の説明板。
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| 東門跡から耳成山を望む。
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| N氏の説明に耳を傾ける皆さん。
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2月1日(土)21:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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大和三山_早春の道14 |
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| 民家の脇に続くアスファルトが切れた小道を登る。
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| 矢田型とされる地蔵菩薩。この道は古道なのだろう。
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| お地蔵さんの顔をアップ。口の周りが窪んでいるように見えるが。
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| 傍らにあった石碑。文字が刻んであったが、詳しく見なかった。と云うより、私が見てもわからないだろう。
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| 道標を見て「月の誕生石」へ向かう。下見で来ているので、迷うことはない。改めて見てみると、一枚岩なのかもしれない。この石から月が産まれたという「言い伝え」があるらしい。以下は説明板に書かれている内容。 「月の誕生石 花崗岩で、高さ1.5米、幅は6.5米、奥行は3.5米あり円形黒色の斑点は月が使った産湯の跡と、小さな斑点は月の足跡と伝えられ古代より信仰する人多し 民話より (省略) 」
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2月1日(土)19:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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