山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2014年6月25日を表示

西国街道14

「牧落の旧札場と道標」の案内板。
※案内板によると、この場所は西国街道と箕面・大坂道が交わる四ツ辻にあたる為、道標が二基建っている。
道標に彫られた道しるべまで紹介されていてとても親切。



この後、西脇公園で昼食し、萱野三平旧邸へと向う。


二つある道標の小さい方。案内板に記載の通り「みのをみち」。側面(右)に年月が彫られているようだが不明。


もう一方の大きい方の道標。これも案内板の通り「大坂 四り半 天神 道 はっとり 二り」。


やがて、R171に出合う。画像は歩道橋の下に設置されていた道標。


6月25日(水)21:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

西国街道13

立派な旧家。母屋だろう。


阪急箕面線を横断すると、右手に道標があり、牧落(まきおち)の高札場跡まで0.2kmと表示されていた。手前の木は箕面市の保護樹林となっているクスノキ。


箕面市百楽荘に入ると、豪邸が建ち並ぶ。


左方向に「百楽荘」と彫られた石碑が目に入ったが、立ち寄れず。
※ネット情報によると、「百楽荘は、大正14年(1925)から関西土地が開発した住宅地で、当初は新桜井経営地と呼んだが、翌大正15年に百楽荘と改名。路肩を御影石で舗装、通りの入口には碑を建てている。両側の宅地では、自然石を積み上げた石垣に、綠豊かな植栽との組み合わせが落ち着いた感じになっている。開発当初から、セットバックし、道路を広くとるのは先見性か。閑静で上品な町並みは90年近くたっても保全されている。 大阪都市景観建築賞受賞。」



やがて牧落(まきおち)の旧札場跡に到着。道標と案内板があった。


6月25日(水)19:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

西国街道12

道標の横に設置されていた「瀬川・半町立会駅所と本陣跡」の説明板。現在この場所は、箕面自動車教習所となっていた。


半町近辺は昔の街道の趣が残っていて、何か懐かしい。


街道沿いに祀られていた石仏。


右に桜井駅の駅舎を見送ると、西国街道の道標が立っており、牧落(まきおち)の高札場跡まで0.8kmと表示されていた。


この日は気温がグングンと上昇し、昨日に続き真夏日となった。アスファルトの道を歩くのは暑く辛い。


6月25日(水)19:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

西国街道11

進行方向右(東)に、またも覆屋が見られた。急いで撮影だけして列に戻る。


後でネット検索すると、水利組合が建立した地蔵堂とのこと。


瀬川五丁目の交差点。前方の高架道路はR171池田バイパス。この下を潜る。また、高架道路下の阪急箕面線を横断。


瀬川地区の地図。このまま直進(北)すれば、箕面川に出るようだが、ここで右折(東)し、半町二丁目方向へ歩く。


道標。昆陽宿(こやじゅく)は、この日歩くコースにはない。位置は歩き出した北伊丹駅から逆の西方向(西宮市寄り)。郡山宿(こおりやまじゅく)まで約9kmとなっている。


6月25日(水)19:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

西国街道10

旧道らしい、くねった道。


旧家。


石橋三丁目公園と覆屋。覆屋は気になったが、団体行動なので立ち寄れず残念。


西国街道の地図。先程の覆屋は、この地図に表示されている「辻の地蔵」なのだろう。また、休憩した石橋駅前公園は、かっては“丁田池”と呼ばれる池だったようだ。


「石橋阪大下」の交差点にやってきた。先行の方たちが歩いている道が西国街道。


6月25日(水)19:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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