ぬかた園地_アジサイ園11 |
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天龍院を後にする。画像は本堂の左半分を撮影している。
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左手に慈雲尊者が座禅を組んでいたと言われる「座禅石」があるが、扉が閉められ中に入れず。画像は歩いて来た方向、額田駅を示す道標。
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長尾の滝、新川の上流に沿って歩く。
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送電線鉄塔の巡視路分岐を前方に見送り、右の支尾根に取り付く。
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T氏が指差す方向は旧道とのことだった。今は下草が生い茂り、踏み跡も薄いらしい。
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Jul.14(Mon)21:08 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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ぬかた園地_アジサイ園10 |
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長尾の滝、雌滝をバックに集合写真を撮り、石の階段を登って天龍院の境内に入る。天龍院は額田谷の宗教施設の中で最高所に位置する。「金峯山修験本宗大阪別院」となっている。 ※役行者霊蹟札所会のサイトによると、「天龍院は、明治四十年頃、不治の病に冒された大阪の商人(あきんど)谷坂光栄によって建立された寺院。谷坂氏は、この地にある長尾の滝に籠もって病気平癒を祈願。すると、不治の病の筈の病魔を克服。これを感謝し、八大龍王を本尊として天龍院が建立した。谷坂氏が籠もった長尾の滝は、役行者が行場としていたとも伝えられ、近世では「日本の小釈迦」とまで山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)に讃えられた、慈雲尊者飲光がこの地に「雙龍菴(そうりゅうあん)」という庵を結び、江戸時代の宝暦八年(1758)から十四年間の長きを隠棲した地。もっとも、慈雲尊者は純粋な仏教者で、修験との関わりはない。また、「雙龍菴(そうりゅうあん)」は現在この地になく、長栄寺に移築、保存されている。長尾の滝は二段になっており、本堂右横を流れ落ちるのが「雄滝」。境内の下を潜って落ちる、二段目の「雌滝」は、雄滝よりも落差が大きく、一筋の縷(る)のように流れ落ちている。天龍院本堂は二分されており、右が本尊八大龍王を祀り、左は蔵王権現を中尊として不動明王と役行者がまつられている。天龍院は、昭和四十年代に金峯山寺大阪別院とされ、毎年五月に行われる天龍院の大祭には、大勢の修験者が出仕。盛大に採燈大護摩供が執り行われている。また、長尾の滝は、東大阪市の名勝に指定されており、休日は滝行を行う修験者だけでなく、ハイカー達でにぎわうことがある。」
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画像の人物が慈雲尊者(じうんそんじゃ)。左に見える囲いの中に、長尾の滝、雄滝がある。
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前述の説明の通り、天龍院本堂は二分されており、画像(本堂右)は本尊八大龍王を祀っている。本堂左、蔵王堂には蔵王権現を祀り、脇仏として役行者と不動明王が祀られていた。
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コウヤマキだろう。
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画像は囲いがしてある雄滝の中。白龍王と彫られていた。
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Jul.14(Mon)21:07 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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ぬかた園地_アジサイ園9 |
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休憩している横で見たガクアジサイ。葉っぱが虫に食われている。
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再び歩き出す。画像の建物は「韓国仏教観音寺」。以前は「満福寺」と呼ばれていたお寺らしいが、ここも人の気配なし。
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右に「修験禅 専門道場 天龍院」と彫られた大きな道標を見て歩くと、左に何体かの石仏がある。そのうちの一体「馬頭観世音菩薩」と彫られていた。
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石の階段を登る。
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やがて、「長尾の滝」が現れる。説明板と左の滝は雌滝。
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Jul.14(Mon)21:04 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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ぬかた園地_アジサイ園8 |
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新川に架かる橋を渡る。
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月宮寺(げっきゅうじ)の表札が見えるが人の気配まったくなし。
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左手に「山手町 特別高区A配水池」の施設を見て歩くと、「伽耶山 正覚寺」が現れるが、ここも閉鎖されているようだ。細い谷筋沿いにあって、門扉まで短い橋が架かる。橋のたもとには、コリアン名を刻んだ石碑が見えた。
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道の真ん中にセメントで造られた階段を登る。
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水分補給の為小休止となったが、蒸し暑くじっとしているとメガネが曇りだす。
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Jul.14(Mon)21:02 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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ぬかた園地_アジサイ園7 |
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左に「山手 光林寺」の表札を見る。木目調のトタン板で囲ってあるのは、「クッ」(賽神)と呼ばれる儀式が行われていて外部の人達をカムフラージュする為に囲ってあるらしい。 ※参考情報 朝鮮寺 Wikipediaより http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%AF%BA
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花が終わったユキノシタ。
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舗装道路を歩く。
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一見すると二階建ての民家に見えるが、玄関前に来るとお寺で「金剛山 地蔵院」の表札がある。今は閉鎖されているようだ。
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更に登ると、左手に開雲寺が現れる。韓国仏教・太古宗(たいこしゅう)の寺院と聞く。
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Jul.14(Mon)20:36 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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ぬかた園地_アジサイ園6 |
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柵の中に入ってみたが、踏み跡が続いており、ハイカーが歩いている形跡があった。
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入口の取り付きを振り返って撮影。
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右下に額田谷を見ながら歩く。額田谷を流れる川は新川。「長尾渓」の案内板。更に「長尾の滝 天龍院 八大龍王尊」の案内板もあった。徒歩30分。
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新川、左岸の崖が崩落している。
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やがて住居があらわれる。右側に見える看板は「天龍院 里坊」となっていた。
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Jul.14(Mon)20:33 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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ぬかた園地_アジサイ園5 |
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住宅の中の急坂を登る。
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「山ろく子供会」からは特に伝達事項がないようだ。
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配水池を左に見る。
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歩いて来た道を振り返って撮影。
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左方向に踏み跡があり、T氏によると額田谷の北尾根に続くらしい。
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Jul.14(Mon)20:32 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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ぬかた園地_アジサイ園4 |
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坂道を登る途中で、T氏が何か話しをしているが、一体、何を話していたのか、まったく記憶にない。今度、ご本人に聞いておくが、さして重要ではない話だったと思う。・・・今、思い出した。「今日は暑いので、皆さん、こまめに水分補給をして下さいね。次のトイレは天龍院にあります」だったかな。
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額田谷の取り付きに到着。
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「長尾滝を経て生駒山に至る約3粁」の道標を見る。“3粁”とは、古い字だ。3キロメートル。
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傍らに祀ってあったお不動さん。
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この先、川に沿って直進すると思っていたら左折した。私はいつもこの分岐で直進していた。「行き止まり」の表示は、歩行者ではなく、クルマに対して表示されていると思う。
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Jul.14(Mon)20:25 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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ぬかた園地_アジサイ園3 |
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首塚は玉垣で囲われている。
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石龕(せきがん)と呼ばれる石の厨子の中に安置されている。新しい献花が見られた。
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扉のところに見えるのは菊水の模様か。尚、楠正行の墓と呼ばれるものは何箇所かあるようだ。傍らには「顕彰碑」があり、漢文で彫られていた。 ※ネット情報によると、この漢文で記されている内容は、「昔からここ(額田村)に小楠公の首塚と呼ばれる石があるが、風雨でかすれているので、大正13年(1924)1月、に村人の有志が募金を募り、石垣など整え、これを記念し碑を建てた、というもののようである。首塚がいつ頃から存在したかは書かれていないが、大正13年の時点でも風雨にさらされ、石龕の扉の菊水の模様は磨耗が激しいとあるので、相当前からここにあったもののようだ。」 引用サイト 「四条畷の遺跡を訪ねて」 http://inoues.net/osaka/masatsura.html
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「山之神」と彫られた石碑。
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首塚を後にし、分岐まで戻る。
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Jul.14(Mon)20:23 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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ぬかた園地_アジサイ園2 |
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| この日歩いたコースのGPSログ。但し、額田谷の入口からアジサイ園まで、ログが正しく取得出来なかったので、歩いたであろうルートを推定し、手で付け加えている。あくまで参考情報。
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額田駅前を出発。いきなりの急坂。
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楠木正行(くすのきまさつら)首塚の道標を見る。枚岡公園、重願寺もここから近い。
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道標を見て左折。
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住宅が建て込んだ狭い路地を歩く。
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Jul.14(Mon)20:21 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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