山陰道(丹波口駅_亀岡駅)41 |
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| 例大祭は毎月四月十五日となっている。“大例祭”は誤りだろう。
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| 首塚大明神の由緒。
平安時代初期(西暦八百年頃)丹波の国大江山に本拠を構えた酒呑童子が、京の都へ出て、金銀財宝や婦女子をかどわかすなど、悪行の数々を行うので人々の心に大きな不安を与えていた。天子(天皇)、源頼光等四天王に命じ酒呑童子とその一族を征伐するよう命じられた。源頼光等は大江山の千丈ヶ嶽に分け入り苦心の後、酒呑童子とその一族を征伐し酒呑童子の首級を証拠に京の都へ帰る途中この老の坂で休憩したが、道端の子安の地蔵尊が「鬼の首のような不浄なものは天使様のおられる都へ持ち行くことはならん」と云はれたが相模の国の足柄山で、熊と相撲をとったという力持ちの坂田の金時が証拠の品だから都へ持って行くと言って酒呑童子の首を持ち上げようと力んだが、ここまで持ってきた首が急に持ち上がらなくなった。そこで一行は止むを得ずこの場所に首を埋めて首塚をつくったと伝えられる。酒呑童子が源頼光に首を切られるとき今までの罪を悔い、これからは首から上に病をもつ人々を助けたい、と言い残したと伝えられ首塚大明神は首より上の病気に霊験があらたかである。昭和六十一年三月 宗教法人 首塚大明神社務所
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| 社殿から作業小屋(休憩小屋だろうか)を眺める。社殿はこんもりとした高台にある。
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| 首塚大明神を後にする。
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| こちら側が参道だったようだ。
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12月28日(月)19:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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山陰道(丹波口駅_亀岡駅)40 |
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| 切り通しの道となるが、果たしてこの道が山陰道だったのだろうか。道幅が狭いし街道としては険しい気がする。また前方に見える道は石畳ではなく、道崩れ防止の砂利を詰めた袋だった。
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| 峠に出たが、道路が通じている。道路の下を潜る。説明板にあるように西部クリーンセンターの関係車両が通行する道路となっている。分岐にもなっており、ここから右に上がると「洛西散策の森」に通じているらしい。
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| 峠からは下りとなるが、この道が街道とは思えない。
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| すぐに舗装道路となり、左手に作業小屋のような建物が見えた。
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| 作業小屋の右上が小さなコブになっていて登ると、首塚大明神の扁額が掲げられた鳥居と社殿が現れる。
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12月28日(月)19:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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