山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年2月12日を表示

瓜生山_雲母坂梅谷道6

登山道で見たが境界石だろう。


史蹟 石川丈山墓に到着したが、見事に何も読めない。まるで幽霊の案内板に見えてしまう―笑。


この日のハイキングを主催した「えいでんハイク」が設置した案内表示。親切。


史蹟 石川丈山墓。昭和三年一月十八日内務大臣指定となっていた。


石川丈山墓。自然石の墓で、「石聘君六六山人墓誌銘」と彫られているようだ。
※京都寺社案内のHPに「石川丈山の墓」について次のように記載されている。
「東山の瓜生山の西の山の中腹、京洛の地を望む地に、江戸時代初期の幅広く活躍した文人・石川丈山(いしかわ じょうざん、1583 -1672)の墓が立てられている。三河国譜代武士の家に生まれ、徳川家康の近侍(1598)として大坂夏の陣(1615)に参加した。だが、禁じられていた先陣争いにより、その後武士を辞し、儒学者・藤原惺窩の元で学んだ。紀州の浅野家、安芸の浅野家に仕えた後、相国寺の近くの睡竹堂で隠棲している。さらに、洛北一乗寺村に詩仙堂(1641)を建てて棲んだ。漢詩、儒学、書道、茶道(煎茶)、作庭にも秀でていた。東本願寺只穀邸(渉成園)、酬恩庵(一休寺)なども手がけたと伝えられている。」



2月12日(木)22:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

瓜生山_雲母坂梅谷道5

ここまで早いペースで歩いてきたが、急に前へ進めなくなる。この先、急な登りで一列で登ることになるので渋滞となった。


滑りやすいので注意して登る。画像のような矢印の大きなシールが所々に貼り付けてあった。


右下に廃屋を見る。


階段。暫く急登が続く。


やがて登山道は穏やかな傾斜となる。歩いて気持ちの良い快適な道。


2月12日(木)22:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

瓜生山_雲母坂梅谷道4

路地のような、くねった細い道を歩く。


金福寺はこの石畳の階段を登るようだ。拝観せず通過。


いよいよ山が目前に迫ってくる。


ここで右に折れたが、直進すると波切不動尊なのだろう。


舗装道路の急坂を登る。この先にもまだ人家があってクルマの駐車場があった。


2月12日(木)22:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

瓜生山_雲母坂梅谷道3

「魚晋」と書いて「ととしん」と読むらしい。京料理のお店。


電信柱の下に置かれていた。こちらはフランス菓子。


道標。左は「親鸞聖人御舊跡」。「本願寺北山別院」を指すようだ。右は「金福寺」(こんぷくじ)。


直進すると本願寺北山別院。


北山別院を見送り右折。金福寺、波切不動尊方向へと歩く。尚、後で気付いたが、この日のコースでは波切不動尊へ立ち寄ることになっていたが、皆さんスルーされたようで私達も気付かずに通過してしまった。


2月12日(木)22:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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