山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年6月25日を表示

京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)12

北白川愛郷会が設置した「白幽子巌居之跡」説明板。
※ここは白川の隠士松風窟白幽子が巌居した跡である。白幽子の名は慈俊、石川丈山の弟子となり、兄の克と共に丈山に使え丈山の死に水を取り、晩年ここに隠棲した。またここは白幽子が内観の法を白隠に伝授した所謂「夜船閑話」発祥の地でもある。「夜船閑話」は、後に臨済禅中興の祖と尊崇される白隠禅師が白幽子によって肺病を治癒した体験の名著である。この著書で白幽子の名と内観の秘法とは日本中に広まった。白隠は二十六才ごろ打ち続く侵食を忘れる猛修行で心身の調和が破れ、肺金焦枯の病を患った。今の肺病である。旅で美濃に在った白隠は人口から、京都比叡山麓白川に白幽子と名乗る一仙人があって稀代の医方により肺金を救うと聞き、直ちに白川に来て山中を尋ねこの巌窟に至った。巌窟の奥深く白髪は長く膝にたれ、柔らかい草のしとねに坐る白幽子に相見を許された。一見して白隠の偉相を観た白幽子は初めて白隠に内観気海丹田の法・・・人身長寿の秘訣を余すことなく伝授した。時に宝永七年(一七一〇年)正月半ばのことである。白隠はこの秘法によって起死回生して明和五年(千七百六十八年)八十四才まで長生した。明治の南画家富岡鉄斎百錬居士は夙に禅を学び、白幽白隠両祖対面の霊地保存を発起して、明治三十九年十月自ら建碑して、表に「白幽子巌居の跡」と書し、裏にその事績を記した。そしてこの巌居と白幽子が日常飲んだ清泉の不朽を計った。今も巌居の前に建つ碑がそれである。残念なことに戦後心無き者がこの碑を傷けた。然し禍を転じて福となすことなって、これを機にこの霊跡の保存と顕彰が京都円町の臨済宗妙心寺派法輪寺の前住職伊山和尚によって進められた。今の臨済禅の発展は白隠禅師を外して語ることは出来ない。その白隠禅師蘇生の大恩人が白幽子である。ひしひしとこの霊跡の重みを感じる。北白川愛郷会



大きな岩の上に登ってみる。


岩の上から撮影。


白幽子巌居之跡を後にし、落葉が積もる登山道を歩く。


やがて見覚えのある分岐に到着した。


6月25日(木)19:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)11

右の図によると、直進したところに白幽子の巌居之跡があるらしい。


また、白幽子が使ったとされる井戸が残っているようだ。


井戸は落葉が積もり、案内板がなければ、この場所を特定するのは難しい。


一方、直進したところにあった石垣。このあたりが白幽子の巌居之跡地なのだろう。


更に登ると、大きな岩があり、石標と案内板、そして京都トレイルの道標がある場所に出た。


6月25日(木)19:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)10

倒木。頭上注意。


一瞬、ここはお寺か神社の跡地かと思ったが、さにあらず。


登山道の左右に幾つかの石造物らしきものが散見された。


説明板。中間作業石の置き場となっている。説明文はなかなか興味深い内容となっており、下記に転載する。
※「清沢口 中間作業石置き場」。清沢の流れの源、この付近は北白川仕伏町と瓜生山の山頂とのほぼ中間点に当たります。このすぐ上方には白幽子が使った井戸の跡がありますが、この谷川のせせらぎは清沢という名のとおり、一年中枯れることなく、白っぽい花崗岩の岩盤の上を直接流れていて、白川の名の由来が偲ばれます。いま、立ち止まって一休みしているこの場所で、あるときは瓜生山山頂の北白川上へ急ぐ武士が汗を絞ったかも知れませんし、あるときは勝軍地蔵へ参詣に行く善男善女がのどを潤したこともあったでしょう。白隠禅師も、富岡鉄斎も、この同じ道を歩いたはずですし、瓜生山をこよなく愛した小沢芦庵はそれこそ何度もここを往復して歌に詠みこんだものと思います。白川石を切り出すのに使った猫車を牛に引かせたのもこの道筋なのですが、何かの理由でここまで運び出したまま放置された大きな石が苔むしてごろごろ横たわっています。山道の左右に転がっているこの石材は組立てたら大きな燈籠になるものだいうことに気がつきましたか。史跡の道で、自分も歴史の中の人物になったような空想も楽しいですが、自然の道で、いろんな木に下げてある札を見て、これは何の木、あれが何の木と覚えながら、幾種類の木が見分けられるか試してみるのもいいことです。 北白川愛郷会



京都トレイルの道標が現れる。ここも分岐ではない。左の沢伝いに歩く。先ほども同じような場所に出合った。


6月25日(木)19:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)9

旧道から道標の設置された旧道分岐地点を眺める。私は旧道に少し踏み込み様子見をした。


瓜生山を経由する正規の道(新道)を歩く。


京都トレイルの道標が現れる。分岐ではなく左の沢伝いに歩く。しかし、直進は旧道に見えなくもない。


←白幽子(はくゆうし)と彫られた道標。隣には「北白川愛郷会S58.11」と標された小さな札も。


この道は、管理された所謂“遊歩道”ではなく、自然の山歩きが楽しめる。


6月25日(木)19:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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