山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年6月26日を表示

京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)16

登山道右手に祠が現れる。


妙空蔵童子と彫られた童子像。先ほどの分岐から瓜生山頂まで狸谷不動・奥の院への巡拝路となっており、不動明王眷属三十六童子が祀られている。不動明王の脇侍として、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)の二童子はよく知られているが、さらに六童子を加えて八大童子を従える場合や、経典によっては四十八使者を従えると説くもの、そして狸谷不動のように三十六童子を従えるものがある。画像はその中の第三十二番 妙空蔵童子像。


尾根筋を快適に登る。気がつけば、登山開始の北白川仕伏町の取り付きから、この登山道は植林が一切なく、自然林の中を歩いていた。


第三十三番 普香王童子(ふこうおうどうじ)像。


逆光なので、フラッシュ撮影してみた。


6月26日(金)20:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)15

京都トレイルの道標。ここから尾根筋を歩く。分岐になっているが、左は行き止まり。


北白川愛郷会が設置した案内図。瓜生山は右へ。


再び分岐となる。


京都トレイル59-2の道標。


左は狸谷不動への下山道。ここは直進し頂上へ。


6月26日(金)20:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)14

ここが石切場。崖のようになっている。残念ながら画像では現地の臨場感はなかなか伝わらない。


キノコ。


あちこちにこのような砂の山が見られる。地下から砂が吹き出ているように見える。人為的なものには見えない。


登山道脇で見た「火の始末注意」。


登山道は切り通しとなり、左に小さくカーブする。この先、これまでの谷筋に変わって尾根筋歩きとなる。


6月26日(金)19:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)13

この分岐地点は、今年(2015)2月7日に、「えいでんハイク No.328 瓜生山_雲母坂梅谷道」で歩いていた。その時は左方向(西)から歩いてこの分岐に到着し、北へ向かった。瓜生山に登る幾つかあるルートの一つで、詩仙堂の南にある波切不動から石川丈山の墓を経て瓜生山に至る。今日は北白川(南)からこの分岐を経て北方向へ歩く。従ってこの分岐から先、水飲対陣跡碑の区間は一度歩いていた。この分かりにくい絵図を見て想い出した―笑。というのも、その時、白幽子巌居之跡に立ち寄ろうとしたが、この絵図では、その場所が何処なのかわからなかったので記憶に残っている。


京都トレイル58-3の道標。この道標の白幽子旧跡の位置がおかしい。この地図では白幽子旧跡はどうみても点線上に沿ってあると読めるが、実際は(今歩いて来た)実線上に沿ってある。前回歩いてここへ来た時は、通り過ぎてしまったと思った。


暫く歩くと案内板がある。


案内板は「清沢口石切場(白川の採取場跡)」となっていて、前回は素通りしたので、今日は是非立ち寄ることにした。


「清沢口石切場」の説明板。
※7千万年という遥かな昔のはなし、この瓜生山のあたりに地下のマグマが噴き昇ってきて地層の隙き間に貫入した。つまり噴火しないで溶岩が地表を押し上げて夥しくたまってしまったのである。その範囲は比叡山の南半から大文字山北半と言われる。しかも高さは比叡山を眼下に見下ろす程であった。この溶岩は徐々に冷却して巨大な一塊の花崗岩の山となった。押し上げられた表面の古生層の土や岩は陶磁器のように焼き入れられて、大部分は崩壊流失し、一部は変成岩(ホルンフェルス)となって残った。四明岳山頂の「将門磐」がその動かぬ証拠である。この山の花崗岩は化学組成とその比率や冷却期間の長かったせいなど相俟って、特に結晶粒子が大きく美しい「白川石」となったのである。しかも風光明媚な京都は平安京以前より貴神の住む土地なので、大建築に必要な石材の需要が永く途絶えなかった。白川は最適の供給場所であり、礎石や敷石から始まって燈籠、庭石、さては石仏、石鳥居に墓石にと最も細工に適した石材が無尽蔵であった。そして風化のため粉砕された「白川砂」さえも枯山水庭園に欠くことのできない化粧材料となった。白川の人々は先祖代々石工になった。山全体が花崗岩だといっても、場所によって多少の違いはある。石材を執る技術の幼稚な昔のこと、風化した表面や地下の石は採れないので、街道沿いや谷間が採取場となり、ここ「清沢口」や「石部谷」「蓬谷」一乗寺の「雲母坂」が知られている。江戸時代の名所だった白糸の滝、船石などもそれ故に消滅してしまった。土地の人々が採石よりも細工に優れていたことや、風致保護の土地柄から現在は採石されていない。大体噴出した溶岩は玄武岩や安山岩となるが、花崗岩は地中で徐々に冷却されてできる。このため石英と長石が十分結晶して大粒となり、これに黒雲母や角閃石が色どりを添えた美しい石となるもので、白川石は稀有元素を含む褐廉石も混っている。火成岩は冷却の過程で規則的な独特の割れ目ができるが、緻密な花崗岩にも専門家にしかわからない節理があり、これに沿って矢(くさび)を打ち込むと巨岩も思うように割れる。ここで採出した石は、狭い道は台車で、それより牛に曳かせて運んでいた。この清沢口では、途中である程度細工を施してから平坦地へ運ぶことも多かった。北白川愛郷会



6月26日(金)19:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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