山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年6月27日を表示

京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)19

すぐに分岐となる。左は狸谷不動巡礼道へ下る。ここは右へ。


少し下ると更に分岐。左は曼殊院を経て叡山電車修学院駅。ここも右へ。


サルノコシカケ。Sさんによると、色々と種類があるらしい。


尾根筋を快適に歩く。風が通っており、涼しくて歩きよい。


やがて分岐に到着。京都トレイル60-1の道標がある。画像の右手前方向は、比叡山旧コース。この分岐は瓜生山を経由しない旧コースとの出合い。


6月27日(土)21:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)18

お堂の後に元将軍地蔵の石室だけが残る。


石室の中には新しいお地蔵さんが安置されていた。


蛇の抜け殻を発見。これを財布に入れておくと、お金が溜まると、子供の頃聞いた。


私製の山名板。東山36峰の第8峰が瓜生山となっている。ここでは標高310mと表示。


京都トレイル59-3の道標。ここから北方向へ一旦下る。


6月27日(土)20:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)17

ここは少しばかり急な登り。瓜生山頂まで幾つかの童子像を見る。


画像は最後の童子。第三十六番 烏婆計(うばけい)童子像。この次は奥の院山頂となる。


見覚えのある瓜生山頂に到着。先客は居らず。


瓜生山頂 標高301米(仕伏町から標高差200米) 北白川城本丸跡 元勝軍地蔵
※日本列島がまだ現在の形に固まらない遥かな昔、この瓜生山の下へマグマ(高熱の岩奨)が貫入してきて比叡山より高い山が出来た。両隣の大文字山北側や比叡山の南側では、高熱のため古生層が変質して特殊な変成岩(ホルンフェルス)になった。四明岳頂上に露頭する将門岩はその珍しい好例である。一方、貫入したマグマは冷却して花崗岩となった。上に冠った古生層が流れ去り露出した花崗岩もまた太陽熱と雨水に浸食されて、長い年月の間に表面から徐々に崩壊して白川砂となって谷間を流下し、西南麓に緩斜面の広い砂質扇状地を形成した。この北白川扇状地は、今から一万年も前、縄文時代の原始人にとっての好適な生活の根拠地となった。この山が埋蔵する花崗岩(白川石)はきわめて良質だったから、その後平安時代以降、宮殿や寺院建築礎材に、また石仏や石燈籠など工業的に利用され、千年の都ひとの生活を豊かにし、白川砂は枯山水庭園に重要な役割をもつことになった。更に、この瓜生山山頂には、室町時代になると再々城郭が築かれ、南の如意ヶ岳城と共に足利将軍家、細川管領、三好長慶、松永久秀らが攻防を繰り返した。近江の戦国大名六角定頼がここへ安置したという勝軍地蔵は、江戸時代に入っても痘瘡無難の守りとして庶民の信仰深く、北白川門跡寺照高院二品忠誉法親王は山路険岨を案じて、宝暦十二年(1762)九月現在の勝軍地蔵山に石像を移された。これは今のバプテスト病院の西山である。そしてこの山頂にはお地蔵を安置した当時の石室だけが、奥の院と呼ばれる朱色のお堂の後方に移されている。北白川愛郷会



奥の院と呼ばれる小さなお堂。


6月27日(土)20:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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