山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年7月10日を表示

太子道(筋違道)20

植栽されたエゴノキの実。


運動場では少年野球の試合中。応援も賑やか。


時間は12時30分を過ぎており木蔭に入って昼食タイム。お日様が照ると暑い。


昼食後、再び歩きはじめる。次に訪れるのは安堵町窪田の杵築(きつき)神社。


途中の水田では、カブトエビやらホウネンエビやらを観ることが出来た。「ホラ、あそこ、あそこ」、「ここにもいるいる」。


7月10日(金)20:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

太子道(筋違道)19

飽波神社を後にする。道路の左に大道教本部と掲げられた門札。


興味本位で中に入ってみる。後で調べると天理教から分離独立した教団らしい。
※大道教本部のHPより
大道教(生駒郡安堵町東安堵1461)は天理教本部準役員・平安支教会長であった飯田岩次郎(安政5年~明治40年)が明治の中頃、天理教教祖の中山みきの死後から約十年経過した後、天理教から離れて開教した。中山みきの死後、天理教は明治政府の宗教弾圧より急速に国家神道化したが、飯田岩次郎も同じように弾圧され、弾圧を逃れる形で神道大成教所属の教会となった。第二次大戦後の新宗教法により神道大成教から昭和28年5月に独立し、宗教法人大道教及び宗教法人大道教本部教会となった。
http://www2.mahoroba.ne.jp/~daido/



大道教本部を後にし、昼食場所の安堵中央公園へ向かう。


岡崎川に架かる橋を渡る。


ほどなく奈良県安堵健民運動場に到着。中に入る。


7月10日(金)20:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

太子道(筋違道)18

SさんとK氏が太子腰掛け石に座ってツーショット。


狛犬。こちらは吽形。


そして阿形。


拝殿越しに本殿を拝む。


飽波神社の鳥居前で集合写真となった。


7月10日(金)20:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

太子道(筋違道)17

消防訓練は見事で、一斉に拍手喝采となった。


斜めに貫く古道“太子道”を歩く。


見覚えのある飽波(あくなみ)神社に到着。素戔嗚神社とは形が異なるが、この神社にも扁額に笠(屋根)がある。


「國史現在飽波神社」と彫られた石碑。
※コトバンクによると、「10世紀の初頭にまとめられた《延喜式》には、全国で2861の神社、3132座の神名が記載されているが、そこに見える神社を後世式内社(しきないしや)という。また式内社以外に六国史に名が記されている神社が391社あり、それらを国史現在社といった。こうした三千数百の神社は、国家が公認した特殊な勢力のある神社で、各地の集落の生活と結びついた神社はさらに多かったものと思われる。」



境内に入ってまず目につく「太子腰掛け石」。休憩するにはもってこいの石。


7月10日(金)20:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理


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