京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)20 |
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| 「椿堂」の説明板。「椿堂」の名前の由来について記されていた。 Y氏によると、聖徳太子が生きていた時代と、最澄が比叡山・延暦寺を開山していた時代には乖離があるとのこと。聖徳太子(574-622年)、最澄(767-822年)。
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| 「椿堂」の前に掲示されている説明板。
※「御本尊千手観世音菩薩を安置す 昔聖徳太子帝良の郷にみ幸し給ふに艮岳(こんがく)に宝塔を現するを見給い尋ねてこの山に登り給ふ時 堂を建て椿の御杖を堂の傍に立て給ふ この杖枝葉繁茂す故に椿堂といふ」
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| 「椿堂」を後する。谷筋を登ると正面に朱色の二つのお堂が現れる。常行堂(左)と法華堂。画像左の石標には「親鸞聖人旧跡」と彫られていた。
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| 正面に渡り廊下が見える。
※延暦寺のHPによると、向かって右側の法華堂と左側の常行堂が渡り廊下で結ばれていて、この渡り廊下を「にない棒」に見立て武蔵坊弁慶が肩で担ぎ上げたという逸話から「にない堂」と呼ばれています。向かって右側の法華堂は普賢菩薩を本尊としてお祀りし、左側の常行堂は本尊に阿弥陀如来をお祀りしています。
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| にない堂では「常行三昧の修業中」だったので立入禁止となっていた。
※デジタル大辞泉によると、「常行三昧」(じょうぎょうざんまい)は仏教用語。天台宗で、四種三昧の一。90日間を1期とし、堂内に安置された阿弥陀仏のまわりを常に歩行し、その仏名を唱え、心に仏を念ずる行法。
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8月13日(木)21:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)19 |
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| 道なりに進むと、詩碑がある。「弁慶飛び六法 勧進帳を観て」草野天平の詩。
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| こちらは「五重照隅塔」。説明書きもなく、どういうものかまったくわからない。
※ネット検索すると、“照隅”という字にヒントがあって「個々人が、思いやりの心を持って一隅を照らす人になる」との願いが込められているらしい。
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| 少し手前へ引き返す。京都トレイルはこの道標(北山No.8)を見て、右に下るのがルートだった。
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| 薄暗い谷筋へ下る。
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| すると、正面に「椿堂」が現れる。
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8月13日(木)21:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)18 |
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| H氏が指を指していたのは、このお香。あまり見かけないものだが、どこだったか、見た記憶が薄っすらとある。
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| Y氏によると、この建物の中で、先ほどの説明板に記されていた“侍眞”が今も修行されている。
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| 浄土院を後にする。画像は参拝者入口の門の左、築地塀の外に置かれた手水。この水が驚くほど冷たかった。
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| 東海自然歩道の道標。玉体杉まで2.1kmとなっている。
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| この先、西塔地域に入る。
※西塔は東塔からは北に1kmほどのところにある。第2世天台座主となった寂光大師円澄(えんちょう771-836)によって開かれ整備された。西塔の本堂が釈迦堂(転法論堂)。
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8月13日(木)21:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)17 |
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| 参拝者入口の門を入ると、前庭の白砂は掃き清められ、同心円と流紋が描かれている。
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| 参道は石畳となっている。左に見えるのは蓮弁から水が数条の細流となって滴り落ちる多角形の池となっていた。
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| 拝殿。 Y氏によると、一般の参拝者は、大抵ここでUターンして戻るらしい。
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| ところが、拝殿を右に回り込むと、その背後に御廟があった。
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| 香炉。 香炉の上の方に、H氏が何やら指を指しているのが写っている。
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8月13日(木)21:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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