山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年9月30日を表示

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)10

その時、後から登山者が現れた。装備を見るとクライマー。金毘羅山はロッククライミングの練習場となっているらしい。
※京都大原学院のサイトによると、金毘羅山(こんぴらさん)は、古くは江文山と呼ばれ、火壷・風壷・雨壷があり、雨乞い祈願が行われたとのこと。また、この山は平安京の東北の鬼門に当たるとされた。後年、山の中腹に金比羅大明神と崇徳天皇を祀る琴平神社がつくられた。これは四国に流された崇徳天皇が金毘羅神を崇敬していたためである。山の東面には岩場が点在し、ロッククライミング練習のゲレンデでもある。



手水舎。


江文神社は左の石段を登る。金毘羅山は右に見える林道を直進。


拝殿。


ここにもクライマー・登山者に対する(お願い)が掲げられていた。


9月30日(水)21:02 | トラックバック(0) | コメント(1) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)9

東海自然歩道の道標。京都トレイルのコースと重複している。


この地図は上が東になっている。仰木峠から大原を経て江文峠まで紹介されていた。


舗装された道を歩く。鬱蒼としていて薄暗い。


分岐となる。左はこの後に向かう江文峠。今は直進して江文神社へ立ち寄る。北山道標は29。


登山者の皆さんへの注意書き。金毘羅山へ登る登山者、特にクライマーに対してのものだろう。
江文神社の駐車場、参道に駐車しないこと、絵馬堂に立ち入らないこと等が書かれていた。



9月30日(水)21:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)8

小松均美術館の看板。美術館の案内板にしてはパッとしない。それもそのハズ、休館されている様子だった。


東海自然歩道の道標。コースは京都トレイルと重複している。


信号機のない府道40号線を横断。


江文神社の社碑。


クマの絵が可愛くて迫力がない―笑。これじゃ、「クマさんコンニチハ。一緒に遊びましょう」になってしまう。


9月30日(水)20:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)7

「豊かな森づくりを目指して」の案内板。針葉樹は暗い森とあるが、密生して枝打ちしない針葉樹林が、鬱蒼とした暗い森になるのは必然の成り行き。日光が林床に届かないので、下草も生えないし、食べ物もないので、蝶や昆虫も住めない。住処を奪われた動物たちが、里に出てくるという構図。


東海自然歩道の道標前で集合写真を撮影。


「西之村霊神之碑」(にしのむられいじんのひ)の説明板。
※京都大原学院のサイトによると、おつう伝説とは、「昔、大原の里におつうという娘が住んでいた。ある日、若狭の殿さまに見初められ、女中として若狭で暮らしたが、病に伏すと殿様の熱も冷め、里に戻された。おつうは悲しみのあまり、大原川(高野川)の女郎淵に身を投げると、おつうは大蛇となった。 そしてある日、殿様の行列が花尻橋を通りかかったところを襲った。荒れ狂う大蛇は家来に切り殺された。すると その夜から激しい雷雨や悲鳴に見舞われた。 恐れおののいた村人たちは大蛇の頭を乙が森に、胴は西之村霊神之碑のところに、尾は花尻の森に埋めて、霊を鎮め供養した。その後、大原の里にかかる朝もや(小野がすみ)は大蛇の姿にたなびくといわれている。」



「西之村霊神之碑」。
石碑の前に植林されたのか自然に木が生えたのかわからないが、字が読めない。



やがて江文神社の鳥居が現れる。ここから参道となっているようだ。


9月30日(水)20:58 | トラックバック(0) | コメント(4) | 山歩き | 管理


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