山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年1月24日を表示

高槻初詣と摂津峡40

少しだけ階段を登る。


すぐに車道に出合い、これを歩く。


勧請掛(かんじょうかけ)。
傍らの説明書きによると、「縄に樒(しきみ)を結びつけたもので、聖地との境界を意味しますが、大阪商人らは、その長短などで米価や株価を占ったといわれています。」



宝篋印塔が見えたが立ち寄らず。車道はクルマが大渋滞していた。


やがて神峯山寺(かぶさんじ)の仁王門前に到着。


1月24日(日)18:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡39

「どぶろく原いっぱい」の店先に、無人販売として売られていたギンナン。ギンナンだけ売れ残ったのかも―笑。


近隣の案内図。この後、神峯山寺へお参りする。絵図にある牛地蔵が気になるところ。


「右 神峯山寺道」の道標。
水路を利用した野菜などの洗い場が残っている。



民家の横に続く細い小道を歩く。ここが昔からの参道なのだろう。


獣避けの金網。扉は開いたままだった。夜間、閉めるのかもしれない。


1月24日(日)18:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡38

八阪神社分岐を左(北)に見送る。
※八阪神社、高槻市のHPによると、

八阪神社は原の中村にあり、スサノオノミコトを祭神とします。社記によると、清和天皇の頃(9世紀後半)、疫病が流行したため、牛頭天王(ごずてんのう)を迎えたのがはじまりとされています。当社では、毎年4月初めに「春祭歩射神事(通称:大蛇祭)」が行われます。ワラで直径25cm、長さ30mもの大綱を編んで、これを大蛇に見立てて村中を練り歩いたのち、弓で射ます。明治時代以前は、村の男たちが境内を流れる川を挟んで上下に分かれ、綱が切れるまで引き合ったといわれています。近くの池に住んでいた大蛇を退治した故事によると伝えられますが、豊作を祈願する春祭りが起源と考えられています。境内には、花崗岩製の石槽があります。昔の石風呂との説もあり、芥川の教宗寺の石槽とともに、府の有形文化財に指定されています。

リーダーより、上記説明にある「大蛇祭」の際、是非、また高槻へおいで下さいとのメッセージがあった。



高槻市農協原支店前を通過。芥川に架かる大森橋を渡ると府道6号線(枚方亀岡線)に出合いこれを横断。府道はバスが運行されており、すぐ左に神峰山口(かぶさんじ)バス停が見えた。このバス停でこの日のウォーキングを切り上げる参加者がいたかもしれない。
府道を横断したところに「梵字 従是神峯山寺道」の石の道標。

梵字はベイ:毘沙門天を表している。



暫く歩くと、再び石の道標が現れる。「梵字(ベイ) 左 神峯山寺道」。
道標は旧道を示しているようだ。旧道には入らず舗装道路を道なりに右へ歩く。



すぐに三叉路となる。


「あま酒」の幟が見える。このお店が、昼食時にご馳走になった甘酒を作っている「どぶろく原いっぱい」。残念ながらこの日は休み。


1月24日(日)18:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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