天上ヶ岳_箕面大滝53 |
|
|
| ヒミツ?の眺望地を後にする。 茨がある木に注意して通り抜ける。
| |
|
| コルに戻る。この場所に立つのはこの日三回目。 コースは左の登山道を歩く。 天上ヶ岳は直進。元は右方向の車道からこのコルへやって来た。
| |
|
| 「政の茶屋」を目指して下山を開始。 ここから先は概ね下り道。
| |
|
| 暫く快適な尾根筋を歩く。
| |
|
| 左方向に眺望が開ける。 何年か経つと植林が成長して眺望が得られなくなるだろう。
| |
|
12月23日(金)19:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|
天上ヶ岳_箕面大滝52 |
|
|
| 薄い踏み跡が続き、やがて、これ以上、進むな、という合図であろう木屑が積み上げられていた。
| |
|
| 木屑が積み上げらたところを迂回し、なおも執拗に前進すると、少し開けたところに出た。 しかし、この先は下り斜面となり、踏み跡もないので引き返すことに。
| |
|
| 引き返す途中、北東方向に眺望が得られる場所があった。
帰宅してから調べたが、画像中央の小ピークは開成皇子(かいじょうおうじ)の墓がある最勝ケ峰(さいしょうがみね)540mとみられる。 画像中央奥左の開発されたところは北摂霊園だろう。
| |
|
| 南東方向の眺め。 箕面市、吹田市、摂津市あたりだろか。
| |
|
| 眺望が得られた場所を一歩引き下がって撮影。 この一角のみ、眺望が得られた。 ヒミツの場所かな―笑。
| |
|
12月23日(金)19:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|
天上ヶ岳_箕面大滝51 |
|
|
| 高下駄は一本足ではなく二本足になっている。
| |
|
| こちらは梵字で彫られている。 文献によると、京都、北白川産の白川石が使われているらしい。
コトバンク によると、白川石 京都市左京区北白川付近から産出した花コウ岩の石材名。比叡山はこの石から成っている。白色中粒,緻密(ちみつ)であり,京都の歴史的建造物に用いられた御影石の大半がこれで,石灯籠,手水鉢など種々の細工物にも広く使用されたが,石切場は昭和初年に閉山された。白川石が風化してできた白川砂は,白色で美しく,敷砂として珍重される。京都の名園や神社の神前の砂は,ほとんどが白川砂である。
| |
|
| 裏面には元禄時代の刻銘が見られた。
石造物を見ていると、突然、単独行の女性が現れた。 先程から単独行らしき女性が私達の後を歩いているのは知っていたが、ここで出会うとは予想外。
話を聞くと、役行者ゆかりの史蹟を訪れているという。(画像の右下) 直近では、鳥取県の「不動院岩屋堂」、松阪市の「伊勢山上 飯福田寺」を訪れたと話された。 「伊勢山上 飯福田寺」は、私も訪れたことがある。 松阪市と云っても、辺鄙なところで、クルマでなければ、アクセスしにくい。 聞くと、クルマで訪問していて、今日もクルマだと話された。
伊勢山上 飯福田寺
女性の話によると、この先の、E8ポイント地点で、猿に襲われたという。 2~30頭くらいの猿の集団に囲まれ、ボスらしき猿が木の枝を投げつけてきたという。 最初は小さい枝だったが、次第に大きな枝を投げてきた。 女性の後には猿がいて囲まれていた。 逃げようとしたら、集団で追いかけてきたという。 咄嗟にラジオを大きな音で鳴らすと、警戒して逃げ去った。
我々は、この後、女性が猿に出くわしたE8ポイント(自然研究路2号線分岐)へ向かうので用心した。 しかし、結局、我々の前に猿は現れなかった。
| |
|
| 女性を残して、天上ヶ岳山頂を後にする。 来た踏み跡をコルまで戻る。
| |
|
| コルに到着。
地形図を見ると、この北側にピークがある。 ネット情報では、天上ヶ岳山頂はこの北側のピーク?という記述があったので、探索すべく踏み込んだ。
| |
|
12月23日(金)19:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|