山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年2月16日を表示

酒蔵みてある記(桜井_談山)45

常夜灯の竿には「太神宮」、土台石には(右から)「村中安全」。竿の側面には「明治五紀 壬申 四月…」と彫られていた。
明治時代に建立されたものだが、スマートで古めかしさを感じない。笠の先の尖った部分がかっこいい。



東光橋を左に見て歩くと愛宕地蔵菩薩と書かれたお堂が現れる。残念ながら鍵が掛かっており、中は見られなかった。


「舊跡 櫻井魚市場」と彫られた石碑が立っていた。
魚市場跡



この先、三叉路となる。桜井駅は左へ。
郵便ポストの前に、石碑らしきものが立ってる。



石碑に見えたのは「櫻井町道路元標」。この先、中央通商店街を歩いて桜井駅に到着した。おしまい。


2月16日(火)18:56 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(桜井_談山)44

そして談山神社多武峯町石。


談山神社多武峯町石(県指定史跡)

 談山神社の一ノ鳥居から、摩尼輪(まにりん)塔までの約五・五六kmの間に、参道に沿って五十二基の町石が建てられていた。町石の形式は板碑型で、町石の高さ約一五〇cm、幅三三cmである。江戸初期承応(じょうおう)三年(1654)十月十六日に、法眼が施主となって造立した。五十二基の町石は、因位(まよい)から仏界(さとり)に至る仏道修行をあらわし、十信、十住、十行、十回向までは、凡夫、十地は聖者の菩薩行、等覚(仏に等しいさとり)、妙覚(迷を減尽した仏界)とに分けられている。

  桜井市教育委員会


説明板の距離が間違っていたので画像で修正した。
正)摩尼輪(まにりん)塔までの約五・五六kmの間に…



寺川の流れに沿って下る。


歩いている道は多武峯街道。この辻で等弥神社方向を右(東)に見送る。


対岸(左岸)に形のよい常夜燈が見えたので、河西中の橋を渡って西へ。


2月16日(火)18:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(桜井_談山)43

談山神社多武峯町石。折れたが修復されていた。
左の石碑には「梵字 三界萬霊」と彫られているようだ。
右上の道標によると、桜井駅まで2.3kmと表示。何回か歩いたことがあるが、このまま道なりに直進すれば駅に辿りつく。



住宅地の中に突然現れた石仏。しかも民家の前にあって大きい。片手(右)のみで拝む姿。このようなお姿は他では見かけないように思う。仏花やらハボタン、植木鉢などが置いてあって賑やか。


鉢巻をした町石―笑。


談山神社大鳥居。思いっきり逆光になっている。右側の端部が欠落している。


談山神社大鳥居

 御破裂山(標高六一八・五m)の山腹に、南面して鎮座する談山神社の、北の入口に位置する大鳥居である。
 大鳥居は石製で、高さ約八・五m、長さ約一一・五mであるが、隣地の火災の際、西側の石材の端部が落ちてしまった。石材は花崗岩で、御破裂山の山腹から切り出されている。
 談山神社の桜井側の入口として繁栄したことが、付近の街並から想像できる。

  桜井市教育委員会



2月16日(火)18:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(桜井_談山)42

店の中に置かれていた新しい看板。


こちらが西内酒造の玄関。(右から)「大日本優等清酒」の看板に時代を感じる。


この日はお楽しみプレゼントの抽選があったが、残念ながら私の番号は118でハズレ。


参加者は476名で天気がイマイチだったこともあり少な目。


西内酒造を後にする。この日のコース案内では、この後、聖林寺バス停からバスに乗って桜井駅に向かうようになっていた。しかし、駅までの距離はそう長くはないので多武峰街道をブラブラと歩くことにした。


2月16日(火)18:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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