山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年2月25日を表示

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)24

紅梅が見頃を迎えていた。


旧法住寺御陵正門。(法住寺竜宮門)


蓮華王院、南大門。
桃山時代の建築で重文。慶長五年(1600)、豊臣秀頼によって建立。



築地塀。(太閤塀)これも重文。
桃山時代の造営で方広寺の南限を意味するために建てられた。



豊臣家の家紋、五七の桐。


2月25日(木)20:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)23

蓮華王院本堂(三十三間堂)

 現在は天台宗妙法院の管理になるお堂で、正式には蓮華王院と言い、長寛二年(一一六四)鳥部山麓(現・阿弥陀ヶ峯)にあった後白河上皇・院政庁「法住寺殿」の一画に平清盛が造進した。一度、焼失したが、直に復興に着手し文永三年(一二六六)に再建。その後、四度の大修理を経て七百五十年間護持されている。
 長大なお堂は「和様入母屋本瓦葺」で、南北に百十八メートルあり、お堂正面の柱間が三十三あることから「三十三間堂」と呼ばれ、堂内には丈六の千手観音坐像(国宝)を中央に千一体もの観音像(重文)と共に風神・雷神、観音二十八部衆という三十体の仏像(国宝)が祀られている。境内の太閤塀と南大門は、豊臣秀吉ゆかりの建造物(重文)で、毎年正月に行われる「通し矢」にちなむ弓道大会は、京都の風物詩になっている。
         京都市



養源院・山門。


養源院

 豊臣秀吉の側室淀殿が父の浅井長政の追善のため、文禄三年(一五九四)に政伯法印(長政の従弟)を開山として建立した寺で、長政の法号「養源院」を寺号とした。
 建立後、間もなく火災に遭ったため、元和七年(一六二一)に淀殿の妹で徳川秀忠夫人の崇源院が伏見城の遺構を移して本堂を再建し、以来、徳川家の菩提所となり、歴代将軍の位牌を祀っている。
 本堂の廊下の上の天井は、関ヶ原の合戦前、家康の命を受けて伏見城を死守した鳥居元忠以下の将士が自刃した時の廊下の板を天井に上げ、その霊を弔ったもので、俗に、血天井として知られている。
 本堂の杉戸及び襖の絵(ともに重要文化財)は俵屋宗達の筆によるもので、杉戸には唐獅子、白象、麒麟等の珍しい行動が描かれており、奇抜で新鮮味にあふれ、中学・高校の美術の教科書にも用いられている。
        京都市



この日は京都ウォーキング協会のウォーキングイベントがあった。題して、大坂の陣400年 豊臣家と徳川家その1「方広寺と二条城」で、説明文を持っているのはスタッフの人。ご苦労様です。
このイベント、NHK大河ドラマ「真田丸」に連動して行われている。



続いて法住寺の山門が現れる。


2月25日(木)20:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鷹塚山地蔵尊3

鷹塚山、丘の頂上から東方向の眺め。フェンスで囲ってある。
この後、真下に見える住宅の車庫の前へ行ってみた。



南東方向。


そして南方向。丘の東側を大きく削ったようだ。道がなくなっている。


住宅の車庫前から撮影。下から見ると法面の工事はすっかり終わっていた。
ここに新しく住宅が建つのだろう。



やはり南側は大きく削られていた。
おしまい。



2月25日(木)20:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

鷹塚山地蔵尊2

鷹塚山地蔵尊。周りが随分と明るくなった感じ。


全体像。覆屋が邪魔でお顔の上の部分が上手く撮影出来ない。


お顔は風化したのか、頬を撫でられたのか、のっぺらぼう。
お顔から下の部分が少し灰色っぽいが、付近の潅木の伐採や、後でわかったが法面の工事に伴い砂埃を被っているように見えた。



耳の形は比較的残っている。やはり頬を撫でられたのだろうか。


おみ足。


2月25日(木)20:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

鷹塚山地蔵尊1

2016年2月25日(木)、あまりにも良い天気なので、午後から自宅近辺を散策した。
ご近所の庭で咲いている枝垂れ梅を見るのが目当て。
一昨年の春、自宅にも枝垂れ梅を植えたが、まだ小さくこれから5年先、10年先が楽しみ。

ぶらぶら歩いていると、奈良市西大寺高塚町の鷹塚山地蔵尊近くにやってきたので、久しぶりにお顔を拝しに行くことにした。

尚、画像はすべて携帯で撮影。

電信柱の住所表示は「あやめ池南四丁目7」となっているが、ここは西大寺高塚町との境に位置している。
右に見える住宅の車庫と、左の住宅のフェンスの間にある細い道を辿る。



電信柱の下に「鷹塚山地蔵尊」の道標が立っている。


枝垂れ梅が満開。素晴らしい。


住宅の間の細い道を辿ると、東方向がスッキリとしていて、眺望が得られた。これにはビックリ。潅木を伐採したようだ。


そして更に驚いたことには、お地蔵さんの前で、一人の男子生徒が勉強中だった。
画像中央は若草山。



2月25日(木)20:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理


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