山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年3月1日を表示

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)38

JR稲荷駅前に建つ鳥居。こちらの方がメインの参道。
正面は稲荷山。



稲荷駅の敷地内に建つレンガ造りの建物。「ランプ小屋」と呼ばれている。


旧東海道本線の説明板。

Wikipediaによると、ランプ小屋(ランプごや)は、鉄道の客車及び駅務や保線用の照明用ランプ、燃料等を収納していた倉庫のこと。ランプ庫、危険品庫と呼ばれることもある。危険物を取り扱うことから堅牢な煉瓦造りとなっている。明治時代に建設された旧日本国有鉄道等の主要駅には一般的に存在したが、用途の消滅や駅の増改築に伴い急速に姿を消していった。明治時代の木造客車の車内照明には、灯油ランプが使われていた。夕暮れ時に停車する主要駅で、係員が各客車の屋根に上がり、作業窓からランプをつり下げる仕組みとなっていた。このランプと燃料を収納するのに使われた小屋がランプ小屋と呼ばれるようになった。明治時代末期の頃から、車軸発電機による電気照明が普及。車内照明用ランプの利用はなくなり、業務用の灯油カンテラと燃料の収蔵に用いられるようになった。カンテラ専用の収納スペースとしては、過剰な大きさであることから、大正時代以降に新設されたランプ小屋は少ないものと考えられている。現代では、灯油カンテラの使用もなくなり、一般の倉庫として使用している駅が多い。



JR奈良線の踏切のすぐ傍に覆屋があったので立ち寄った。
地蔵尊と彫られた常夜燈が立っている。
向かって左側面に天保十五辰八月の銘あり。



腹帯(ふくたい)地蔵尊と彫られた石柱。


3月1日(火)19:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)37

分岐に立っていた道標と地図。この先、階段を登らずに、斜め右(南西)へ歩き、伏見稲荷大社へと進む。地図には10分と表示されている。
右折(西)へ進むと京阪鳥羽街道駅となる。



伏見妙見寺の前を通過。


「稲荷あんしん あんぜんステーション」の看板がかかっていた。
交番のように見えたが元交番を有効に利用されているようだ。

皆さんの力で犯罪件数が半減!



この先、京阪伏見稲荷駅からの参道に出合う。


伏見稲荷らしい神具や土産物が並ぶ。


3月1日(火)19:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)36

仏殿。(本堂)


三門。


三門(国宝)

     室町時代 応永十二年(1405)

 東山三十六峰「恵日山」の麓に聳える国宝(指定:明治30年12月28日)「三門」。一般的には「山門」と表記され、寺域の入口(境)を指す。しかし、東福寺では、「三つの門:三門」と表記している。この意味は、「三解脱門」の略で、涅槃に達するための通らねばならない門とされる。三つの門は「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無作門(むさもん)」である。大きさは、五間三戸、二階二重門、入母屋造り、本瓦葺き、左右に階段を覆う山廊を有す。構造的には大仏様(天竺様)であるが、視覚的には禅宗様である。三門正面二階には北朝第四代将軍足利義持の筆である扁額「玅雲閣」が掲げられている。「妙」は「女」偏が一般的ですが、額は「玄」の偏を用い、本来の「玄」の意味である「奥深い道理」の意味を添え「妙」の意味の「真理・美しい」の意味を強化している。大きさは小さく見えるが畳三畳分あり、又、力強い筆運びである。二階内陣中央に35歳と云われる宝冠釈迦如来坐像、左前に月蓋尊者、右前に善財童子、両側に十六羅漢が安置されている。
 天井・柱には極彩色の迦陵頻伽(極楽に住む人面鳥身の架空の鳥)や飛龍(極楽に住む応龍)を描き、又金襴巻や牡丹唐草等で天上界を表している。天上界は悟りに達した精神界究極の世界を現わしていると言える。東福寺の僧である兆殿司・寒殿司の筆にて描かれ、三門内陣に心の存在を感じさせる空間を創造している。大屋根の四隅の角柱は、地震による三門の傷みを天正13年豊臣秀吉が行った大修理の際に補足した柱で、通称「太閤柱」と呼ばれている。



東福寺の境内を歩き、六波羅門を経て南へ歩く。南明禅院前を通過。
「徳川家康公正室旭姫墓在院」の石柱が立っている。

「家康公史跡めぐり・南明院」



「南明町 住宅案内図」。この先の分岐を南西方向へ歩く。


3月1日(火)19:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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