京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)41 |
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| 「ぬりこべ地蔵」からまっすぐに南へ歩くと、左手に石段が現れ「石峰寺」の入口に到着。
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| 石峰寺の駒札。
石峰寺(せきほうじ)
百丈山(ひゃくじょうざん)と号し、黄檗宗に属する。宝永年間(一七〇四~一七一一)、万福寺の千呆(せんがい)和尚の創建と伝えられ、当初は諸堂を完備した大寺であったが、度重なる災火により堂宇を焼失し、現在の本堂は、昭和六十年に再建されたものである。 本堂背後の山には、石造釈迦如来像を中心に、十大弟子や五百羅漢、鳥獣などを配した一大石仏群がある。これは、江戸時代の画家伊藤若冲(じゃくちゅう)が当寺に庵を結び、当寺の住職密山とともに制作したもので、釈迦の生涯を表している。なお、境内には、若冲の墓及び筆塚が建てられている。 また、門前より少し西へ行った所にある古井戸は、古くから名水として知られ、「茶椀子(ちゃわんこ)の水」と呼ばれて茶の湯に愛好されている。 京都市
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| 参道の石段を登ると、黄檗宗ではよく観られる竜宮造りの総門が現れる。
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| 総門の左手、梅の花が見頃となっていた。花のつきが少ないように見える。
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| 総門の左下に立ててあった注意書き。「五百羅漢の写真撮影とスケッチは禁止しております 石峰寺」 このことは事前に知っていたが、事実を確認する為に、わざわざ石段を登ってここまでやって来た。他の人は石段の登り口で待っていた。 このお寺は拝観料を支払って入山するが、それでも撮影禁止となっている。
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3月2日(水)18:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)40 |
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| 「ぬりこべ地蔵」と彫られた石柱が立つ。
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| 涎掛けのほかに、今風のバンダナを召されている。
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| 足の爪先が磨り減っているように見える。 そして、撮影した時は気付かなかったが、画像左に見える封書。 このお地蔵さんは歯痛にご利益があって、全国から歯痛の平癒を祈る封書やハガキが届いていた。
それにしても、“ぬりこべ”とはどういう意味なのか、気になったのでネット検索してみた。
伏見ぶらぶら15「伏見のお地蔵さん」によると、「塗込めの堂宇に安置されていたから」「塗込めをさらに病気を封じ込めるの義に解し」たとのことです。(竹村俊則・「昭和京都名所図絵」より) 「京都伏見歴史紀行」(山本眞嗣著)によりますと「塗込め」とは、貴族の邸宅の寝室のことをいい、四周を土塀で塗り込んで、その中に念持仏を祀る風習があったとこのことで、悪鬼を払って安らぎを得るという意味だそうです。
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| 有野山墓地を後にする。 京都市の広報板。稲荷小学校の催し案内が何枚か掲示されている。
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| 道標。消えかけているが、左、「深草墓地 / ぬりこべ地蔵尊」方向から来た。右、「石峰寺」へ向かう。
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3月2日(水)18:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)39 |
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| 摂取院(せっしゅいん)の地蔵堂に祀られていた腹帯(ふくたい)地蔵尊。 通常は非公開のようだが、この日はどういうわけか拝することが出来た。
京都市伏見区のHPによると、慶長13年(1608)に建立された浄土宗のお寺。地蔵堂に祀られる本尊は、平安時代末期に造られた寄木造りの腹帯地蔵(地蔵菩薩坐像)である。当初、江戸時代の製作と考えられていたが、平成2年の修理において、体内から墨書の銘文が3種類発見され、1番古いものは平安時代末期の製作と判明し、仏教美術史上の貴重な資料発見とあって注目を浴びた。
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| 腹帯地蔵尊の横に置かれた祠に祀ってあったが、お地蔵さんだろうか。
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| 腹帯地蔵尊から少し引き返し、東へと続く道を歩く。昔からある道に見える。
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| 突き当たりの南北に通じる道は、伏見稲荷大社から石峰寺へ抜ける道。 突き当たりの三叉路を右折(南)すると墓地(有野山墓地)が現れた。
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| 一ヶ所に集められた石仏や無縁仏。
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3月2日(水)18:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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