山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年4月13日を表示

上町台地から天王寺七坂めぐり42

やがて左手に大阪夕陽丘学園高校と短期大学の校舎が現れる。
この付近は坂になっており、学園坂と呼ばれている。

※⑨学園坂(がくえんざか)・・・天王寺七坂ではありません。長さ310m、高低差13m、平均斜度2.4度 学校の看板に「学園坂」と記されている。大阪夕陽丘学園高校(旧名大阪女子学園高等学校)の南側に隣接した坂なので、こう呼ばれるようになった。昭和12年(1937)都市計画道路として新設された道。



坂を登り詰めると谷町筋、六万体交差点に出る。
歩道の左、植栽されているサツキがもう開花していた。
サツキは5月の花。開花がとても早い。



六万体交差点を右折。北山不動明王の看板が見える。


「日本三体 / 虚空蔵菩薩 / 十三まいりの寺」の石柱が建つ「太平寺」。
曹洞宗のお寺。

十三まいりのお寺・太平寺(大阪・天王寺区)



東側に一際目立つ寺院が見えた。
天台宗の天鷲寺。(てんじゅうじ)

開創以来1200年 天台宗 大阪最古の名刹 天鷲寺公式ホームページ

尚、撮影した建物は「天台宗聖龍山天鷲寺総本堂根本堂平安精舎」。



4月13日(水)20:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

上町台地から天王寺七坂めぐり41

この狛犬の視線はかなり上を向いている。


ソメイヨシノの古木。でかい!!


光傳寺を後にする。隣は超心寺。

大阪市 天王寺区 Bコース(下寺町) によると、超心寺は、慶長8年(1603)開山、伝。幕末維新を駆け抜けた明治期の歌舞伎作者である勝歌女助(かつかめすけ)の墓がある。他に七代龍王神や柿本人麻呂明神などを奉っている。

天王寺 寺町寺子屋-超心寺-



更に法界寺。

大阪市 天王寺区 Bコース(下寺町) によると、法界寺の門を入ったところに祠がある。「安産地蔵」(別名:住吉の誕生地蔵)。このお地蔵さんには逸話があり、多くの人がお参りに訪れるという。

この逸話について、天王寺 寺町寺子屋-法界寺- によると、このお地蔵さんにはこんな逸話がある。堺の浜にこの お地蔵さんが流されていた 。もったいないと思ったとあるお寺の檀家さんが、自分の寺に運ぼうとこの お地蔵さんを荷車に乗せて引っ張っていた 。ところが このお寺の前で突然荷車が壊れてしまった。 ふと見るとここもお寺。 何かの縁 だとこのお地蔵さんをこのお寺に安置したのだそうだ。



法界寺の山門を過ぎて左折。(東)
道はこの先、右方向にカーブする。この道は一方通行。
珍しく自転車専用道がある。



4月13日(水)20:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

上町台地から天王寺七坂めぐり40

宗念寺の隣は光傳寺。
築地塀に小窓があって案内板が掲げてある。



     淡嶋明神

 この窓の奥に見える當寺に鎮座し奉る「淡嶋明神」は、「災厄身代わり人形流し」で知られる和歌山・加太の淡嶋明神の分社であります。
 淡嶋明神は薬王神で、天照大神の第六の姫君で、住吉神の妃になりましたが、婦人病の為、離縁となり、綾の巻物と神宝をもらって空舟に乗り、加太に着いたといわれます。途中嵐にあい、当寺に一時避難されたと古史に伝えられております。
 江戸時代に淡嶋願人という僧が各地をまわって女性の衣類や髪を集め、淡嶋堂を建立して納める宗教活動が行われ、当社もそのひとつで婦人病に悩む人たちの信仰を集めております。
 右の小門より、ご自由にご参拝下さい。
        光傳寺



このお寺は、ここまで歩いてきたお寺と違って“ Welcome ”に見えたので少し立ち寄ることにした。


江戸初期、大阪城下の外に形成された寺町の姿を、松屋町筋沿いに二十五もの寺院が連なる歴史情緒あふれる下寺町。その一角にある光伝寺は、桜の季節になると開門し、境内の見事なソメイヨシノを一般に開放している隠れた桜名所です。


ソメイヨシノの古木。開花が近い。
赤毛氈が鮮やか。

天王寺 寺町寺子屋- 光傳寺 -



4月13日(水)20:31 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理


(1/1ページ)