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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年4月22日を表示

上町台地から天王寺七坂めぐり57

境内に掲示されていた眞田幸村と十勇士のポスター。


ツツジに混じってボケの花が咲いている。


  眞田幸村陣歿の旧跡

元和元年大阪夏の陣に徳川家康は秀忠と共に大軍を率いて大阪城を攻めた。ここに於て大阪の兵は城の既に恃むべからずを知って出でて戦い、五月六日幸村は後藤基次、薄田兼相等と大和口を防がんとして河内の片山道明寺に赴き、基次等が敗死したので殿軍となって伊達政宗の兵と戦い、翌七日は天王寺附近に松平忠直の軍を迎え奮戦したが、ついに当社境内一本松の下で戦死した。時に年齢四十九歳であった。当時の松は既に枯死したが、社殿復興を機に昭和二十六年四月二十四日これを記念して植樹された。
 例年五月に幸村祭が盛大に行われる。


平成二十八年 幸村まつり(慰霊祭) 五月五日(木)こどもの日



幸村公はこの境内で無念の死を遂げました。
その生き方は生きる人間の本義を貫いた人として多くの人に愛されています。
この地から幸村公ははるか故郷 信州上田を偲び また父昌幸公を慕い 
そして大阪城に思いを馳せていたのかもしれません。
幸村公の遺徳を偲び ここに銅像を建立しました。
この銅像にお手をお触れ下さい そしてその徳を授かって頂ければ喜ばしく思います。 

      安居神社 宮司



眞田幸村公之像。


4月22日(金)20:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

上町台地から天王寺七坂めぐり56

一心寺の堂宇が見える。左に見えるスタジアムのような建物は一心寺の山門。正式には仁王門。
お寺の山門には到底見えない。
一心寺は納骨でお骨仏を作るお寺として知られている。
私の両親もこのお寺のお骨仏になっている。祖父母も同じ。
但し胴骨。本骨はお墓に納めている。



通天閣が見えた。この日はこれから安居神社に寄って、天王寺七坂の最後に歩く坂となる、「逢坂」を下って、地下鉄恵美須町駅でゴールとなる。


安居神社に到着。


     安居神社由緒略記 
 鎮座地 大阪市天王寺区逢坂一丁目三番二十四号
 御祭神 少彦名神(すくなひこなのかみ)
       菅原道真公(すがわらみちざねこう)
 祭日 【一部割愛】
      由緒
 少彦名神を奉祀したのは古文書が散逸したので現在は詳かではないが、非常に古い時代の事であると伝えられている。この神は医薬禁厭(医術・薬方・まじない)智慧の祖神として、その霊験はまことにあらたかな神である。
 菅原道真公の奉祀は公筑紫へ左遷される途上海上浪荒く暫くこの地に立ち寄って憩われた旧跡である所以を畏み、後四十年を経た天慶五年(西暦942年)此処にその御神霊をお祀りしたと伝えられている。
 菅公の御神徳は誠の権化であり又学問文化の神として人々を守護し導き給うのである。
 当神社の御神徳を厚く蒙った人々は昔から多く、中にも大丸の業祖下村彦右衛門氏は大きな御加護を賜りて繁栄されたことは有名であり当神社に対する信仰は極めて篤く大丸天神と称せられる所以である。
 境内に古より、癇鎮めの井と称する清冽なる水湧出する井戸があり霊水として広く知られているが、現在は四囲の状況に禍され枯渇の状態にある。
 又大阪夏の陣における眞田幸村戦死の地と伝えられ石碑が建っている。
 昭和二十年太平洋戦争の災禍をうけ一切の建物は鳥有に帰したが、大丸を始め奉賛者の寄進により同二十六年春復興され現在種々の祭典が執行されている。



「元和元年五月七日 眞田幸村戦歿地」の石碑。側面には「大正九年 大阪府」。


4月22日(金)20:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

上町台地から天王寺七坂めぐり55

「厄除け不動明王」。
矜羯羅童子(こんがらどうじ)が日陰でお顔が見えず。

興禅寺 (大阪市天王寺区) - Wikipedia によると、興禅寺(こうぜんじ)は、大阪市天王寺区伶人町にある曹洞宗の仏教寺院。山号は神應山。本尊は釈迦如来坐像。開山は加賀大乗寺二十六世 月舟宗胡、二世は同二十七世 卍山道白。
寺記によると早創年代は不明だが、元は住吉大社の北百歩ばかりの所にあり三柱の神を鎮守とし、法橋定朝作の観世音菩薩像を祀っていたと記されている。万治3年(1660年)、月舟宗胡を請して開山に迎え禅堂、庫裏を創建した。後に明治13年(1880年)、現在の場所へ転地している。
天王寺七坂の一つ、天神坂の途中にある。境内に「厄除け不動明王」が安置されており、厄除けの寺として知られている。





マンション建設反対の垂幕。右には裁判中の幟。


「陽のあたる坂道の天神坂」と記された掲示板。
左に四天王寺大学の切り抜き記事があったので、この近くにあるのかと思ったが、羽曳野市に移っていた。



燈籠型の道標。右から四天王寺、安居神社、左の文字は幟の竿で見えず。


一方通行のR25に出合って右折。(西)


4月22日(金)20:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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