上町台地から天王寺七坂めぐり29 |
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| 高津の富亭。(参集殿)
高津宮 - Wikipedia によると、 高津宮(こうづぐう)は、大阪市中央区にある神社。旧社格は府社で、戦後神社本庁の別表神社となった。難波高津宮に遷都した仁徳天皇を主祭神とし、祖父の仲哀天皇、祖母の神功皇后、父の応神天皇を左座に、后の葦姫皇后と長子の履中天皇を右座に祀る。貞観8年(866年)、勅命により難波高津宮の遺跡が探索され、その地に社殿を築いて仁徳天皇を祀ったのに始まる。天正11年(1583年)、豊臣秀吉が大坂城を築城する際、比売古曽神社の境内(現在地)に遷座し、比売古曽神社を当社の地主神として摂社とした。明治5年に府社に列格した。昭和20年(1945年)3月の大阪大空襲によって神輿庫を残して社殿が全て焼失し、昭和36年(1961年)10月に再建された。古典落語「高津の富」「高倉狐」「崇徳院」の舞台として知られ、古くから大坂町人の文化の中心として賑わっていた。 境内の参集殿は「高津の富亭」と名づけられており、落語の寄席や文楽などが行われている。高津の富亭での寄席には五代目桂文枝一門がかかわっており、文枝最後の口演「高津の富」が演じられたのも「高津の富亭」で開かれた「くろもん寄席」である。文枝が亡くなった翌年の平成18年(2006年)3月、境内に桂文枝の石碑が建立された。
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| 高津の富亭、寄席の予定表。会費、当日:1800円。前売:1500円。
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| 富亭、玄関に入ってみた。
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| 表参道の急な階段を降りる。
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| 常夜灯。「安永四乙未年 夏五月吉日」の銘あり。
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4月8日(金)20:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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上町台地から天王寺七坂めぐり28 |
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| モモの花かと思ったがどうも違う。ウメやサクラには見えない。 正解はアーモンド。
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| 境内では桜まつりのスタンバイOK!というところ。
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| 古木があったので立ち寄る。 2万年前の神代杉という。これを動力にして時空を進む“とこしえ(永遠)にむかう舟”を高津宮の とこしえ秋祭に建造するとのこと。芸術家 伊原セイチ
このイベントは既に終わっているかもしれない。
神様の船 完成 25日「高津宮とこしえ秋祭り」-大阪日日新聞
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| 屋外用のかまど。奉納されたようだ。 その右に立派な常夜燈が建つ。
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| 「文化三年 丙寅十二月吉日 願主×× 」の銘あり。
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4月8日(金)20:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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上町台地から天王寺七坂めぐり27 |
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| 北坂を登って境内に入る。 何で大阪市歌の歌碑がと思ったら歌詞を見て納得。
【自治体歌】大阪市 市歌
市歌では、“こうづ”ではなく“たかつ”と詠んでいる。 また、「咲くやこの花さきがけて よもに香りを送るべき」の“この花”は桜ではなく梅。桜は香らない。
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| 皆さん、左に見える「北坂」を登って来られる。 もし北坂の登り口にスタッフの人が立っていれば、間違うことはなかったと思う。 この日歩こうとした16の坂の中で、「相合坂」は唯一歩いていない。 画像の中央の建造物は神輿庫。 昭和20年の大阪大空襲では、この神輿庫のみ残して社殿が全て焼失。
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| 「五代目 桂文枝之碑」。
説明板によると、桂文枝一周忌にあたる平成十八年三月に建立された。文枝師匠は平成十二年より平成十七年まで、高津の富亭に欠かさず出演し、平成十七年一月十日のとんど祭りが最後の高座となった。このような経緯により五代目桂文枝を顕彰する碑が建立された。石碑の題字は長年の盟友であった三代目桂春團治師匠の筆による。
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| 絵馬堂。
高津宮・坂案内(板高津宮ホームページ) によると、江戸時代は今の絵馬堂の当たりが、展望の名所として全国にも知られており、ここで望遠鏡を貸して大阪のまちなみの説明をする商いが庶民の娯楽としてにぎわっていた。
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| サクラがチラホラと咲き始めていた。紅白のたすきは頭上注意ということだろう。
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4月8日(金)20:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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