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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年4月9日を表示

上町台地から天王寺七坂めぐり31

千日前通は横断歩道橋を渡る。


歩道橋から東方向の眺め。右上の高架は阪神高速。


歩道橋を降りて千日前通を東へ歩く。
フライパンを使ってお店のPR―笑。



右折(南)すると、美しい石畳と「真言坂」の表示が現れる。

※天王寺七坂①真言坂(しんごんざか)・・・天王寺七坂のひとつ。長さ70m、高低差8m、平均斜度7度。坂下に「真言坂」と刻まれた石標と、案内板がある。七坂の中でただ一つ北へ下る坂である。生国魂神社の北側には、医王院・観音院・桜本院・新蔵院・遍照院・曼荼羅院の六坊があった。すべて真言宗であったのでこの坂は真言坂とよばれた。



真言坂の説明板。

生国魂神社の神宮寺であった法案寺をはじめとする生玉十坊が、明治の廃仏毀釈まで神社周辺で栄えていた。うち、神社の北側には医王院・観音院・桜本院・新蔵院・遍照院・曼荼羅院の六坊があった。すべて真言宗であったのでこの坂は真言坂とよばれた。



4月9日(土)21:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

上町台地から天王寺七坂めぐり30

参道に屋台が並んでいたが、この日は何か催しがあったのかもしれない。


付近は高津公園となっている。もう少しでサクラが咲くが、その頃は大層賑わうだろう。


欄干に「梅の橋」と彫られている。

説明板によると、現在の石橋は一七六八年に天満九丁目の長浜屋五兵衛が奉納した。かつて高津宮一帯は梅の名所であり橋名の由来となった。橋の下には梅川が流れていて「摂陽奇観」(江戸時代後期)では、東から西に流れる梅川を掘り広げたのが道頓堀とする「梅川道頓堀上流説」を紹介している。



高津宮、表参道を振り返る。
一対の石柱に文字が彫られていた。

右は「風敷宇宙」(じんのかぜうちゅうをしく)
・・・思いやりのある風が 宇宙に満ち溢れるとき

左が「化洽乾坤」。(とくかけんこんす)
・・・人を思う慈しみは行動となって 天と地に広がる

高津宮は、浪速の地を皇都(高津宮)と定められ、大阪隆昌の基を築かれた仁徳天皇を王神と仰ぐ神社で、この頭二文字で「仁徳」となるそうだ。



高津宮を後にし、松屋町(まっちゃまち)筋に出て左折。(南)
千日前通と交差する下寺町の交差点に出た。



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