六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)17 |
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| 登山道に見られる石。 歩きにくい。
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| 花崗岩が砂になって崩れ落ちている。 雨が降れば小川になるだろう。 そして土砂が流され、切込みがますます深くなる。
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| 九十九折に続く登山道。
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| 登山道から離れて、踏み跡が続いていたので辿ってみる。
Y氏によると「砂山権現」とのこと。 手持ちの地図にも、そのように記されている。
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| しかし、現地にはそのような案内板はなかった。 ネット検索すると、塩尾寺の奥社らしい。
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5月15日(日)20:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)16 |
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| お寺の境内に置かれていたボタン。最も一般的なピンク。
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| 暫く休憩した後、歩き出す。 塩尾寺の山門の手前が山への取り付き。
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| 登山道はやや荒れている印象。 取り付きだけでなく、その後も、所々荒れていた。
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| 階段を設置するなど、随分と整備されている。 登山者やランナーが多いのだろう。
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| 錆びた立て看板。
「×示 濫リニ林中ニ立入リ砂防設備を損×スベカラズ 犯ス者ハ處罰セラルベシ 兵庫縣」 ×は不明。随分古いものだ。
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5月15日(日)20:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)15 |
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| タニウツギと見られる。 奈良近辺の山々ではあまり見かけない。
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| 車道の右下に旧参詣道らしい踏み跡があったが踏み込まず。
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| ようやく塩尾寺(えんぺいじ)に到着。
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| 境内にお邪魔して小休止となるがトイレは利用出来ない。
たからづかの歴史散歩A|宝塚市公式ホームページ によると、塩尾寺は室町時代に悪疾をわずらった老婆が、観音様の功徳により、武庫川岸の柳の木の根元から湧く塩からい霊水で病を治し、その柳の木で彫った十一面観音像を塩尾寺におまつりしたという話が伝えられています。この霊水が宝塚温泉の源泉だともいわれます。
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| 梵鐘は古そうだったが鐘楼は新しい。 何か不釣合いに見えてしまう。
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5月15日(日)05:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)14 |
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| 眺望が得られる場所の手前、左下から石段が続いている。 「えんぺい寺休憩所」から石段を登ればここに辿り着くのだろう。
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| 武庫川の流れと宝塚駅付近の高層ビル。 赤い屋根が宝塚大劇場らしい。 右手前の円形の建物は水道施設だろう。
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| 六甲山の“六甲”の名前について、 神戸市のHP 【About六甲山】六甲山地の山々|六甲山歩 によると、古く万葉の頃(5世紀)から「牟古山」「六児山」「武庫の山」などと書いて「むこやま」あるいは「むこうのやま」と呼ばれ、六甲山(ろっこうさん)と呼ばれるようになったのは江戸時代に入ってからのことです。
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| 眺望地を後にする。三基の神祠が祀ってある。 左から、松助大明神、道守大明神、白鷹大明神。
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| 更に歩くと左に道標が現れる。 「塩尾寺 二丁」と彫られている。 新しい時代のものと見られる。 右側面に「施主 宝塚立美家」と彫られていた。 “宝塚立美家”は旅館らしい。
宝塚案内書誌(大正2年:寳塚案内誌) : 近代宝塚歴史紀行
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5月15日(日)05:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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