山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年6月1日を表示

伊賀街道①(笠置_月ヶ瀬口)29

木津川に架かる恋路橋。
先ほど飛鳥路で見た潜沈橋とよく似ている。
今度は対岸へ渡る。



歩いて渡る限りでは橋の幅は十分あるので恐怖感はまったくない。(幅3.6m)


恋路橋の途中から上流方向を眺める。
画像前方に見える白い建物が南山城村役場。
画像左の陸橋は大河原駅構内の跨線橋。



大河原駅前にやって来た。
ここから列車には乗らず、駅を左に見送る。



駅前に設置されていた案内板。
恋志谷(こいしや)神社はルビが欲しいところ。



6月1日(水)20:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

伊賀街道①(笠置_月ヶ瀬口)28

    十輪寺跡の十三重塔 大字南大河原

 花崗岩製十三重塔で基礎の側面四方は素面である。塔身は高さ28センチメートル、幅は29.8センチメートル、下端は29センチメートルで月輪内に種字でウーン(阿閦)、タラーク(宝生)、キリーク(弥陀)、アク(不空成就)の金剛界四仏種子を配している。この塔は軒反の萎縮等から考えて室町時代中期の造立と考えられる。

           南山城村教育委員会



傍らに置かれていた石仏。


こちらは真輪院の東側に置かれていた五輪塔。


真輪院を後にする。
画像は天満宮・恋志谷神社の境内を振り返って撮影。
境内には古木が多く見られた。



東海自然歩道は、この先、高山ダムへと続くが、この日のコースは、木津川に架かる恋路橋を渡って右岸(北)へ行く。
※この地図は上が南になっている。



6月1日(水)20:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

伊賀街道①(笠置_月ヶ瀬口)27

境内で植栽されていた「タラヨウ」。
葉っぱがハガキの名前の所以となった木として知られる。



本日の反省会の話になった時、エースN氏が本日バースデイで不参加と知り、皆さんにお披露目の司会役を買って出たY氏。
オメデトウございます。パチパチ。



中壇からの石段を降りる。
石垣の雑草取りは順調に進んでいた。



昼食後、恋志谷神社を後にしょうとしたが、右隣にお寺が見えた。


恋志谷神社に隣接する峰栄山 真輪院。
説明板によると、真輪院は十輪寺跡(柳生友矩の墓)に建立された寺院らしい。

十輪寺跡(柳生友矩の墓) 大字南大河原

 十輪寺は、柳生宗冬(柳生家三代藩主)が父宗矩の死後4千石を領したとき、その領地に含まれていた南大河原村に兄友矩の菩堤を弔うために建立したという。
 柳生友矩は宗矩の次男として生まれる。母は京都の烏丸家の出であり、慶長8年の生まれ、幼名を左門と称し、文武両道に優れ容姿端麗で15歳で将軍家に仕え、寛永11年(1634年)6月、22歳で徒士頭、同8月刑部少輔友矩となった。その年11月2千石を受け、高尾・大河原を治めた。家光の側近の一人として破格の出世をするが、あまりに家光に近付きすぎたため父の怒りにふれ柳生の里に謹慎、病臥につく。その後寛永16年6月に27歳の若さで没した。現在の真輪院の東側に石碑も残っている。 
           南山城村教育委員会



6月1日(水)20:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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