山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年7月7日を表示

生駒山麓公園_室池園地_四條畷37

 元禄二(一六八九)年に当地を旅行した貝原益軒は、「飯盛の東北、龍鼻山に観音有。里民はなはだ尊信す」と記し、龍尾寺住職慶道は寛文三(一六六三)年八月二十二日付記録で「観音山の旧地は人煙遠く距るにより、現在地に移し、禅宗に転じた」と書きしるす。御机神社と相対する懸崖上に建つ龍尾寺は、桜・紅葉の名所としても著名。縁起書の語る観音山旧地は、現在地より更に五百㍍程山系へと踏み分けた地を指すが、人煙遠く距るにより、江戸初期に現在地へ転じたもの。
 京都相楽郡加茂町の古刹、真言宗海住山寺の大般若波羅蜜多経六〇〇巻のうち、奥書を記す経巻の大半は、当地龍尾寺の経典を、寛治五・六・七年(一〇九〇年代)に筆写したものである。「河内国讃良郡滝尾供養了。滝尾山持経。滝尾寺の本。書写願主滝尾寺範誉」等と記してあることから見ると、平安末期には「滝尾寺」を称し、大般若経六〇〇巻を持つ寺院として、寺運隆々たるものがあったものであろう。
 奈良期の寺院は人里の中に建てられるが、平安期ともなれば、修行道場として山岳寺院へ移行する。このことから、平安初期に遡る古寺院であることは確である。滝尾寺の滝が、本字の瀧→龍となって、龍尾寺を称するに至ったものであろう。瀧尾寺から龍尾寺へ転じた時に、龍王感応伝説が生まれる。一二〇〇年前の天平の昔、旱魃あって里人大いに苦しむ。行基菩薩これを憐れんで山間に立ち、法華経を唱すれば大雨沛然たり。龍王は身を裂いて里民の窮状を救ったものであろう。身は三分されて天空より落下した。住民深く感謝し、頭の所に龍光寺、胴体の所に龍間寺、尾の所に龍尾寺を建てて、その霊を弔った。前二者は大東市龍間に、後者が当市の龍尾寺となって、法灯を現在に伝える。京都の古刹・真言宗海住山寺と密接な関係にあることより見て、高野山金剛峯寺に倣い、人煙遠く距った観音山に真言宗として建立され、滝尾寺を称し、鎌倉時代に起雲山龍尾寺へ名称は定着、江戸初期に現在地へ転じた時、禅宗の曹洞宗へ改まった。
       (四条畷市史第四巻より抜粋)


尚、上記の龍王感応伝説について、これと同じような縁起が、千葉県匝瑳市にある真言宗智山派の寺院、龍尾寺(りゅうびじ)にも伝わる。

龍尾寺 - Wikipedia



一ヶ所に集められ丁重に祀られている石仏。


境内に祀られている石仏。


龍尾寺、本堂。


ここにも石仏が祀られていた。


7月7日(木)20:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

生駒山麓公園_室池園地_四條畷36

石段を登って龍尾寺へ立ち寄る。


参道からの眺め。
これまで歩いてきた権現川ハイキングコースは谷筋なので眺望はまったく得られなかった。
一方、この参道のように尾根筋を登ると、眺めは頗る良い。



急な石段が続く。
龍尾寺へお参りするのはこれが初めて。



境内に到着。


   龍尾寺の伝説

【前半割愛】
 そうしたらあら不思議、一天にわかにかき曇り、たちまち大粒の雨が降りそそぎ始めたのです。
 恵みの雨があがって山のかなたを見晴らした里人は。頭と胴と尾の三つにちぎれて木にかかっている龍を見いだしたのでした。龍はわが身を裂いてまで民衆の苦しみを救ったのでしょうか。人々は頭の落ちたところに龍光寺(りゅうこうじ)、胴体のところに龍間寺(たつまでら)尾のところに龍尾寺(りゅうびじ)を建て、龍王の霊を弔いました。
 大東市の龍間にある龍光寺と龍間寺、当市の権現滝・室池への入口、標高70メートルのところにある起雲山龍尾寺は、こんないわれを持つ古い古いお寺です。



7月7日(木)20:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

生駒山麓公園_室池園地_四條畷35

おこり不動尊。
お不動さんは憤怒の表情が常なので、“怒り”不動尊ということだろうか。
それにしても、肝心のお不動さんの姿が見えない。



権現川に分堰が作ってある。
ここから水を取り入れて、用水路を通し、水田や畑に引いている。



右が用水路。


ギボウシの仲間とブライダルベール。
ブライダルベールは観葉植物で、このように半ば野生化しているのはあまり見かけない。
ここの環境にマッチしているのだろう。



   龍尾寺(りゅうびじ)

 権現川沿い、御机神社(みつくえじんじゃ)と相対する懸崖上にたつ龍尾寺は、行基開山と伝えられる古寺院で、龍尾と称するものがあって寺宝とされています。1m余の渦状で、末尾に剣に似たものがあります。寺伝によれば、「天平年間、旱魃って里民大いに苦しむ。行基これを憐みて山間に立ち、読経す。一天陰鬱して雲起こり、大雨沛然(はいぜん)となる。為に里民愁眉(しゅうび)を開き、翌日野に出れば、龍尾の落ちて竹藪に懸(かか)れるあり、依って行基これを収めて一庵を創建したりと。」とあります。



7月7日(木)20:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

生駒山麓公園_室池園地_四條畷34

ふと見ると石仏が目に留まった。


左は弘法大師だろう、右は不動明王。
比較的新しい時代のものに見える。重厚感がない。



これら二体の石仏の左に立派な「山神」の石碑があった。
石祠が祀られており、ごく最近、建立されたようだ。



権現川の流れ。
雨後なので水量が多い。



民家が現れる。


7月7日(木)20:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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