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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年8月22日を表示

京の古道⑩唐櫃越33

馬堀駅前に設置されていた「唐櫃越」 本能寺への道 と記された亀岡市篠町自治会が設置した案内板。
唐櫃越ルート図として、篠町山本から苔寺への大雑把な地図が表示されていた。

歴史が動いた!本能寺の変

亀岡は山陰街道の要衝として歴史の壮大なドラマの舞台となり、古くは源義経、足利尊氏などの武将たちが活躍しました。

「唐櫃越」は亀岡市篠町山本地区から京都市嵐山の西芳寺(苔寺)付近に至るまでの尾根道です。丹波亀山城主(現亀岡市)の「明智光秀」は天正10年(1582年)6月2日京都本能寺に宿泊していた主君「織田信長」を攻め滅ぼす為 本隊は「老ノ坂峠」を、別動隊はこの「唐櫃越」を通り本能寺を攻め信長を滅ぼしました。これが世に言う「本能寺の変」で一瞬にして日本の歴史を大転換させた最大の政変でした。
         篠町自治会



こちらは篠町の名所案内。この地図は上が東になっている。


JR山陰本線・馬堀駅構内から北東方向の眺め。
画像中央左のピークは、先ほど歩いて来たみすぎ山430mと見られる。左の谷は保津峡。



馬堀駅で京都行の電車を待つ。


電車の車窓から撮影。手前が明智越、その左後方が牛松山(丹波冨士)。

京都駅に到着後、反省会は京都駅ではお馴染み、駅構内の「塩小路カフェ」にて。おしまい。



8月22日(月)20:12 | トラックバック(0) | コメント(2) | 山歩き | 管理

京の古道⑩唐櫃越32

亀岡市マンホールの蓋。
日本マンホール蓋学会及び亀岡市のHPによると、
亀岡市はその昔「亀山」という地名で呼ばれ、明智光秀が築いた丹波・亀山城の城下町として栄えました。今の「亀岡」になったのは1869年。 伊勢国の亀山と混同されないように改称した経緯があります。いずれにしても亀岡は「亀」と縁が深く、本マンホール蓋のデザインにも 2匹のカメをあしらいました。甲羅の部分に亀岡市の市章を組み合わせたことからユニークな形をしていますが、それが逆に子どもから大人まで 親しめる愛嬌になっています。カメの体から外に向けて波紋のように広がる曲線は、下水道事業の推進を表現したもの。 蓋の表面には全体的に凹凸が多く、滑り止めの効果を発揮しています。

亀岡市のマンホール



野々神社舊跡と彫られた石柱。
“野神さん”のことだろうか。



歩いて来た唐櫃越を振り返って撮影。
撮影した場所付近は新興住宅地となっている。



高層ビルを目印に歩く。あのビルの近くにゴールとなる馬堀駅がある。


馬堀駅はこの先左折。右折するとトロッコ亀岡駅を示す道標が立ってあった。


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