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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2017年2月11日を表示

神戸八社巡り16

七宮神社(しちのみやじんじゃ)由緒記

由緒沿革(抜粋)

・創建は不明。千年以上の歴史を有する。

・「七宮」の名の由来について以下の三つの説がある。
 1.「神功皇后の三韓征伐説」。二○一年、三韓征伐凱旋帰国途中に七番目に巡拝したことによる。
 2.「七つの神を祀る説」。「白藤家記録」を根拠に延喜式に載する「八部汝売神」が七宮の前身、主祭神「大己貴命」は「大国主命」「大物主命」「葦原醜男」「八千矛神」「大国玉神」「顧国玉神」の七つの御名を称すことによる。
 3.「七宮神社築城伝説」。平清盛の大輪田泊・経ヶ島造営工事に伴うエピソード。応保元年(1161)。暴風雨で工事が進まない事から原因を調べたところ、塩槌山に祭られていた神「大己貴命」の存在を知らずに土砂を採石していたため、この神が怒っていると考え、清盛自筆の「南無七大明神」の神号を奉り、現在の七宮町に祀られたのが七宮神社。この効果があってか無事経ヶ島が完成し、以降は兵庫津北浜の土産神として崇拝されることとなった。

・沿革 高田屋嘉兵衛の奉納。寛政11年(1799)。淡路島出身の高田屋嘉兵衛が西出町に居を構え、辰悦丸を含む持ち船三隻の模型を奉納し、航海安全を祈願、以降海上業者は嘉兵衛に倣って、七宮神社を参拝するようになった。しかし戦災により奉納された船はことごとく焼失。



真新しい石鳥居を潜ってお参りする。
前方に見える高架道路は阪神高速3号神戸線。



神社の建物というイメージではないが。


こちらが本殿らしい本殿。

私は本殿に近づかず、少し離れたところから参拝しておいた。
これだとお賽銭が不要―笑。



狛犬。阿形(あぎょう)。


2月11日(土)20:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

神戸八社巡り15

「高田屋嘉兵衛と西出町」

高田屋嘉兵衛と西出町のつながりは深く、寛政二年(1790)、淡路島から来住した嘉兵衛は、当地で船乗りとしての頭角をあらわし、嘉兵衛が引退する文政五年(1822)まで、高田屋の本店は西出町に置かれていました。
 嘉兵衛は、津名郡都志本村に生まれ、二十二歳のときに西出町の廻船問屋・堺屋嘉兵衛のもとに身をよせ、もちまえの勇気と努力によって、わずか四年後には、千五百石の辰悦丸を建造し船持ち船頭になりました。やがて廻船問屋として独立し、蝦夷地(北海道)の開発、日露間の紛争の解決などに活躍し、兵庫津の繁栄につくしました。
 嘉兵衛が本店の地に定めた西出町は、ふるくは「佐比江の入り江」が深く入り込んだ浜辺でしたが、江戸時代の前期に、兵庫津の出町として町場が形成され、北前船などの廻船がさかんに兵庫津へ寄港するようになると、「佐比江の入り江」は船入り江(北舩入)として整備され、西出町は東出町とともに問屋・船大工などの町として活況を呈すようになりました。
 この碑のすぐ西側には、明治中期まで船入り江がありました。かつて船入り江をのぞんで高田屋の本店・倉庫などが建ち並んでいたと、古老の話が残されています。

     2012年3月 西出東出まちづくり協議会



やがて七宮神社南交差点に到着。


歩道橋を渡る。


歩道橋から南、和田岬方向の眺め。


歩道橋を降りると、そこが「七宮神社」の門前。


2月11日(土)20:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

神戸八社巡り14

清風荘の入口。
昭和30年代にタイムスリップしたような気分。
下駄箱は共用。当然、お風呂も銭湯。



再び「菜の花ロード」に出合いこれを歩く。
が、菜の花は何処にも見えず。



「横溝正史…」から一旦「菜の花ロード」を離れ、「松尾稲荷…」へ立ち寄り、再び「菜の花ロード」を歩く。

「高田屋嘉兵衛・本店の地記念碑」まで100m。



道幅が広く歩きやすい歩道。
ということは、近年、建設された道路。



「高田屋嘉兵衛 本店の地」記念碑が現れる。


2月11日(土)20:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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