山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2017年7月26日を表示

もう一つの三室山と雁多尾畑8

三叉路となり、ここでも道標を見て左折。

するとクルマ止が現れる。
歩行者は通行可。



前方にハイカーがいた。
女性ばかりのグループの様子。



舗装道路を歩くと広場に出る。

挨拶して、情報収集しようとしたが、グループはこの先、ベンチの右側に続く小道を歩き、森の中に入って行った。

私達と歩くコースが違うようだったので追従せず。



万葉歌碑。

「龍田山 見つつ越え来し 桜花 散りか過ぎなむ 我が帰るとに / 信幸書」。



解説板。【一部割愛】

現代語訳
 龍田山を見ながら越えて来た。
 桜花は散ってしまうのではなかろうか。私が帰る時までに。

歌の背景
 天平勝宝七年(七五五)二月十七日(太陽暦の四月六日)の大伴家持の作。この当時、家持は兵部少輔という役職にあり、筑紫に派遣される防人を検校(けんぎょう)する職責のため、難波に往き来することがあった。一首は難波に赴く時に龍田山の桜を見て詠んだ作である。万葉集に残された防人の歌は、家持が兵部少輔であった縁で、この折に採集したものである。

三郷町 万葉歌 巻20-4395



7月26日(水)20:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑7

右折すると、結構な登り坂となっている。

次の辻にまたしても道標が見えたので、道標に従い左折する。



正面に森が現れ、住宅地はここで途切れる。


森の方向へ歩くと池が現れる。

道標を見て右に回り込む。
この公園は「農住5号公園」。



池を左下に見て右へ上る。


このあたり、住宅地として開発されたようだが、空き地が目立つ。

電信柱に付けられた住所表示板は「三郷町立野南三丁目25」。



7月26日(水)20:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑6

格子を外そうとしたが、簡単に外れそうになかったので、格子越しに撮影。

例によって涎掛けがしてあり、お姿はほとんど何も見えない



     関地蔵
天武天皇在位の時代(六七三~六八六)、大和を中心にして、東国へは不破の関(岐阜)、中国へは吉備の関(岡山)、山陰へは石見の関(島根)、そして、難波へは龍田の関(奈良)が設けられた。これが日本四関と言われている。
この地蔵石仏は、通称「関の地蔵さん」と呼ばれており、龍田の関近くに祀られていたと言われ、水害などでお顔も破壊されているが、龍田関跡を示す貴重な資料である。  【以下割愛】
        平成二十二年八月 三郷町教育委員会



関地蔵を後にする。

前方の電信柱に茶色の道標が見える。



直進方向、峠八幡神社を見送り、右折して三室山へ向かう。


右折するとすぐに分岐となるが、ここにも電信柱に道標が設置されており、迷うことなく右折する


7月26日(水)20:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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