もう一つの三室山と雁多尾畑8 |
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| 三叉路となり、ここでも道標を見て左折。
するとクルマ止が現れる。 歩行者は通行可。
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| 前方にハイカーがいた。 女性ばかりのグループの様子。
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| 舗装道路を歩くと広場に出る。
挨拶して、情報収集しようとしたが、グループはこの先、ベンチの右側に続く小道を歩き、森の中に入って行った。
私達と歩くコースが違うようだったので追従せず。
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| 万葉歌碑。
「龍田山 見つつ越え来し 桜花 散りか過ぎなむ 我が帰るとに / 信幸書」。
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| 解説板。【一部割愛】
現代語訳 龍田山を見ながら越えて来た。 桜花は散ってしまうのではなかろうか。私が帰る時までに。
歌の背景 天平勝宝七年(七五五)二月十七日(太陽暦の四月六日)の大伴家持の作。この当時、家持は兵部少輔という役職にあり、筑紫に派遣される防人を検校(けんぎょう)する職責のため、難波に往き来することがあった。一首は難波に赴く時に龍田山の桜を見て詠んだ作である。万葉集に残された防人の歌は、家持が兵部少輔であった縁で、この折に採集したものである。
三郷町 万葉歌 巻20-4395
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Jul.26(Wed)20:20 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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もう一つの三室山と雁多尾畑7 |
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| 右折すると、結構な登り坂となっている。
次の辻にまたしても道標が見えたので、道標に従い左折する。
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| 正面に森が現れ、住宅地はここで途切れる。
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| 森の方向へ歩くと池が現れる。
道標を見て右に回り込む。 この公園は「農住5号公園」。
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| 池を左下に見て右へ上る。
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| このあたり、住宅地として開発されたようだが、空き地が目立つ。
電信柱に付けられた住所表示板は「三郷町立野南三丁目25」。
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Jul.26(Wed)20:15 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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もう一つの三室山と雁多尾畑6 |
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| 格子を外そうとしたが、簡単に外れそうになかったので、格子越しに撮影。
例によって涎掛けがしてあり、お姿はほとんど何も見えない
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| 関地蔵 天武天皇在位の時代(六七三~六八六)、大和を中心にして、東国へは不破の関(岐阜)、中国へは吉備の関(岡山)、山陰へは石見の関(島根)、そして、難波へは龍田の関(奈良)が設けられた。これが日本四関と言われている。 この地蔵石仏は、通称「関の地蔵さん」と呼ばれており、龍田の関近くに祀られていたと言われ、水害などでお顔も破壊されているが、龍田関跡を示す貴重な資料である。 【以下割愛】 平成二十二年八月 三郷町教育委員会
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| 関地蔵を後にする。
前方の電信柱に茶色の道標が見える。
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| 直進方向、峠八幡神社を見送り、右折して三室山へ向かう。
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| 右折するとすぐに分岐となるが、ここにも電信柱に道標が設置されており、迷うことなく右折する
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Jul.26(Wed)20:10 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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