箕面大滝_開成皇子の墓_丁石道_北千里駅 |
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| 2018年11月6日(火)はY氏、H氏と私の3人で北摂の山を歩いた。
<概要> スタートは阪急箕面線箕面駅、ゴールは阪急千里線北千里駅。
箕面駅からまずは箕面大滝を目指して歩く。 自然災害の影響により昨年から通行止めとなっていた箕面滝道の「修行の古場休憩所」から「戻岩橋」までの区間は11月1日11時から通行止めが解除になっていた。 通行止めとなっていた期間に迂回ルートを歩いたことがある。 このルートは階段があってベビーカーやハイヒールでは通行出来ない比較的ワイルドなルート。 このことを二人に話すと、是非歩いてみたいとのことだったので案内することに。
「修行の古場休憩所」の手前で地獄谷方向の道標を見て進み、箕面川に架かる鶴島橋を渡って姫岩から箕面川の左岸を歩く。 地獄谷への分岐を右に見送り、風呂ヶ谷から「戻岩橋」で箕面滝道と合流した。
箕面大滝から府道43号を歩き、杉の茶屋、駐車場前、百年橋前を経て政の茶屋園地へ。 手前にある箕面ビジターセンターはこの日(火曜日)が休館日。
東海自然歩道 西の起点の道標から東海自然歩道に取り付く。 すぐに自然研究路4号線との分岐となり、入口には立入禁止の看板が。 東海自然歩道にも通行注意の看板に手書きで「通行禁止」と表示され、両方の道の入口にトラロープが張られていた。 今更引き返すことも出来ないので、自己責任で歩くことに。 結果、倒木が多数見られたが、危険というほどでもなく、通常の登山の注意で歩くことが出来た。
取り付きから急登が暫く続き、府道4号線に架かる陸橋「ぎふちょう橋」を渡る。 その先からも急登が続き、尾根筋に出てからもアップダウンが続いた。
登山ガイド本によると、東海自然歩道の取り付きから、昼食予定地の「開成皇子(かいじょうおうじ)の墓」まで、所要50分となっていたが、実際は約1時間15分掛かった。 3人で歩く時のペースは、過去の実績より登山ガイド本などの所要時間の概ね1.5倍とみており、この時もピッタリ。 (11:05→12:21 1時間16分)
箕面市が設置した緊急ポイントF6を過ぎると、ブロンズらしき立体方位盤が現れる。 しかし付近は樹木が生い茂り、眺望はまったく得られない。 こういった人造物は、たいてい建てられた当時のままでメンテされないので、無用の長物になってしまう。
「箕面のいし(チャート)」、「森林は緑のダム」などの説明板を見ながら歩くと小ピークに到着。 最勝ヶ峰540mと記された私設の山名板が木に括り付けてあった。 トラテープが張られ、その先に鎖で囲まれた自然石が見えたので立ち寄る。 ところが説明板はなく自然石の由緒は不明。 その先に宝篋印塔が見えたので、少し藪コギすると、「開成皇子(かいじょうおうじ)の墓」の裏側に出た。 正面は反対側(北東)に見えたので、反対側へ回り込む。
木道があったが、ここにもトラテープが張られていた。 木道を恐る恐る歩いたが、一部床が抜け落ちているところがある。 直ぐ下に迂回路が用意されていたので、こちらを歩いた方が良かった。
木道は「開成皇子の墓」の前で迂回路と合流。 この時点で時計は12時20分を少し過ぎておりここで昼食となる。
昼食後、再び歩き出し緊急ポイントF5に到着。 ここは分岐となっており、右折(南)は勝尾寺境内へ。 左折(北)は自然研究路8号線を経て清水谷方面。 コースは直進(北東)して東海自然歩道(=豊能自然歩道)を歩く。
暫く穏やかな登り道が続き分岐となる。 正面に石造りの立派な階段が現れ、その先に数基の宝篋印塔が建ち並んでいた。 勝尾寺と関係がありそうだが説明板もなく不明。 分岐まで戻り、左折して「勝尾寺裏山園地」へ向かう。
すぐに分岐となり、緊急ポイントJ6に到着。 ここで東海自然歩道を離れ、右折して自然研究路8号線を勝尾寺園地へ向かって下る。 この道は昨年(2017年)8月に逆方向から歩いたことがある。 一年前と比べ、登山道は荒れている感じ。
勝尾寺園地で少し休憩した後、勝尾寺入口へ。 拝観はせずに土産物の店(お休み処 花の茶屋)に立ち寄る。
土産物の店正面から、府道4号線を横断して丁石道に取り付く。 国土地理院の地図では、「勝尾寺旧境内 牓示八天石蔵(ぼうじはってんいしぐら)および町石」と表示されている。国史跡。
丁石道に取り付いて石の階段を暫く登ると、やがて「勝尾寺 旧参道一町石」、続いて「同二町石」が現れる。 その後、すぐに分岐となり、自然研究路5号線を右に見送り丁石道を直進。 ここから先、旧西国街道の勝尾寺大鳥居まで約4kmは初めて歩く。 この道は丁石道となっており里に下るまでは完全な登山道。
「しらみ地蔵」分岐を右に見送り、外院(げいん)方面へ直進。 外院とは、帝釈寺を指す。 下山後、立ち寄った帝釈寺の縁起によると、勝尾寺に清和天皇がお参りした際、勝尾寺を内院、帝釈寺を「外院」と称したとされる。
「勝尾寺 旧参道三丁石・・・四丁石・・・」を観て歩くと、「勝尾寺旧境内 牓示八天石蔵(ぼうじはってんいしぐら)」に到着。
その後、古い石仏などを愛でながら、残された八基の丁石を確認して下る。 やがて緊急ポイントC2に到着。 ここは旧参道と古参道の分岐となっており、丁石道である古参道(=外院尾根)を歩いてC1で合流した。
大畑中池などいくつかの池を右に見ながら下る。 獣避けの金網の扉を開閉すると、左右に田んぼや畑が広がっており、この時点で山から下山した。 丁石は田んぼの畦道にも続いており、その先、旧西国街道の勝尾寺大鳥居まで、街中でもいくつか見ることが出来た。
帝釈寺北(交差点)で府道9号線を横断し「宝生山 帝釈寺」に立ち寄る。 勝尾寺口交差点でR171を横断し、旧西国街道に合流。 勝尾寺大鳥居を見て旧西国街道を西方向へ歩く。 今宮交差点の南で旧西国街道を離れ府道119号線を南へ歩き、16時20分阪急千里線北千里へゴールした。
画像はこの日歩いた阪急箕面線箕面駅から阪急千里線北千里駅までのGPSログを表示している。
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| <コース概略> 8:50阪急箕面線箕面駅9:19_箕面大滝_政の茶屋園地_東海自然歩道西の起点_<東海自然歩道>_12:20開成皇子(かいじょうおうじ)の墓12:49_勝尾寺園地_勝尾寺前_<町石道(古参道)>_勝尾寺大鳥居・<西国街道>_16:20阪急千里線北千里駅
<その他> ・参加者3名。 ・実歩行距離約20km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km、大阪駅~阪急梅田駅往復1.0km等を含む) ・歩数2万9千歩。 ・「勝尾寺旧境内 牓示八天石蔵(ぼうじはってんいしぐら)および町石」について 箕面市教育委員会の資料によると、八天石蔵とは、寛喜二年(1230)、麓の村々との境界紛争が解決した時に、勝尾寺の寺領を示すため、旧境内の四方8ヶ所に設けられた牓示(境界を示す標識)のこと。 銅造の仏像を信楽(しがらき)焼の容器に入れて土の中に埋め、その上に石積みの壇を設けたもので、仏像・容器ともに発掘され、重要文化財に指定されている。 この種の遺構としてきわめて珍しく、単に寺の遺構としてだけでなく、領地の保護がいかに行われたかという社会事象の資料としても貴重で保存状態もよく、旧参道に残る町石8基と合わせて、1966年(昭和41)に国史跡に指定された。 町石は、元々西国街道から分かれる36町の参道に1町ごとに建てられていた標石で、現存するのは8基のみ。 1247年(宝治1)建石の記録があり、花崗岩製の一石五輪で、地輪が長く、梵字、町数、願主が刻まれており、町石としては最古のものとされる。
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東海自然歩道、府道4号線に架かる陸橋「ぎふちょう橋」の橋上から箕面川ダム方面の眺望。
左後方の山は堂屋敷553.4m。長谷を挟んで右のピークは長谷山568.2m。
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| 鎖で囲われた自然石。 説明板なし。
「開成皇子の墓」の裏側(南)にて。
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| 「開成皇子の墓」。
開成 (僧) - Wikipedia によると、開成(かいじょう、神亀元年(724年) - 天応元年10月4日(781年10月25日)は、奈良時代の僧。 父は光仁天皇で、桓武天皇の庶兄。摂津国勝尾寺の開基と伝えられる。一般には開成皇子と称されることが多い。 765年(天平神護元年)宮中を出て勝尾山に入って禅居し、善仲・善算の二人の師に出会って出家・受戒した。 両師の発願した大般若経書写の遺志を継ぎ、八幡大菩薩の加護を受けて6年の歳月をかけて完成させたという。 勝尾山中にその経を安置する道場を建立し、弥勒寺(勝尾寺)と号したという。 781年(天応元年)に58歳で没し、摂津国の勝尾寺裏の最勝ヶ峰山頂(現・大阪府箕面市の明治の森箕面国定公園内)に葬られた。 墓は現在「開成皇子墓」として宮内庁管理となっている。
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| 七丁石。
勝尾寺 旧参道 丁石道にて。
おしまい。
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11月14日(水)16:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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ブログに繋がらず |
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| ★11月3日(土)から13日(火)まで、ぶっとびねっとのサーバーに繋がらない状態でした。 この間の山行は下記の2つで順次アップロードします。
・2018_11_06 箕面大滝_開成皇子の墓_丁石道_北千里駅 ・2018_11_11 大神神社_巻向山_初瀬山_長谷寺駅
以上です。
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11月14日(水)06:28 | トラックバック(0) | コメント(2) | 山歩き | 管理
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