山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2018年3月21日を表示

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士5

下山途中の単独行の男性と出会う。
水場があるが、この水は飲めないだろう。



登山道は見通しがよくなり周囲が明るくなった。


「落石注意 路肩注意」の看板が立っている。
ここまで歩いてきて、初めてこのような“まとも”な看板を見た。



谷の向こう側に踏み跡が見えた。
この先、合流するようだ。



合流地点に正規の道標が立っている。
「←二本松林道 →五宮1.8km」と表示。
今、我々が歩いて来た道とは違う道が五宮神社から続いているようだ。
ここまで歩いて来た道は、マイナーなルートと言えそうだ。



3月21日(水)21:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士4

ゴミ捨て場とは思えない。
以前、使用していたのだろう。



危なかしそうな橋を渡る。
何人も同時に渡っては危険。
一人ずつ渡る。



ロープが設置され、おまけに倒木がある。
頭上と足元に注意しながら進む。



前方に堰堤が現れる。
奥平野砂防ダムと記されていた。



登山者が少ないのか、落ち葉が多く足元が滑りやすい。


3月21日(水)20:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

大和川流域の道4(三郷_安堂)

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2017年12月16日(土)は、N氏主宰によるウォーキング「土曜会」に参加した。
大和川流域の道シリーズの第4回で、JR関西本線三郷駅から近鉄大阪線安堂駅まで、竜田越(亀瀬越)奈良街道と呼ばれた旧道を歩いた。
歩行距離約10km。参加者は主宰のN氏を含めて総勢8名。
反省会は忘年会を兼ねて布施駅前「お好み焼き よしひろ」。

【大和川流域の道】
推古天皇十六年(西暦608)、遣隋使小野妹子と隋の使者裴世清(はいせいせい)が、難波から大和川を舟で遡り海柘榴市に着いた。
彼らが辿った大和川流域の道を、桜井市金屋(かなや)の海柘榴市(宮都飛鳥の外港)から大阪城付近まで全6回シリーズで歩く。
尚、当時の大和川は柏原市安堂町付近から北西に流れ、淀川下流に合流していた。

コース
9:22JR三郷駅9:25_<奈良街道>_磐瀬の杜前_大和川に架かる大正橋北詰・道標(是より二丁西 龍田川 三室岸 ?之道 信貴山 / 龍田本宮 是より 五丁東 東 法隆寺 南都海道)_大正橋北詰を北へ_瓦善前_道標(←峠八幡神社 600m →JR三郷 800m <竜田道> 大阪と奈良の県境)_峠八幡神社・説明板(石造 地蔵菩薩坐像)・道標(松谷御堂是ヨリ 六丁 / 畑地蔵尊 願主×)・道標(←JR三郷 1.5km →亀の瀬 500m)_道標(←峠八幡神社 400m)_案内板(地すべり防止区域)_亀瀬排水隧道第一号_亀の瀬地すべり資料室前_亀瀬岩付近_道標(JR河内堅上駅 900m)_コンクリート祠(石仏)_JR関西本線の高架下を潜る_JR関西本線の青谷踏切を横断_石の祠(石仏)_河内堅上駅前_分岐を左へ_道標(←JR河内堅上 100m→柏原市青少年広場 850m)_コンクリート舗装された畦道を歩く_関西本線に架かる跨線橋を渡る_跨線橋を右に見送る_関西本線に架かる跨線橋を渡る_アクアピアアイスアリーナ前_青谷ゴルフガーデン分岐_大和川に架かる芝山橋を渡る_柏羽藤環境事業組合 芝山衛生センター前_関西本線の高架下を潜る_洗心地蔵尊_11:32国分神社・大阪府国分原標・昼食12:15_松岳山(まつおかやま)古墳・説明板(国指定史跡 松岳山古墳)_宮本地蔵_説明板(奈良街道の道標)_地蔵尊_西町地蔵尊・説明板(奈良街道(国分村))_大和川に架かる国豊橋(くにとよばし)を渡る_柏原市役所前_築留(つきどめ)土地改良区(大和川付け替え)・記念碑(大和川付替三百年記念碑)・説明板(大和川付けかえと中甚兵衛)・絵図(西暦1703年代大和川流域の図)_説明板(築留二番樋)_13:35近鉄安堂駅 ★反省会(忘年会) 布施駅前 お好み焼き よしひろ (近鉄ロンモール布施飲食街)

画像はこの日歩いた三郷駅から安堂駅までのGPSログを表示。



辻堂(地蔵堂)
峠八幡神社石段下にて。



辻堂(地蔵堂)に安置されている地蔵菩薩坐像。
格子戸の影がご愛嬌―笑。

この場所は、江戸時代の亀瀬越奈良街道と雁多尾畑(かりんどおばた)の光徳寺に通じる道が分岐する所です。
道標には「松谷御堂 是ヨリ 六丁」と刻まれ、石榴樹の下に建つ辻堂には石造の地蔵菩薩像が安置されています。
この像は花崗岩を浮き彫りにしたもので、よくみられる立像の声聞(しょうもん)形像と異なり、坐像になっています。
地蔵菩薩は反花(かえりばな)を伴う蓮台の上に半跏趺坐(はんかふざ)し、左手の掌(たなこころ)に如意宝珠を載せ、持物のない右手は膝に垂下(すいか)し、頭部は長楕円形で、眉は鋭く、目・鼻・口の表現は整っています。
製作の年代は刻まれていませんが、こうした半跏趺坐像は鎌倉時代以降に広まるといわれ、技術的にも秀でていることから、鎌倉時代末~室町時代初期の造像と考えられています。
また延命地蔵として今でも広く信仰されています。
  二00八年三月       柏原市教育委員会



西暦1703年代大和川流域の図
元禄十六年(1703)大和川河内国志紀郡字築留ヨリ未流泉州堺浦江川遷図
宝永二年(1705)古大和川之諸川及池沼開墾ス

築留(つきどめ)土地改良区にて。



築留二番樋 文化庁登録有形文化財
この樋は明治四十年頃に築造されイギリス積みと呼ばれるレンガ積みで笠石部が花崗岩の樋である。
逆アーチ型の側壁は美しいカーブを付けて仕上げられており、平成十三年十二月に文化庁の有形文化財に登録されました。
      平成十四年 築留土地改良区


築留土地改良区にて。



3月21日(水)20:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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