山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2018年3月22日を表示

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士7

尾根筋に取り付いてすぐ、手作りのベンチが現れる。


鍋蓋山の山頂に辿り着くまで、このような階段を5~6回登ることになった。


左前方に見えるピーク、菊水山だが、この時点ではまだよく分からなかった。


前方にまたしても、同じような階段が現れる。
下を向いて黙々と登るのみ。
この道は下山時に歩いた方が、周りの景色が楽しめると思う。



何回か、上り下りを繰り返す。
平坦なところはほとんどない。

前を歩くTさんの帽子が汗で濡れているが、私の帽子も汗でびしょびしょ。
汗が目に入って痛いので、眼鏡を外してハンカチで目の回りの汗を拭う動作を繰り返す。



3月22日(木)20:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士6

落葉に覆われた足に優しい登山道を歩く。


堰堤が現れる。


登山道は舗装された道となる。
おそらく先ほどの堰堤を建設する時、重機を搬入する為に舗装したのだろう。



二本松林道に出合う。
コースは林道を横断して直進。

左折すると、天王谷・祇園神社1.6km。
祇園神社は五宮神社の西に位置する神社。
五宮神社の神主は無住で祇園神社の神主が兼ねているようだ。

右折すると、猩々池(しょうじょういけ)。
距離3.1km。

直進は七三峠1.5km・鍋蓋山2.0kmと表示されていた。



ここから見通しの良い尾根道歩きとなるが、結構、傾斜は急。
この日の一番の登りがここから鍋蓋山頂までとリーダーから聞く。



3月22日(木)20:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

金胎寺山城の道

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2017年12月17日(日)は、おおばこの会に参加した。
題して「金胎寺山城の道 ※山のてっぺんで忘年会」。

参加人員、総勢21名。
歩行距離約7km。

コース
南海高野線河内長野駅10:08_石川に架かる諸越橋を渡る_金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)_祠(石仏群)_道標(金胎寺山→)_案内板(金胎寺山登山道案内)_道標(金胎寺山→)_道標(しろやま→)_案内板(金胎寺山(城山)頂上まで徒歩約40分 富田林で一番高い山(296.2m))_常夜灯二基_道標(←金胎寺山(城山))_獣除けの柵を開閉・イノシシ除け鈴の貸し出し_案内板(金胎寺山(城山)登り口 頂上は楠木七城のひとつ金胎寺城の城跡である。標高296.4m富田林で一番高い山で、眺望は素晴らしい。(頂上まで約30分))_案内板(大門跡 金胎寺を含む寺群の入口として大門があった。ここには運慶作の仁王門があったが、現在は天野山金剛寺に祀られている。_道標(←金胎寺山(城山) →嬉野町内))_案内板(金胎寺跡 この付近に金胎寺の他、観音寺初方寺等10棟の建物があったと伝えられている。_<スギ ヒノキの植林帯>_←馬廻し_案内板(金胎寺山頂上まで徒歩15分)_案内板(楠木軍兵舎跡 金胎寺城の守りと見張りにつく兵士達の待機場所であり合計3ヶ所あったと伝わっている。)_案内板(中間展望台 金胎寺山頂上まで徒歩5分)_→桜公園分岐を右に見送る_頂上まで10m→_案内板(あべのハルカスよく見えるところ)_11:12金胎寺山(こんたいじさん 三等三角点 296.08m 点名:嬉)・説明板(金胎寺山(城山))・昼食(忘年会)12:16_桜公園_祠(石仏)_腰神神社(こしがみじんじゃ)・説明板(腰神神社)・藤の老樹の句(道ばたに うっ蒼たるや 藤の森)・力石・宝篋印塔二基・八大竜王・不動明王・井戸(泉)・陽石_伏見堂公民館前_清蓮寺_石川に架かる高橋を渡る_13:59滝谷不動駅 ★反省会 14:23餃子の王将 外環富田林店(8名参加)

画像はこの日の行程、南海高野線河内長野駅から近鉄長野線富田林西口駅までのGPSログを表示。
但し滝谷不動駅から富田林西口駅までの間は近鉄電車に乗車。



金胎寺山(金胎寺城址)山頂からの眺望。
低山ながら素晴らしい眺め。360度パノラマ。



鳥瞰図。
視界が良く遠望が利いた。



金胎寺山山頂。
かつてはここに城が築かれていた。

金胎寺山(城址) 標高296.4m (通称)城山
金胎寺城は後醍醐天皇に仕えた楠木正成が鎌倉幕府と戦うため、南北朝時代の元弘三年(1333)に楠木七城の一つとして築城したものである。
楠公の戦法で有名な山の急斜面を利用した岩石、木材落としをこの城でも行い、幕府軍を苦しめたと伝えられている。その後も南朝、北朝の争いが続き、その結果北朝方の畠山氏が勝利し、正平十五年(1360)に畠山氏の支城となった。
室町時代の中期には畠山氏のお家騒動の時、立てこもった畠山義就が幕府軍の畠山政長に破れ、寛正四年(1463)落城した。
山のふもとに金胎寺が存在したことから金胎寺城と呼ばれているが、地元では城山として親しまれている。
      大阪ミュージアム

金胎寺山(金胎寺城址)



山頂での忘年会を兼ねた昼食会。


3月22日(木)20:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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