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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2018年4月18日を表示

(続き)ご近所散策(王龍禅寺)

くねった旧道を道なりに歩くと真新しい祠が現れ、中に二体の石仏が安置されていた。
祠はごく最近、新調された。
石仏は二体とも弘法大師だろうか。

すぐに分岐となり、石の道標が立っている。
「← 上 王龍寺」。
分岐は三叉路でアルファベットのYのようになっており、どちらへ行っても左となるが、上の方の道を行くという意味。

学園前西特別養護老人ホームの前を通過。
特養を過ぎると付近の景色は一変する。

一面の芝生とメタセコイアの並木が現れる。
飛鳥CCの敷地の中を歩いているようだが、実際は勿論、ゴルフ場が後に建設された。

ゴルフ場と道路の間に潅木が残されているが、シイや山柿があったりする。



暫くゴルフ場を左右に見ながら進むと、「石佛観音岩屋大黒天 王龍寺」と刻まれた石柱が立っている。

画像は山門前に置かれていた石造物。
動物のような形をしている。
猿のようにも見えるが、正体は不明。



奈良市指定文化財 「王龍寺境内のコジイ林」を歩く。
ここには貴重な自然林が残されており、散策にはとてもよいところ。

石段を登って本堂の手前に「宇宙菴吉村長慶寿像碑」と刻まれた石柱が立っている。
“吉村長慶”は地元奈良では比較的知られている人物。

おびただしい石造物を各地に寄進!奈良出身の実業家・吉村長慶の知られざる業績



お寺の社務所に行って、拝観を希望することを伝えると、息子さんらしき僧侶が現れ、案内して頂いた。
普段、ご本尊を祀っている本堂には鍵が掛かっており、中に入ることは出来ない。



磨崖仏にはローソクの明かりがよく似合う。

説明板によると、
奈良市指定文化財 王龍寺磨崖仏
堂内にある大きな花崗岩の正面に建武三年(一三三六)の刻銘を有する十一面観音立像 その脇に文明元年(一四六九)の刻銘を有する不動明王立像が彫られている。これらの像はこの地区に残る数少ない磨崖仏の一つでなかでも十一面観音立像は南北朝時代の様式をよく伝える貴重なものである。
昭和六十二年一月 奈良市教育委員会

20分程度、本堂の中に居た。
最初、お寺の人と私は本堂の中に一緒に居たが、その後、知り合いの方が来られたようで、本堂の外で待っておられた。

最後にお礼を言って別れたが、「また、いつでもお越し下さい」と言われたのが嬉しかった。
おしまい。



4月18日(水)18:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

ご近所散策(王龍禅寺)

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2018年1月16日(火)は、前日の西千代ヶ丘、大和国鹿島香取本宮に続いてご近所を散策した。
もっとも片道7km以上あったので、とてもご近所とはいえない。

この日の目当ては、奈良市の王龍禅寺(おうりゅうぜんじ)へ行き、以前から観たかったご本尊の磨崖仏を拝顔すること。
このお寺は過去に何回か訪れている。
その時は磨崖仏を観ていない。
では以前は何を目的に訪れたのかといえば、お庭が素晴らしい。境内自由。
お寺に問い合わせてみると、磨崖仏を観るのに、特に予約は必要ないそうで、社務所(自宅?)で拝観したい旨を申し出て下さいとのこと。

画像はこの日歩いた自宅近くの蛙股池から王龍禅寺までの区間を明治41年側図の古地図で表示している。

コース(ピストン)
蛙股池(*1生駒郡伏見村疋田)_(*2新田)_(*3富雄村谷奥)_(*4北生駒村春日)_王龍禅寺(*5北生駒村)。

現在の住所表示
*1 奈良市あやめ池南
*2 奈良市学園新田町
*3 奈良市二名1丁目
*4 奈良市二名3丁目
*5 奈良市二名6丁目

画像の地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成。
1/20000 「西大寺」明治41年側図・明治45.3.30発行

歩行距離約15km。
歩数2万1千歩



近鉄奈良線の跨線橋を跨いですぐ、東側に立てられている石柱。
撮影した画像ではわかりにくいが、「南無阿弥陀仏」と刻まれている。
大正時代の刻銘あり。



学園前駅に到着。ここまでゆっくり歩いて27分。
学園北一丁目に地蔵山と呼ばれる丘があって、お地蔵さん他の石仏が祀られている。
今回は立ち寄らず。
この地図では緑色で表示されている。

争乱伝える地蔵道 /奈良
住宅地に響く法螺貝 /奈良

一方、古地図に表示されている新田(現:学園新田町)は、地蔵山から北西の方向に位置する。

奈良女子大学付属幼稚園の建物を右に見て西へ進むが、その先で道に迷ってしまう。
行止りと勘違いした。
ひと一人がようやく通れる路地のような、人家の軒下に続く小道があったのだが、気づかずに引き返してしまった。
少し戻って付属幼稚園の建物を右に見て北へ歩き、遠回りして本来歩く予定だった旧道に出合う。



時間はたっぷりある。ここは急ぐことはない。
迷ったところへ逆方向から歩き、どこで間違ったか確認することにした。

画像がひと一人がようやく通れる路地のような、人家の軒下に続く小道。
丁度、向こうから人が歩いて来られたので、撮影した場所で待った。

新田公民館の前を通って、旧道に復帰。
このあたりは畑や田んぼが残っているが、住宅地として部分的に開発も行われている。
分譲中の看板には、「大阪難波」駅へ25分。「本町」駅へ28分。「梅田」駅へ33分。
そして「学園前」駅 徒歩15分と案内されている。

「みねのてら阿弥陀寺」分岐を右に見送って直進。
分岐までは上り坂で分岐を過ぎると下り坂となる。
尚、このお寺は古地図にも記載されていた。



人家の横に「二名小学校跡」の石柱が立つ。
古地図にもそれらしき学校の表示があるが、集落の表示は「谷奥」と記されている。
現在「谷奥」の住所表記はない。

道なりに歩くと三叉路の角に法融寺の寺標と「日限地蔵尊」と彫られた石柱が立っている。
富雄川に架かる月見橋を渡って、上流方向へ少し歩くと、「左 海瀧山 王龍寺」ほかの石柱が立っている。
ここを左折し西へ向かう。



4月18日(水)18:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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