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2019年1月11日を表示

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園49

板碑の類が並ぶ。


盃状穴。


光背の先が欠けている石仏が多く散見される。


先の説明板に記述されていた「信長は多数の石像を倒し、頸に縄をつけて工事場に引かしめた。
都の住民は、これらの偶像を畏敬していたので、それは彼らに驚嘆と恐怖を生ぜしめた」(松岡毅一・川崎桃太訳「フロイス 日本史」による。)

この光景が目に浮かぶようだ。



旧二条城関係の石造物群を後にして、竹の資料館へ戻る。


1月11日(金)18:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園48

旧二条城関係の石造物群

ここに展示されている石造物は、地下鉄烏丸線建設に先だって昭和50年から53年にかけて行われた事前発掘調査により確認された旧二条城跡から出土したもので、 主に石垣の石材に使用されていたものである。
旧二条城は、永禄12年(1569)に織田信長が室町幕府15代将軍足利義昭のために築造したもので、烏丸丸太町交差点の北に位置し、発見された石垣には、自然石の他に石仏、供養碑、五輪碑、礎石、建材等が使用されていた。
当時日本で布教活動をしていたポルトガルの宣教師フイス・フロイスの著わした「日本史」の中にも「信長は多数の石像を倒し、 頸に縄をつけて工事場に引かしめた。都の住民は、これらの偶像を畏敬していたので、それは彼らに驚嘆と恐怖を生ぜしめた」(松岡毅一・川崎桃太訳「フロイス 日本史」による。)という記載があり、上記の事実と一致する。
これらの石造物は、従来あまりよく知られていなかった旧二条城の貴重な資料であり、 昭和58年6月1日に京都市指定有形文化財(考古資料)に指定された。
  京都市



展示?されている石仏群。

転倒のおそれがある為か、半身が埋没されている。



右端の石仏は埋め過ぎ。

拝顔できない状態。



優しそうなお顔をされている。


双石仏だが、仕切りがある、と云うか舟形の背が二つ並んでいるので、仕切りのように見えてしまう。


1月11日(金)18:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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