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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2019年10月29日を表示

No.11角刺神社_笛吹神社_置恩寺_二塚古墳

蓮の実。
はっきり云って“気持ち悪い”。
穴が開いているのがグロテスク。
しかし、中国では生薬として利用されてきたそうだ。



国指定史跡 二塚古墳 (昭和五三年十二月二十七日文部省指定)

葛城山の東麓、奈良盆地を一望のもとにおさめる地に築造された北向きの前方後円墳である。
葛城山系から東にのびる比較的幅の広い尾根筋を切断し、自然地形をうまくとりこんでいる。
墳丘は全長六〇メートル、後円部径三六メートル、高さは後円部・前方部ともに一0メートルを計り、周囲に周濠に相当する幅約一五メートルの平坦部が設けられている。
埴輪は検出されていないが、墳丘表面には扁平な石材を用いた貼石が認められる。
昭和三三年、奈良県立橿原考古学研究所によって発掘調査が実施され、横穴式石室が後円部の他、前方部と西側造り出し部にも構築されていることが確認された。
中でも、後円部の石室は全長十六・七メートル、玄室長六・七メートル、同幅二・九八メートルの大型のものである。
後円部石室から金銅花形座金具をはじめ、馬具、鉄製武器、農工具、玉類、前方部石室から馬具、農工具、金・銀製中空玉、造り出し部石室から琥珀製棗玉、鉄製武器、農工具の他、多量の須恵器、土師器が出土した。
墳丘の形態や石室の構造、出土品から六世紀中ごろの築造と考えられ、古墳時代後期の前方後円墳の基準となる貴重なものである。

新庄町教育委員会



周濠を歩いてみる。


後円部横穴式石室。
柵が設けられ、石室の内部に入ることは出来ない。



説明板の前で私達が戻るのを待機されている参加者の人達。

つづく。



10月29日(火)17:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.10角刺神社_笛吹神社_置恩寺_二塚古墳

葛城山麓公園の正面入口に到着。
置恩寺を目指して歩く。



近畿自然歩道を歩く。
前方から軽トラが現れると、すれ違うのに苦労する。
一旦、引き返して道路幅の広い道を歩くことに。



ブロックで囲われた石仏。

容器入れを上手に利用している。
見栄えは悪いが。
花立て、線香立て、蝋燭立て、湯のみも上手く収まっている。



置恩寺に到着。
無住職のお寺。
区長はじめ寺口地区の住民で管理されている様子。



置恩寺(ちおんじ)

正式には医王山・布施山安養院置恩寺と号し、高野山真言宗。
本尊は本堂に安置する薬師如来坐像です。
寺伝には神亀年間(七二四~二九)に行基の開基とありますが、奈良時代末~平安時代初めに置始氏(おきぞめし)の氏寺として建立され、中世には「布施寺」とも称されたように、布施氏の氏寺として栄枯盛衰を共にしました。
庫裏の南に建つ石燈籠は「文亀二年(一五〇二)仲夏天 願主置始行國」とあり、戦乱で焼失した寺の再建の際、布施行國が寄進したものです。

つづく。



10月29日(火)17:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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